創業以来最大の赤字:朝日新聞社で今、何が起きているのか
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デジタル化の波に乗り遅れた朝日
朝日新聞社に「エー・ダッシュ(A’)」という社内報がある。季刊で発行される60ページほどの冊子だ。新規事業の説明や職場の話題などが紹介されている。2021年の夏号は、新聞の電子版など同社が力を入れるデジタル事業の特集を組んでいるが、時代の波に翻弄(ほんろう)される大手プリントメディアの苦悩や窮状が紙背からじわりとにじみ出す内容になっている。
社内報の冒頭は、新社長が21年6月の株主総会に報告した20年度決算や個別の事業報告についての詳報。同決算は、創業以来最大の458億8700万円の大赤字を出して業界の注目を浴びた。だが総会は議案をすべて可決し無事終了したとある。続いて、「紙の新聞発行だけに頼らない持続可能な会社」に生まれ変わるため、デジタル事業部門をどのように強化するのか、各セクションの担当者が詳しく解説する特集へとつながっていく。
デジタル化の波に乗り遅れた朝日新聞が巻き返しに躍起なのは、社員なら誰もが知っている。それよりも多くの社員の目を引いたのは、社内報の末尾に載っている退職者のひと言コーナーだろう。ふだんは2ページほどなのに、この号は8ページもある。退職した社員たちの顔写真と短いコメントがずらりと並ぶ。数えてみると79人もいた。各人が在職時の思い出や後輩へのメッセージなどを短く書き寄せているが、退職理由は全員「選択定年」。異様なほどのその人数の多さが、まさに社内で進行しつつある危機の大きさを如実に物語る。
社内報の発刊以来、志半ばで社を去る人たちがこれだけたくさん一度にあいさつ文を寄せることはなかった。「大赤字、デジタル化、大量退職」。同じ社内報に収容された3つの話題は、今の朝日新聞が直面する厳しい現実をくっきりと浮き彫りにしている。
実は筆者もこの79人のうちの1人に入っている。長期的な発行部数の低落と大赤字で苦境に陥った朝日新聞は、21年1月、選択定年という名目で希望退職者の募集を始めた。期限は2カ月後の同年3月半ばまで。45歳以上の社員が対象で、目標は「100人以上」と経営部門は説明していた。約4000人の社員のうち、23年度末までに300人以上を削減する予定という。経営部門の幹部は社内向けに何度かオンラインで説明会を開き、具体的な退職金の上積みや退職後の再就職先の斡旋(あっせん)などの条件を提示しつつ、繰り返し早期退職を促した。
早期退職を選択した社員は100人近い?
筆者が早期退職したのは21年5月末。記者を38年続けた末に、体を壊して激務に耐える自信がなくなったことが主な理由だ。第1回目となるこのたびの早期退職募集に、どのくらい社員が応募したのか。気になっていた矢先だったので、社内報で知った顔ぶれに軽いショックを受けた。79人の多くは編集部門。かつて一緒に仕事をした論説委員が何人かおり、紙面を署名記事で飾ってきたベテラン記者も大勢いた。社内報への寄稿を避けた社員も含めると、辞めたのは100人近いかもしれない。経営が傾かなければ、みんな定年まで勤め上げて円満退職したのではと考えるとやりきれない。
なぜ社員を減らさなければならないのか? 経営部門がオンライン説明会で強調していたのは、おおむね次のような理由だった。≪発行部数の低減とそれに連動する広告収入の落ち込みに歯止めがかからない。新聞社としての経営を維持できず、人事給与制度改革などの構造改革は一刻の猶予もない。何とか聞き入れてほしい≫
ボーナスの4割カット、給与の1割削減、各種手当の廃止、福利厚生の縮小……。経営トップが次々と繰り出す厳しい通告に労働組合は抵抗したものの、ストライキを打つこともなく押し切られた。職場では、特ダネ競争に欠かせない「夜討ち朝駆け」のためのハイヤー使用が一部例外を除いて禁じられ、編集作業を手伝ってくれた多数のアルバイト学生が社内から消えた。出張手当が大幅に削られ、文房具の使用にまで注文が付くようになった。そうした変化の末にやってきたのが、早期退職者の大量募集だ。
とりわけ緊縮経営の打撃が大きいのが、全国紙たるゆえんである、きめ細かい地方取材網が大幅に縮小されたことだ。朝日新聞は47都道府県に漏れなく総局をおき、それぞれ地方版と呼ぶ紙面を作っている。ところが、昨年春から総局の下にある各地の支局を廃止したり、地方記者を削減したりして、47あった総局機能を18のブロックへと集約した。たとえば東北地方であれば青森、岩手、秋田を同じブロックに統合するといった具合に。新人記者の採用数も減り、地方記者の高齢化が進み、1人あたりの業務や負担は格段に増したという。
日ごろからコンテンツ力やブランド力の高さを内外に誇ってきた新聞社だからこそ、本来なら、本体の新聞発行事業を立て直し、さらに読まれる新聞をめざすべきではないか。ところが、そんな理想論が通用しないほど事態は深刻だった。創刊142年目にして朝日は新聞社の屋台骨とも言える「ひと」のリストラに踏み切り、経営失敗の責任を取って前任の社長が退いた。
凋落著しい新聞業界
確かに数字で見る新聞業界の凋落(ちょうらく)ぶりは目を覆いたくなるほどだ。日本新聞協会によると、新聞(一般紙)全体の発行部数は1990年代半ばの約5300万部をピークに年々下がり、21年末には約3000万部にまで落ち込んだ。20年ちょっとで、およそ2000万部が減った計算になる。筆者が途中入社で朝日新聞に入った1990年、同社は公称800万部以上と喧伝していた。
潮流は大きく変わった。朝日新聞の部数は2015年に700万部近くに、18年には600万部を割り込んだ。下落ペースは対前年比で、中堅地方紙の総発行部数に匹敵する40万部前後にも及ぶ。その後もつるべ落としのように、21年9月には500万部を割って468万部となった。
こうした急速な読者離れに伴って、朝日の業績もすさまじい勢いで悪化した。ここ10年間の売上高の推移を有価証券報告書で見てみた。最も高かったのは12年3月期の4762億円(年度決算ベース、連結売上高)。ところが10年後の21年3月期は2938億円と、およそ4割も減っている。連結売上高が4000億円台を維持していたのは16年まで。20年3月期の3536億円から翌21年3月期には2938億円へと、1年で一気に600億円も売上高が激減した。この急激な落ち込みは、おそらく長期的な読者離れに加え、コロナ禍の拡大が災いしたのではと推測できるが、こうした数字の激変ぶりを見て、ようやく筆者は勤め先の深刻な困窮が理解できるようになった。
むろん、じり貧は朝日だけの問題ではない。他の全国紙も地方紙も等しく同じ問題を抱えて苦しんでいる。規模は違えども、どの新聞社でも賃下げや早期退職が横行している。電波媒体のテレビ各局も似たような試練にさらされている。なぜ既存メディアは時代の変化に適応できなかったのか。指摘されている要因は、スマホの普及と既存メディアのネット環境への乗り遅れだ。
スマホの普及と軌を一にする部数減
筆者は2010年代に入ってスマホが若者を中心に普及し始めると、通勤電車内で新聞を読む乗客の姿がみるみると減っていったのを鮮明に覚えている。総務省の統計によると、16年には20代、30代の若者の90%がスマホを持っていたと報告されている。朝日新聞が「asahi.com(アサヒ・コム)《現・デジタル朝日》」を開設し、インターネットでニュース速報などを流し始めたのは1995年。以来、自前のウェブサイトを通じて無料でニュースを配信してきた。
ところが購読者数が減少するのと反対に、ウェブのページビューは急増することに。それを知ってようやくニュースの有料サービスを並行して始めたものの、ネット利用者の間にはすでに「ニュースはタダ」という先入観が根付いてしまっていた。かくしてスマホで「タダのニュース」を見る読者が爆発的に拡大し、新聞離れに拍車をかける要因になった。
加えて、新聞各社はそれぞれ自前のネットサイトだけでニュースを配信し、新聞業界が一体となって独自のポータルサイトを創設することができなかった。あるいは試みたものの失敗した。これも敗因の一つに挙げられよう。その結果、記事にひもづく広告を巨大ニュースプラットホームの「Yahoo!ニュース」などのニュースポータルに奪われてしまい、ネットニュースの配信からほとんど収益を得ることができなくなって現在に至る。このあたりの事情や経緯は、ノンフィクション作家下山進氏の著書『2050年のメディア』(文藝春秋)に詳しい。
日本の紙媒体がデジタルシフトを始めたのは1990年代後半。まず日経新聞が有料の電子新聞に取り組み始め、それを朝日新聞など他紙が追った。しかしダントツで成功しているニューヨークタイムズなど米国メディアに比べると出遅れ感が強く、コンテンツも見劣りすると専門家らは指摘する。デジタル化を収益の向上につなげるためには、やはり読者がお金を払ってでも読みたいと思う優れたコンテンツを作る仕組みが必要になる。少なくとも日経電子版は収益化に成功しているが、他社は多くの資源を投資している割に成功していないのが実情だ。
窮余の一策は購読料の値上げ
かくして朝日新聞は窮余の一策として21年7月、27年ぶりに購読料の値上げに踏み切った。1カ月前の同6月に紙面に載った社告では、インターネットの普及で新聞事業が圧迫を受けていること、製作コストが増していることなどを挙げ、「ネット上にフェイクニュースが飛び交う今、新聞の役割は増している」と理解を求めた。しかし景気低迷のさなかの唐突な値上げを読者がどうとらえたかは、いずれ購読者数の変化で明らかになるだろう。
値上げによって、収益の下落は一時的に収まった。21年11月末に発表した21年度9月中間連結決算は、売上高が前年同期比で下がったものの、営業利益は値上げのおかげもあって31億円の黒字に転じた(前年同期は約93億の赤字)。しかし、社内では「現在の減紙率でいけば黒字が続くのは長くて2、3年」とささやかれている。いずれにせよ大胆な経営改革を敢行することなしにこの難局を乗り切ることはできない。
デジタルシフトの成否
朝日新聞は目下、デジタルシフトに起死回生の望みを託し業績回復に躍起になっている。モデルは、デジタル版の飛躍的な伸びで成功を収めたニューヨークタイムズ(NYT)など米国の先行組のメディアだ。実はリーマンショックのあおりで、10年前のNYTは事業継続が危ぶまれるほどの苦境にあった。最初に取った対応は社員のリストラだった。2009年から12年にかけて編集部門の100人以上が希望退職で職場を去った。人件費が占める割合の大きなメディア経営ではやむを得ない選択だったのかもしれない。
だが根本的に窮地を救ったのは、最高経営責任者(CEO)による大胆な変革だった。英国BBC放送会長から同紙CEOに転じたマーク・トンプソン氏は、徹底したデジタル化の陣頭指揮を取りデジタル部門に多額の経営資源を集中させた。トランプ政権やコロナ危機、セクハラ問題など社会の関心が高いテーマを、優秀な記者たちが次々と調査報道の手法で掘り下げ、読み応えのあるコンテンツに仕立てて発信。着実に購読者を増やし、有料版の読者数は昨年、1000万を突破し業績のV字回復へとつながった。
朝日は同じ道をたどれるか。今のところ、人減らしに加え、デジタル化も順調とは言えないようだ。社内にはバーティカルメディアと呼ばれる領域を絞った無料ニュースが乱立し、肝心の有料コンテンツが埋没しているように見える。
「質の高い報道」と「安定した経営」は互いに矛盾するものではない。米国でも日本でも、プリントメディアが生き残るカギが「有料デジタル版をどうしたらとってもらえるか」(下山進著『2050年のジャーナリスト』毎日新聞出版)にあるのは間違いない。有料であっても読者が飛び付きたくなるような報道とは何か。とことん考え抜いて結論を出せるかどうかに朝日新聞社の再生はかかっている。
バナー写真:朝日新聞社東京本社社屋(東京都中央区)時事