軍事クーデターから1年 : 弾圧が続く故国を憂い、コロナ禍で生活苦に陥る在日ミャンマー人たち
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日本人にもっと現状を知ってほしい
ミャンマー国軍がクーデターを起こし、武力で政権を奪ってからちょうど1年の節目となる2022年2月1日。外務省前には日本に住むミャンマー人200人以上が集結した。軍に虐殺された1500人以上もの人々へ黙とうを捧げると、外務省庁舎に向けて声を上げた。
「日本政府はミャンマー軍政を認めるな!」
ミャンマー語と日本語で交互にアピールする。軍に軟禁され不当な訴追を受けているアウン・サン・スー・チー氏の写真を掲げて解放を求め、政権を追われた民主派がつくった挙国一致政府(NUG)をミャンマーの正式な政府として承認するよう訴えた。
「この1年間でたくさんの人が殺されて、人生が壊された。それでも戦うしかない」
参加者の一人、ハンセインさん(55)はそう語る。1988年の民主化運動弾圧によって日本へと逃れてきた「88世代」の難民の一人だ。在日ミャンマー人たちのサッカーチーム「MFC Tokyo」の監督としても知られる。
およそ30年、祖国の変化を日本から見つめてきた。民主化が進むにつれて、チームにも自分たち難民とは違う留学生など新しい世代の若者が増えてきたと感じていたが、その矢先のクーデターだった。
「クーデターがなければ、彼らにもいろいろな未来があったと思うと、かわいそうでならない」
国に帰れば弾圧されるかもしれない。二度と自由に国外と行き来できなくなるかもしれない。そんな不安を日本で暮らすミャンマーの人々は抱えている。親兄弟にも会えない日々が続く。
「今日は外務省前での活動ですが、戦いに来たわけじゃない。ミャンマーにとって日本は昔から特に交流のある国です。だからいまの軍のやり方は間違っていると圧力をかけてほしい。日本人にももっと現状を知ってほしい」と話す。
軍の横暴と物価高に苦しむ故郷、タイに逃げた親族
医療通訳として働く、やはり「88世代」のテンテンさん(49)は、こうしてデモに参加するミャンマー人たちの生活も苦しくなってきているという。
「コロナで仕事が減って、収入が少なくなった人が増えています」
また、日本政府はクーデターのために帰国が難しくなった留学生や技能実習生らのミャンマー人に滞在の延長を認定。「特定活動」という在留資格を与える措置を取ってはいるものの、この場合は就労できるのは週に28時間と上限がある。当然、生活は苦しい。
「だから体調が悪くても、病院にも行かないんです」
そこでテンテンさんは仕事の知識を生かして健康相談を行うなど、できる限りの支援をしている。そうやって誰もが生活を切り詰めて、どうにかお金を捻出し、故郷へと送るのだ。
「ミャンマーはもっと苦しい。クーデターが起きてから物価が上がって、卵も油も高くなっている。停電も多い。インターネット交流サイト(SNS)での情報発信をさせないために、軍がときどき電気を止めているのです」
弟は北部マンダレーで観光客を乗せるタクシードライバーとして働いていたが、クーデターとコロナ禍によって仕事は激減している。
「だから、なるべくサポートしたいんです」
そう話すテンテンさんだが、活動の主役になっている留学生や社会人など若い世代のミャンマー人に対しては頼もしさを感じている。
「私たち88世代と違って、SNSをうまく使っています。メディアへのアピールもうまい。彼らの発想はすごいなと思います」
この日はそんな若者たちも、メガホンを手に集まった群衆の前で思いを語った。普段はコンビニで働いているというメイさん(23)は、「私の家族はいまタイに逃げています。そんな避難民がたくさんいます。私たちが応援して、頑張っていかなければならないんです」と訴えた。
ロヒンギャの人々も連帯してデモに参加
反国軍のうねりは、世代だけでなく民族の垣根も乗り越えて広がっている。デモには在日ビルマ・ロヒンギャ協会のアウンティンさん(53)も参加した。
「軍事政権はずっとミャンマーの国民を苦しめている。日本の皆さんにも分かってほしい」
そう訴えた。ロヒンギャと言えば、ミャンマー国内で迫害され続けてきた少数民族だ。隣国バングラデシュからの不法移民とみなされ、ミャンマー総人口の7割を占めるビルマ族からの差別も多かった。クーデター以前から、彼らは軍によって弾圧を受け続けてきたのだ。村の焼き討ちや虐殺がいまも横行し、空爆まで受けている。アウンティンさんのように国外に逃れたロヒンギャは100万人以上に及ぶ。
「毎日戦争みたいなものです。国籍もない、移動も制限されている」
しかし、クーデター後、NUGはロヒンギャに対して軍に対する「共闘」を求めるようになった。かつてはロヒンギャを否定してきたビルマ族の意識も、クーデターを機に変わりつつある。
テンテンさんは、「ロヒンギャがどれだけ苦しんできたか、私たちは知らなかった。反省しなければならない」と話す。
アウンティンさんも、「いまは一人のミャンマー国民として一緒に活動をしている。日本政府には同じアジアの国として民主的なNUGを認めてほしい」と演説し、ビルマ族から喝采を浴びた。
デモはその後、場所を変えて品川区のミャンマー大使館前でも行われた。大使館に勤務していた2人のミャンマー人外交官はクーデター後、軍の弾圧に抗議したことで解任された。いまは軍が派遣した外交官が勤務しているとみられるが、これを受け入れたのは日本政府だ。そのため、民主主義を否定して市民の虐殺を続ける軍事政権と日本政府が親密だという印象を持つミャンマー人は少なくない。
一方、アメリカではバイデン大統領がクーデター1年に合わせて、軍を批判し、スー・チー氏の解放を求める声明を発表。また欧州議会では2021年10月に、NUGの支援を決議した。欧米各地のほか、韓国でもNUGの駐在事務所が開設されている。
「それに比べると、日本は遅い」とアウンティンさんは憤る。ミャンマー人は日本に、民主主義国としての振る舞いを求めているのだ。
日本にも広がりつつある支援の輪
1年前、在日ミャンマー人たちがデモを行った時は、日本人から猛烈なバッシングを受けた。
「外国の争いを日本に持ち込むな」
「外国人が日本で政治活動をするな」
「コロナなのに集まるな」
しかし、それでもミャンマー人たちは粘り強く活動を続けた。週末ごとに街頭に立って募金を呼び掛け、チャリティーイベントを開催。オンラインでの発信も実に多い。その多くをミャンマー語と日本語で行ってきた。
するとだんだん、日本人からも支援が寄せられるようになってきた。この日のデモにもたくさんの日本人が参加。両国の若者が交流する「日本ミャンマーMIRAI創造会」を創設した大学生、石川航さん(21)もその一人だ。
「今日は有休を取ってまで参加しているミャンマー人もいます。今日だけでなく、募金も毎週行っていて、諦めることなく国の未来を信じて活動する姿を見ると、思いの強さが本当に分かります」と話す。
もともと国際協力の分野で働こうと、大学ではミャンマー語を専攻。たびたびミャンマーを訪問した。クーデターが起きた時は、現地の友人たちの顔が思い浮かんだ。何かせずにはいられないと支援を始め、ミャンマー人たちと一緒に都内の駅前など街頭に立ち、日本人に理解と支援を訴えてきた。
「最近では、日本人からも温かい言葉をもらうことが多くなってきました。日本人に対しても発信を続けてきたミャンマー人たちのまいた種が育ってきたのかなと思います」
そうして寄せられた善意をミャンマーの避難民に送り、生活物資などに充てている。
だが軍の圧政は続き、なかなか状況は厳しい。そんな故郷を異国から見つめるミャンマー人の心中は察するに余りあるが、「それでも僕にも笑顔で、いつも思いやりを持って接してくれて、こちらが学ぶことばかりです。力強さとしなやかさを併せ持っている人々だと思います」と石川さんは感嘆する。
日本に暮らすミャンマー人たちは、その柳のような民族性で、日本政府の姿勢を変えることができるだろうか。
バナー写真:ミャンマー人たちが日本政府に求めるのはNUGの承認だ(撮影:筆者)