ニッポンの異国料理を訪ねて:祖国に帰れない同胞と東京の下町を結ぶ“食事外交”の中心地、四つ木「リトルエチオピア」
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下町に息づく小さなコミュニティー
東京・新大久保のコリアンタウンに横浜の中華街――。日本には、それと知られるエスニックタウンがいくつかある。だが意外な場所に、ひっそり息づくコミュニティーも少なくない。
下町の風情が漂う、東京・葛飾区の四つ木もそのひとつ。100人弱が暮らすエチオピア人コミュニティーがあり、京成押上線四ツ木駅の目と鼻の先にある「リトルエチオピア レストラン バー」には、同国出身の人々に加えて、日本のエスニック料理愛好家も足を運ぶ。
「リトルエチオピア」には、この国ならではの3つの名物がある。インジェラ、ドロワット、そしてコーヒーだ。
この店の料理の多くは、クレープのような生地にカレーのようなおかずを載せた形で提供される。この生地をインジェラ、おかずをワットという。ドロワットはワットの一種だ。
保守色の強いエチオピアでは台所は女性の聖域。うまいインジェラ、ドロワット、コーヒーを出すことが良妻の条件と考える人は多い。
2016年にオープンした「リトルエチオピア」も、厨房に立つのは来日10年になる妻ミーナさん(本名はティベベ・メニベレさん)。来日17年になる夫エフレム・ハイレさんは日中は外で働き、仕事を終えて夜の営業に駆けつける。
エフレムさんが、インジェラについて解説する。
「インジェラは大多数のエチオピア人の主食で、日本人にとってのお米のような存在です。材料は稲の一種で、スーパーフードとしても知られるテフ。このテフの粉を、水でこねて発酵させます」
良いインジェラの条件は3つあり、酸味と甘味のバランスがいいこと、ふわふわした食感があること、そして表面にできる気泡の穴が細かく均等に分散することだという。エチオピアの家庭では結婚後に苦労しないよう、娘が7歳になると母がインジェラづくりを教え込むらしい。
一方、おかずに相当するワットには、鶏、羊、牛といった肉に野菜など、数えきれないほど種類がある。
その中でも一番人気が、前述したドロワット。ドロは鶏、ワットはカレーという意味。その名の通り、煮込んだ大きな手羽元が一本、ゆで卵と一緒に「バルバリ」と呼ばれるスパイススープに沈んでいる。これをインジェラに包んでいただくのだ。
ドロワットの突き抜けるような辛さに、インジェラの酸味と甘味が混ざり合って生まれる深みのある味。これがクセになり、店に通う常連がいるというのもうなずける。
エチオピア流「おもてなし」の作法
筆者は何度も「リトルエチオピア」に通ったが、あるとき興味深い光景を目撃した。エチオピア人グループがインジェラを手に取って、互いの口に運んでいるのだ。
目を丸くする筆者に、店主のエフレムさんが教えてくれた。
「これは“グルシャ”といって、友だちやお客さんに親愛の気持ちを示すもの。自分が食べさせてもらったら、相手にもお返しをしなければいけないんですよ」
そう言って、うれしそうに筆者にグルシャをしてくれた。なんだかまるでエチオピアにいるような気分だ。
インジェラ&ワットでお腹いっぱいになると、今度はコーヒー。これもまた、エチオピアの食卓には欠かせないもの。コーヒー発祥の国エチオピアには、日本の茶道に相当する“コーヒーセレモニー”という文化がある。
煎った生豆の香りで客人をもてなし、ジャバナと呼ばれる素焼きのポットで水を沸かしてから、細かく砕いたコーヒーの粉を入れて煮立てる。コーヒーの風味を楽しみながら、家族や友人たちとのひとときを過ごすのだ。
「私たちの国では、コーヒーは近所の人たちと語らいながら楽しむもの。昔は遠くからの旅人がいれば、コーヒーでもてなし、各地の話に耳を傾けたものです。エチオピアでは、コーヒーが人と人をつなげてくれるのです」
店に居合わせたお客さんたちと分かち合う、本場のコーヒーのひととき。こうして四つ木の夜は更けていく。
祖国へ戻れなくなった人々
それにしても、と思う。エフレムさんはなぜ、日本に来たのか。そして四つ木に多くのエチオピア人が集まったのは、なぜだろう。
2004年、エフレムさんが日本にやって来たのは、兄の仕事が理由だった。
「大学卒業を控えていた私に、日本の大使館で働いていた兄が仕事を手伝ってよと連絡してきたんです。それで日本行きを決めたわけですが、日本で知っていたのは、最先端のテクノロジーがあることと『おしん』くらいでした」
『おしん』とは1983年から84年にかけて放送された、NHK連続テレビ小説の作品。戦中、戦後をたくましく生き抜いた女性の一生を描き、テレビドラマ史上最高視聴率となる62.9%を記録した。
世界68の国と地域で放映された『おしん』は、エチオピアの大衆の心をわしづかみにした。おしんが吹雪の中、いかだで最上川を下っていくシーンは、彼の国でも語り草となっている。
「ほんとです。『おしん』が放送されると通りから人がいなくなり、みんなテレビを見て泣いたんです」とエフレムさんは力説する。
おしんの国で幕を開けた、新しい人生。日本で妻ミーナさんと出会い、二人の子どもが生まれた。だが、思い通りにはいかない。2005年のエチオピア総選挙を契機に国情が乱れ、気がつけば、本国に帰ることができなくなってしまったのだ。
「80もの人種がいるエチオピアでは長く紛争が続いていて、人権問題もある。私の両親は教育熱心で私たち兄弟を大学で学ばせてくれましたが、兄弟は政府のやっていることに納得できず、野党を応援するようになった。それで政府から目をつけられるようになったんです」
現実に身の危険が迫ったことで、アメリカに渡った兄弟もいる。
「祖国に残る親や兄弟には、もちろん会いたいよ。でも彼らも帰ると危ないことを知っているから、帰って来いとは言わない。だから私は日本で働き続けているんです」
残念ながら、祖国への道は険しい。2021年11月には北部で大規模な軍事衝突が起き、虐殺や拘束が相次いでいる。日本には現在400人~500人のエチオピア人がいるが、エフレムさんのように、複雑な事情を抱えた人は少なくない。
地域に根を張るための秘訣
四つ木には、エチオピア人ばかりが住む昔ながらの木造アパートがあり、その一室にアデイアベバ・エチオピア協会というNPO法人の事務所がある。設立者のひとりで理事のアベベ・サレシラシェ・アマレさんが、この町とエチオピア人のかかわりについて聞かせてくれた。
「言葉ができない外国人には、日本でアパートを借りるのも大変。初期に来日した人が、たまたまいい大家さんに出会ったことから、四つ木にエチオピア人が集まり始めたようです」
アベベさんらは2009年にNPO法人を立ち上げ、同胞を支援するようになった。
「四つ木周辺には廃油や皮革の工場があり、言葉が不自由なエチオピア人の多くが働いています。汚くきつく危険な、いわゆる3K労働。かつては不当解雇や給料未払いなどもありましたが、いまはほとんどありません」
アベベさんの活動は多岐に渡り、労働争議だけではなく、役所や病院での通訳や日本語教室の開催、弁護士の紹介なども行なう。コロナ禍では、生活に困ったエチオピア人に野菜や米を配給した。
同胞のために、無休無給で汗をかくアベベさん。彼が活動の中で大切にしていることがある。それは日本人との交流だ。
「ヨーロッパでは移民が固まって暮らすことで、地元住民と対立することがあります。四つ木でも以前、屋外でエチオピア人が酒盛りをして警察沙汰になりました。それはいいことではありません。私は日本人と仲良くすることが大切だと考え、両者が交流するイベントを数多く行なっているのです」
盆踊りがあれば協力し、小学校の授業でエチオピアのことを伝え、地元高校生とサッカーの試合をしたことも。こうした地域活動の中で、大きな助けとなるのが食だという。
「私は“食事外交”と呼ぶのですが、地元の日本人住民を招いてインジェラを食べたり、コーヒーセレモニーをしたりしています。食事をすると心が穏やかになり、互いが親しくなるでしょう。そうやっていい関係を築いていこうと思っています」
食は言葉の壁をも超える。当初はエチオピア人ばかりだった活動も、いまでは日本人参加者が半数近くを占めるようになった。
東京の下町で続けられる、エチオピアと日本の“食事外交”。その中心にあるのが「リトルエチオピア」。エフレムさんが「同胞の憩いの場に。そして日本に祖国の文化を伝えたい」という思いで開いた店は、四つ木に欠かせないものになった。
バナー写真:インジェラの上に盛られた、「リトルエチオピア」の定番メニューであるチキンカレーの「ドロワット」(右・1500円)と、ラム肉のシチュー「イェベグアリチャワット」(左・1150円) 写真=渕貴之