珍手・奇手に“幻の技”――「決まり手」で観る大相撲【前編】
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俗に言う「相撲四十八手」とは
決まり手とは、勝負が決まった時の技を指す。勢い余って自ら土俵外に足を出す「勇み足」といった自滅行為や、相手の髷(まげ)を引っ張るなどの反則行為、さらにまわしの前袋が外れる「不浄負け」で勝負が決まることもまれにあるが、一般的には、攻撃を仕掛けた力士の技となる。
ちなみに、決まり手を目視で確認するのは、土俵近くに座っているアナウンス係の行司。瞬時に判断するのが難しい場合は、別室で取組を見守っている決まり手係の親方に、手元の電話で連絡を取り、指示を仰ぐ。
「相撲四十八手」とよく言われるため、決まり手の総数を48と思い込んでいる人も多いが、現在、日本相撲協会が定めている手は82に上る。
「48」という数字は、鷹の種類が多いことを「四十八鷹」と言うように、古来、数多くあるという意味に使われてきた。また、縁起のいい数としても知られており、こうした経緯から相撲界でも使われるようになったようだが、「四十八手」に全く根拠がないわけではない。
というのも、江戸時代には、古くから伝わる「反(そり)」「捻(ひねり)」「投(なげ)」「掛(かけ)」の4項目を、各12手に分けて、「四十八手」とした文献が数多く見られる。実際には、「四十八手の裏表」と言われてさらに多くの決まり手が存在し、延宝年間(1673年〜1681年)に描かれた書図絵には120手も掲載されている。さらに行司の口伝を含めるとその数は300にも達したといわれる。
“インテリ”秀ノ山親方、立ち上がる
ただ、さすがに伝統を重んじる相撲界と言うべきか、日本相撲協会では1950年代まで「相撲の決まり手は四十八手」という公式見解を変えなかった。もっとも、それは建前にすぎず、実際に勝負がついたあとは、「四十八手」に全くとらわれずに場内発表していたのである。しかも、発表された決まり手が星取表に記載されることもなかった。統一見解がなかったため、判断が難しい技で勝負が決まると、各新聞にバラバラの決まり手が掲載されることも珍しくなかった。
こうした実情を問題視し、相撲協会がようやく重い腰を上げたのが1955年5月のこと。早稲田大学出身のインテリ力士だった秀ノ山親方(元関脇・笠置山)を中心に、決まり手を整理・統合し、以下のように68手を制定した。
(1)突き出し(2)突き倒し(3)押し出し(4)押し倒し(5)寄り切り(6)寄り倒し(7)浴びせ倒し(8)下手投げ(9)上手投げ(10)小手投げ(11)掬(すく)い投げ(12)出し投げ(13)腰投げ(14)首投げ(15)一本背負い(16)二丁投げ(17)櫓(やぐら)投げ(18)掛け投げ(19)つかみ投げ(20)内掛け(21)外掛け(22)ちょん掛け(23)切り返し(24)蹴(け)返し(25)蹴手繰(けたぐ)り(26)三所(みところ)攻め(27)渡し込み(28)二枚蹴り(29)小股すくい(30)外小股(31)大股(32)褄(つま)取り(33)足取り(34)裾(すそ)取り(35)裾払い(36)居(い)反り(37)たすき反り(38)撞木(しゅもく)反り(39)掛け反り(40)外たすき反り(41)突き落とし(42)巻き落とし(43)とったり(44)逆とったり(45)肩透かし(46)外無双(47)内無双(48)頭(ずぶ)捻(ね)り(49)上手捻り(50)下手捻り(51)網打ち(52)鯖(さば)折り(53)波離間(はりま)投げ(54)腕(かいな)捻り(55)合掌捻り(56)首捻り(57)引き落とし(58)引っ掛け(59)叩(はた)き込み(60)吊り出し(61)吊り落とし(62)送り出し(63)送り倒し(64)割り出し(65)打っ棄(ちゃ)り(66)極(き)め出し(67)極め倒し(68)呼び戻し
決まり手にはなかなか粋な呼び名が多い。以下にいくつか紹介すると――。
1960年1月には、「出し投げ」を「上手出し投げ」と「下手出し投げ」に分け、「河津(かわづ)掛け」を加えて70手にマイナーチェンジ。この70手プラス、非技と呼ばれる「勇み足」と「腰砕け」の勝負結果が長い間、日本相撲協会公認の決まり手として運用されてきた。
勝負の75%は、土俵から出したり引いたりして決まる
ところが、21世紀を迎えて力士の体格の向上や相撲のスピード化、さらに外国人力士の台頭が進むと、従来の決まり手に当てはめるのが無理な技が増えてきた。そこで日本相撲協会は、2001年初場所から決まり手を一気に12手増やし、現行の82手とした。
(71)小褄(こづま)取り(72)伝え反り(73)大逆手(おおさかて)(74)徳利(とっくり)投げ(75)小手捻り(76)素首(そくび)落とし(77)送り吊り出し(78)送り投げ(79)送り吊り落とし(80)送り掛け(81)送り引き落とし(82)後ろもたれ
同時に、非技も「つき手」「つきひざ」「踏み出し」が加えられて5つになった。
82手と数は多いが、わずか15尺(約4m55cm)という狭いサークルから出たら負けというルールもあって、寄り切り、押し出し、寄り倒し、押し倒しで全体の60%を占める。さらに、叩き込み、突き落としなどの「引き技」系が15%と、相手を土俵から出す技と、引いて決める技で全勝負の4分の3を占める。
というわけで当然、本場所の土俵ではめったに決まらない技も多い。なかでも掛け反り、撞木反り、たすき反り、外たすき反りの4つの「反り技」に至っては、決まり手制定後、70年近く経つが本場所では1度も決まっていないのだ。
珍手・奇手との“出会い”は相撲ファンの財産
一生に何度も見ることができない珍手・奇手との邂逅(かいこう)は、相撲ファンにとっての望外の喜び。たとえ上位陣の取組ではなくとも、館内は興奮のるつぼと化す。そうした珍しい技が決まった例をいくつか紹介しよう。
【三所(みところ)攻め】
内掛け、または外掛けで攻め、相手のもう一方の足を手で外側から渡し込むようにし、頭で相手の胸を突きつけて仰向けに倒す。一度に3カ所を攻めることから命名された。
1950年代、那智ノ山が十両で4回決めているが、その後は誰も試みる者がおらず、“幻の技”となりつつあったこの技に、一躍スポットライトを当てたのが、「平成の技のデパート」舞の海(最高位小結)だ。
1991年九州場所11日目の曙(最高位横綱)戦。身長差33cm、体重差100kg、しかも初顔合わせとあって、観客は制限時間前から大興奮。舞の海は立ち合い、大きく背伸びするようにフェイントをかけてから下に潜り込む“一人時間差”で曙の懐に飛び込むと、曙の巨体を裏返した。
まさに、牛若丸と弁慶の対決を彷彿(ほうふつ)させる一番だったが、相撲協会は無粋にも「三所攻め」が外れたあとの「内掛け」を決まり手として発表。だが、舞の海は翌92年秋場所13日目の琴富士戦で“晴れて”三所攻めを決めると、93年秋場所初日でも巴富士を仕留めた。
舞の海以降、この奇想天外な技にチャレンジする力士はしばらく現れなかったが、2019年九州場所8日目、172cm・118kgの石浦が185cm・166kgの錦木を相手に、実に26年ぶりに決めて話題となった。
【外無双(そとむそう)】
相手の太ももの内側を手の甲で外に払い、払った手の反対側へ相手をひねるように倒す「内無双」は、毎場所のように見ることができる。ところが「外無双」となると、めったにお目にかかる機会はない。左四つなら、左の差し手を抜いて相手の左膝の外側に当て、相手の差し手を抱えてひねり倒す。上からつぶされる危険性も高いが、うまく決まれば相手が弧を描いて裏返る豪快な技である。
決まり手制定後、幕内では12回しか記録されておらず、名手は特定される。二子岳(最高位小結)が1970年前後に5回、「技のデパート・モンゴル支店」こと旭鷲山(同小結)が1990年代後半に3回決めており、ほぼ2人の独占状態だ。
【櫓(やぐら)投げ】
投げを打つほうの足の膝を相手の内股に入れ、吊り気味に振り上げて落とす豪快な技だ。
羽島山(最高位関脇)や常錦(同前頭)が得意としていたように、1950-60年代には幕内で18回成功するなど、かつては本場所でも時折見られた技だった。
その後は減少傾向をたどったが、最も豪快に決まった一番と言われているのが、1972年春場所11日目、大関・琴桜(のち横綱)と前頭筆頭・貴ノ花(のち大関)の対戦。
貴ノ花がもろ差しで寄り立てると、琴桜は土俵際、左を巻き替え、相手の右外掛けにも構わず、左足を貴ノ花の内股に入れ、跳ね上げながら左からの投げで軽量の貴ノ花を裏返した。
櫓投げを決めるのには強靭(きょうじん)な足腰が必要である。力士の下半身の鍛錬不足や、重量化に拍車がかかったこともあり、1975年九州場所9日目で青葉山が決めて以降、本場所では姿を消していた。久しぶりに“復活”させたのは朝青龍。2009年名古屋場所13日目、横綱・朝青龍は大関・日馬富士を相手に34年ぶりに大技を決めたのだった。
それ以降も1度しか出ていないが、その成功者もモンゴル出身の横綱・白鵬。2015年九州場所7日目、隠岐の海の寄りに土俵に詰まったものの、のけぞりながら左足一本になって右膝の上に相手の体を乗せ、逆転勝ちを収めた。
モンゴル出身の両横綱が、身体能力の高さを見せつけた2番といえるが、日本人力士にもそろそろ決めてもらいたい大技だ。
さて、続く「後編」では、決まり手制定後、本場所では1度も決まっていない「珍手中の珍手」に焦点を当てるとともに、現在の角界で「業師」と呼ばれている“異能”力士たちも紹介しよう。
バナー写真:「八艘(はっそう)飛び」や「猫だまし」など変幻自在な動きでファンを魅了した舞の海。三所攻めを仕掛けた1991年九州場所11日目の曙戦は、相撲史に残る名一番となった。桟敷席の観客の表情がそれを如実に物語る。時事