『ベルサイユのばら』50周年:池田理代子が描いた「女性の自立」と「不変の愛」が現代も色あせない理由
漫画 アニメ 社会 文化 国際・海外- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
恋を描いた古典の条件
「恋の物語」にとって一番大切なものはなにか? それは「障害」だ。考えてもいただきたい。なんの障害もない二人が出会って恋に落ちたとしたら? いきなりハッピーエンドで話が終わってしまう。
だから障害はとても重要で、それもできれば「本人の踏ん切り」といったパーソナルなハードルではないほうが、より大きな普遍性を持つことになる。それゆえに、対立する家同士の若い二人が恋に落ちた「ロミオとジュリエット」が、永遠の古典となるのだ。
あれは教皇派、皇帝派として対立するモンタギュー家とキャピュレット家の物語だった。日本史でいえば南北朝時代の、宮方と武家方のような構図。『機動戦士ガンダム』であれば「アムロとララァの出会いがそれにあたる」といえば、わかりやすいかもしれない。しかしそうした伝統的な恋の物語が、実は現代では成立しづらくなっている。2013年に大ヒットした『アナと雪の女王』でも「真実の愛」は男女間ではなく姉妹にあった。ディズニー作品ではそもそも恋愛要素がない作品がつくられるようになり、世の中もそれを肯定的に評価している。
日本でも事情は同じで、現代では19年にドラマ化された漫画『凪のお暇』のように、いわゆる「王道」とはまた異なる恋の物語が支持される。ネットフリックス作品『愛の不時着』は王道恋愛物語としてヒットしたが、あの作品の恋にはご存じのとおり「北と南の民族分断」という大きな障害が立ちはだかっていた。
考えてみればそれも当然だ。現代社会はミルトン・フリードマンが唱えた「選択の自由」を旨としてデザインされてきた。だから恋の選択も自由。どんな悩みも「好きな人とつきあえばいいんじゃない?」という結論になり、そもそもハードルが成立しづらい。
こうした状況について社会学では、現代社会における「恋愛表現の不可能性」と呼ぶ人もいる。結果、現代の恋の物語はしばしば病であったり事故による記憶喪失などが描かれることになる。二人が同じ時間にいなかったりもする。またその一方で映画『燃ゆる女の肖像』や『キャロル』のように、偏見が根強く、また自立が困難だった過去の時代に題材を求めた作品にも名作が多い。
現代からすると、過去の社会は自由が制限され、厳しかった。21世紀ならばネットをにぎわせるだけのスキャンダルも、江戸時代であれば重い罪。ライフスタイルの多様性も認められない。
そうした中でも、もっとも厳しい自由の制限は「身分制度」ではないだろうか。「天は人の上に人をつくらず」という福沢諭吉の言葉は有名だが、かつては西欧も、そして日本でも身分制度が存在した。生まれたときから貴族は貴族、平民は平民。その「格差の壁」はどんなに努力をしても乗り越えることができない。
しかし1789年のフランスで、その壁を打ち壊すために人々が立ち上がった。「フランス革命」だ。1972年に「週刊マーガレット」(集英社)で連載が開始され、今年で50周年を迎える池田理代子氏の作品『ベルサイユのばら』は、その「フランス革命」の激動の歴史を描き、マンガ史上に気高く咲いた名作である。
「当たらなかったらすぐ止める」
この壮大な物語の中心人物はフランス王妃マリー・アントワネットと、彼女の秘密の恋人、スウェーデン貴族のフェルゼン。そして女性でありながら軍事貴族の家の跡継ぎとして育てられた男装の麗人、オスカルと彼女に従う平民のアンドレ。
歴史に翻弄される人、歴史に絶望する人、新時代のために戦う人、愛する人に命を捧げる人。彼女彼らの人生を通して描かれる歴史ロマンは、同時代のファンに熱く支持され、後世には巨大な影響を与えた。
だがこの作品の連載を始めるにあたって当時の編集部は反対したという。その理由は「歴史物? そんな高尚な題材が少女マンガの読者に理解されるはずがない」だったそうだ。当時はまだ日本社会において「マンガ」の地位は低く、文化として認められていなかった。しかも、その中でも「少女マンガ」はさらに低く見られ、女性漫画家の原稿料は男性漫画家の半分だったという。まるで現代のハリウッドの脚本料のような話だ。
池田氏は1947年大阪府生まれ、千葉県柏市育ち。「女性に高等教育は必須ではない」という価値観がいまだ残る時代に、父の反対を押しきって東京教育大学(現・筑波大学)哲学科に進学。大学では入学直後から当時盛んだった学生運動に参加する。「大人や社会を批判しながら親のスネをかじるわけにはいかない」。池田氏は家を出て自立し、ウエイトレス、工場作業員、訪問販売員などさまざまな仕事をこなしながら大学に通ったそうだ。
1968年、大学3年生のときに「週刊マーガレット」誌でデビュー。当時の池田氏にとって漫画は自活の手段でもあった。家賃のために必死で描くうちに早くから人気作家となり、そして24歳のときに開始した連載が『ベルサイユのばら』だった。
もっとも先に述べたように当時、男性編集者しかいなかった編集部は「そんな題材が理解されるはずがない」と反対。池田氏の「絶対に当てる。当たらなかったらすぐにやめる」という意思を条件に、連載は始められたという。
池田理代子が描いた自立して生きる姿勢
マリー・アントワネットとフェルゼンは実在の人物だが、男装の麗人、オスカルは架空のキャラクター。フランス革命が起こった7月14日に、市民の側に立った衛兵隊の隊長が存在したことは史実なのだそうだ。しかしまだ24歳の池田氏が、典型的な男社会に生きる軍人を実感を込めて描くことは難しかった。「だからオスカルを女性として描いた」という事情があったというが、それだけではなく、オスカルの創作には、いまだ女性の人格や能力をひとりの人間として認めていない社会に対する思いも込められていた(『婦人公論』2013年9月23日号インタビュー)。
ただ、このように書くと、オスカルについて「男社会の中で男性に負けないようにふるまうギスギスした人」という印象を与えてしまうかもしれない。しかし彼女は断じて違う。
自身も歴史作品を手がけ、フランス革命についても描いている漫画家のよしながふみ氏は池田氏の作品について
「こんな社会を目指すという理想や、人はみんな自立して生きていくべきだという姿勢が一貫しているんです。そして、その思想的な部分とエンターテインメント性が両立していることが唯一無二の魅力だと思います」(『池田理代子の世界』(朝日新聞出版)所載「よしながふみ的ベルばら論」)
と語っている。本当にその通りで、オスカルの設定も、エンターテインメントとして非常に魅力的だった。
彼女は美しく強く賢い。その美貌で男性も女性もファンにしてしまう貴族社会の華であり、時代を視る知性と恵まれぬ境遇の人々に共感できる優しさを持っていた。しかも軍人としても“自分のやり方で”統率力を発揮する。
彼女は最初はフェルゼンにほのかな想いを抱いていたが、やがて自分の家の使用人出身で、いつも彼女のそばにいるアンドレの気持ちを知り、受け入れる。
しかし時代は革命の季節。個人としての幸福を手に入れたオスカルだが、激動の祖国を捨てて国外に脱出するようなことは微塵も考えなかった。アンドレもまた彼女のそばにいることだけを考えていた。人の間に身分という壁が立ちふさがり、それを壊そうとする時代。そうした時代だからこそ輝きを放つ美しさがあった。
時代も国も超える普遍性
『ベルサイユのばら』は、連載第1回から人気アンケートの1位を獲得し、コミック累計1500万部を記録する大ヒットとなる。特にオスカルとアンドレの二人の恋は人々の心つかみ、オスカルが作中で命を落とした際には、多くのファンを悲しみのどん底に突き落とすことになった。「号泣した」という思い出を持つ人は多い。
1974年には宝塚歌劇団による歌劇『ベルサイユのばら』が上演。事前には熱狂的なファンから中止するよう脅迫状も送られたそうだが、公演は大成功する。79年にはアニメ版『ベルサイユのばら』も放映。歌劇もアニメ版もまた、現代でも愛され、語られる作品となっている。ちなみにアニメ版は革命の本国、フランスでも80年代に放映され、かの地で多くのファンを獲得している。
池田氏の作品は「ロミオとジュリエット」と同様に、「時代も国も超えた普遍性を持っている」というしかない。50周年を迎えて美しく散るどころか、なおも人びとの情熱を燃やし続けている。
ちなみに、まったくの余談で恐縮だが、筆者の先輩にもともと「天才編集者」として同僚から尊敬され(いわゆる有名編集者とはまた違う)、後にご自身も大きな文学賞をとって作家になった人がいる。
その人がしばしば「売れた漫画は“すべて”、異性間の愛情ではなく同性間の友情を描いたものだ」と語っていた。自分なども「確かにな。『あしたのジョー』もそうだ」と感じながらも、「でも少女漫画は違うのでは」と考えたりするのだが、ある少女漫画の大家に意見を聞いてみると、しばらく考えてその人も「少女漫画もその通りだ」とおっしゃっていた。
ただそれでも、二つの愛が描かれる『ベルサイユのばら』は例外かな、と思うのだが、よく考えてみると、そうとも言い切れない気もしてくる。あなたはいかがお感じになるだろうか?
バナー写真:『ベルサイユのばら』は1972年21号から73年52号まで82回にわたり「週刊マーガレット」に連載。フランス革命を背景に華麗に展開される人間ドラマは、アニメ化もされ、世界中のファンの深い感動を誘った(撮影:ニッポンドットコム編集部)