固定観念を打ち破れ! バスケットボール日本女子を銀メダルに導いた知将トム・ホーバスの新たな挑戦

スポーツ 社会 文化 国際交流 東京2020

ヘッドコーチ就任以来、固定観念を次々と打ち破り、トム・ホーバスは女子バスケットボールチームを率いて、誰も予想し得なかった東京五輪銀メダルという快挙を成し遂げた。希代の知将は今、戦いの場を男子チームに移し、新たな挑戦の緒に就いた。女子よりも高いハードルを前に、ホーバスが描く勝利への道筋とは?

トム・ホーバス Tom HOVASSE

1967年1月31日生まれ。米国コロラド州出身。ペンシルバニア大学卒業後はNBAのドラフトで指名されず、ポルトガルリーグのスポルティングでプレーした後、90年にトヨタ自動車に入団。4年連続で日本リーグ得点王を獲得した。94年はNBAアトランタ・ホークスに所属し、その後は米独立リーグ、トヨタ自動車、東芝でプレーし、2001年限りで現役引退。10年のWリーグJXサンフラワーズのコーチ就任を皮切りに指導者としてのキャリアが始まり、17年に女子日本代表のヘッドコーチに就任。21年東京五輪でチームを日本史上初の銀メダルに導く。同年9月に男子日本代表のヘッドコーチに就任した。

目標は初めから金メダルだった

「日本の選手は、世界の舞台でプレーすると、なぜか自信をなくしてしまいがちです。それはどうしてなのか。その理由を探ることから、ヘッドコーチとしての私の仕事は始まりました」

東京五輪で女子バスケットボール日本代表を銀メダルに導いた、トム・ホーバス前ヘッドコーチ(以下HC)の言葉である。

米国出身で、日本リーグで10年以上プレーした経験もあるホーバスHCは、2016年のリオデジャネイロ大会ではアシスタントコーチを務めていた。このときは、準々決勝で敗退している。

「私自身はもっと上を目指せると思っていたんですが、選手たちの心の準備ができていなかったのです。メダルを取れると信じていなかった」

17年にヘッドコーチに就任すると、ホーバスHCはまず、「東京オリンピックでは金メダルを取ります」と、選手たちの前ではっきりと目標を設定した。「選手たちは口にはしなかったけれど、たぶんびっくりしたと思う」とホーバスHCは振り返り、こう続ける。

「選手たちは『本当に勝てるの?』と懐疑的な雰囲気でしたが、『上背のある外国勢に対抗するために、NBAのような3ポイントシュートをバンバン打っていくチームになろう。あなたたちは、3ポイントが上手じゃないですか』と鼓舞したんです」

ホーバスHCは東京大会に「勝つプラン」を選手たちに提示し、必要なステップを踏んでいった。18年のW杯は9位だったものの、19年のアジアカップでは優勝。コロナ禍によって東京五輪が延期になったことも、かえって時間の余裕ができて戦術の徹底が進み、チームには幸いしたかもしれない。

とはいえ選手たちが本当に自信を持ったのは、東京五輪が始まってからではないだろうか。グループステージの初戦で、18年のW杯で5位に入っている強豪国フランスを4点差で撃破し準々決勝に進出。準々決勝ではベルギーを逆転し、最終的に1点差で破ると、準決勝では再びフランスと対戦し、今度は87対71のスコアで圧勝した。

決勝では米国に敗れたものの、日本は史上初めて五輪でメダルを獲得。日本のバスケットボールの歴史を変えた。

東京五輪では女子チームを率いて銀メダルを獲得。ホーバス監督は日本代表史上初めての快挙を成し遂げた(2021年8月8日、さいたまスーパーアリーナ)共同
東京五輪では女子チームを率いて銀メダルを獲得。ホーバス監督は日本代表史上初めての快挙を成し遂げた(2021年8月8日、さいたまスーパーアリーナ)共同

東京大会を終えた選手のある言葉に、ホーバスHCは感激したという。

「自分が自分のことを信じるよりも、トムの方が私のことを信じてくれた。ありがとう」

選手たちの自信は、最初にヘッドコーチが選手たちを信じたことから生まれたのだ。

なぜ、日本人は自信を持てないのか?

バスケットボールに限らず、日本のスポーツ界を見ると、代表に入るようなトップレベルの選手でも自分に自信を持っていない選手が少なくないと感じる。ホーバスHCは以前のインタビューのなかで、バスケットボールの場合、その原因はジュニア時代に「自尊心」が育っていないことにあると推測していた。

「彼女たちは、もっと自信を持っていい。世界中どこを探しても、あれほど熱心に練習できる選手たちはいません。いわば“gym rat”——練習の虫です。朝からシューティングの練習を欠かさず、少しでも時間があれば体育館にいる。これは高校時代から叩き込まれた習慣です」

「ただ——」とホーバスHCは続ける。

「私は、それが好きではありませんでした。単純に長い時間練習するのではなく、自分の頭で考え、好きなことに時間を使ってほしかった。その方が人間的にも成長するし、プレーにも幅が出てくるからです。むりやり体育館から追い出したこともありましたが、彼女たちは私の目を盗んで体育館に帰ってきてしまう。これには弱りました(笑)。もちろんこのwork ethic(=勤労意欲の高さ)は誇るべきものですが、本来そこから得られるはずの自信や自尊心を、彼女たちからは感じられませんでした。私の最初の仕事は、その変化を引き起こすことでした」

長い時間練習することが目的ではない。ホーバスHCは、たとえ時間が短くても練習のなかで「試合で成功するために、練習で何を達成すべきか」と考えることを習慣づけ、チームを成果主義へと変えていった。

ホーバス監督の女子チームでの仕事は、勝利を信じきれない選手たちの意識改革から始まった(2021年8月4日、さいたまスーパーアリーナ)AFP=時事
ホーバス監督の女子チームでの仕事は、勝利を信じきれない選手たちの意識改革から始まった(2021年8月4日、さいたまスーパーアリーナ)AFP=時事

「汚いことをするな」の価値観

ホーバスHCが、「日本人選手の高校時代からの習慣」と指摘する長時間の練習。多くの部活動の現場で、指導者は選手に今も長時間の練習を課し、評価の基準としている。こうして指導者は選手との間で支配構造を明確にし、選手に忠誠を求めるのは、古い日本企業の労使関係と似ているかもしれない。

また、学校活動の一環として行われる部活動では、「正しいプレー」が求められる傾向が強い。これもまた、選手の思考を奪っているように見える。

バスケットボールには、たとえば58対60で負けているチームが相手の選手に故意にファウルして相手にフリースローを与える(チームファウルが上限を超えていることが必要)、「ファウルゲーム」という作戦がある。

相手が2本ともフリースローを決めて58対62とされる可能性はあるが、フリースローが2本とも外れ、さらに2本目のリバウンドを取れば、スコアは58対60のままでボールの保有権を取り戻すことができる。次のポゼッションで同点、あるいは3ポイントシュートで逆転できるチャンスが生まれるのだ。

“good foul”(グッド・ファウル)という言葉があるアメリカではごく当たり前の作戦であり、むしろ適切に行わなければ、メディアから采配ミスを指摘されることもある。ところが日本では、全国レベルの大会でさえ、ファウルゲームをよしとしない指導者を見かける。

どうやら彼らには、「ファウル=悪」という思い込みがあるようだ。実際に筆者も、「そんな汚いことするな」と指導者が言うのを聞いたことがある。

日本の部活動ではこうして「正しさ」が求められ、選手たちは、指導者から評価されるためにその基準に沿うプレーをするようプレッシャーを受け続ける。結果として自分で考えることが減り、プレーに対する自信が持てず、自尊心が育まれない。

今後日本の女子バスケットボールが世界のレベルで戦っていこうとするなら、ジュニア時代から、試合だけでなく練習でも選手たちが自分たちで考えてプレーするという自由な表現の場を作っていかなければならないのではないか。

事実、リオデジャネイロ大会で銀メダルを獲得した強豪国スペインでは、得点表示を一切しないジュニアの試合もあるという。10代は勝ち負けより、自分で考え、スキルを磨き、試合を愛することを学ぶべきだとされているからだ。

ホーバスが描く日本男子バスケットボールの未来

東京大会での金メダル獲得を目標に掲げたホーバスHCは、日本のバスケットボール界の固定概念を打ち破り、選手たちの意識を変えることで世界と戦えることを証明した。

日本の女子バスケット界に新たな歴史を創った彼は今、次の挑戦の入り口に立っている。東京大会後に女子代表のヘッドコーチを勇退し、2023年のW杯に向け、今度は男子のヘッドコーチに就任したのだ。

ホーバスHCは新しい仕事について、こう話す。

「私の耳には、『ホーバスは男子をコーチした経験がないじゃないか』という声も届いています。でも、そんなことは関係ない。女子でも男子でも、バスケットボールはコーチが選手たちと信頼関係を築くことから始まり、基本は同じルールで戦うわけですから。ただし世界ランキングで37位(2021年12月現在)の男子代表が、女子と同じように金メダルを目標に掲げるのは無理がある。現実的ではありません」

ホーバスHCが男子の選手と練習を始めたのは、昨年の11月から。その月末に行われた2023年W杯のアジア地区予選の中国戦では2連敗を喫し、白星発進とはいかなかった。この時もホーバスHCは、「信頼関係」を強調した。

「練習ではとても良かったのに、試合でその力が発揮できなかった。どこに原因があるのか探っていかなければいけない。そのためになにより大切なのは、合宿を重ね、選手との間に信頼関係を築いていくことです」

男子を率いての初陣となったバスケットボールW杯アジア地区1次予選では中国を相手に2連敗。ホーバス監督も厳しい表情を見せることが多かった(2021年11月28日、ゼビオアリーナ仙台)時事
男子を率いての初陣となったバスケットボールW杯アジア地区1次予選では中国を相手に2連敗。ホーバス監督も厳しい表情を見せることが多かった(2021年11月28日、ゼビオアリーナ仙台)時事

ただし男子には、女子とは異なる構造的な問題があることも指摘している。

外国籍選手がプレーしておらず、チームのポイントゲッターを日本人が担っている女子のWリーグと違い、男子のBリーグの得点源はどのチームも外国生まれの選手。日本出身の選手は、脇役になっていることが多い。

2月10日現在の得点ランキングでも外国出身の選手がずらりと上位を占めており、日本出身の選手は50位以内にわずか4人。25位に安藤誓哉(島根スサノオマジック、1試合平均15.7)、28位に岡田侑大(信州ブレイクウォリアーズ、1試合平均15.5)、40位に藤井祐眞(川崎ブレイブサンダース、1試合平均13.7)、47位に富樫勇樹(千葉ジェッツ、1試合平均13.1)が顔を出しているだけだ。

この4人には共通点がある。4人とも、チームの中で比較的身長の低い選手が務める、ポイントガードというポジションにいること。裏を返せば、Bリーグにおいて、日本人のビッグマンはスコアラーとして機能していないのだ。

ホーバスHCも、ここが女子と男子の大きな違いだと話す。

「女子代表とWリーグのチームのプレースタイルは基本的には一緒なので、日本代表でも、普段プレーしているスタイルに沿って日本代表チームを作っていけます。ところが男子の場合、女子のように3ポイントを中心にゲームを組み立てようとしても、それはBリーグでやっているスタイルとは違う。まずはチーム作りの哲学を浸透させるのに、女子より時間が必要だと考えています」

これまで、並々ならぬ眼力でチームの強化に必要な課題を見つけてきたホーバスHC。闘いのフィールドを男子に移して迎える次の試合は、2023年2月26・27日に沖縄アリーナで予定されている台湾戦と豪州戦(2023年W杯アジア地区予選)だ。

4年後に向け、その歩みはまだ始まったばかり。ホーバスHCは、日本の男子代表の未来に、どんな処方箋を書くのだろうか。

バナー写真:2021年11月に行われたバスケットボールW杯アジア地区1次予選の中国戦で、選手に指示を出すホーバス監督(2021年11月28日、ゼビオアリーナ仙台)時事

日本女子バスケットボール 日本男子バスケットボール トム・ホーバス