バルトの小国リトアニアが示す、台湾へのシンパシー
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自由と民族の誇りと
バルト海に面するエストニア、ラトビア、リトアニアは、全部の面積を合わせても日本の半分に届かない小国ばかりだ。機上から眺めると、大地は精霊が住んでいるような神秘的な森に覆われて、美しい緑のグラデーションに彩られている。
2004年、私はエストニアで開かれた『歌と踊りの祭典』を見学しがてら、初めてバルト三国を訪れた。エストニアとラトビアでは5年ごとに、リトアニアでは4年ごとに国を挙げて行われる民族の大イベントだ。期間中、世界中に移住した人々も故郷へ戻り、10万人を超える参加者が会場を埋めて、伝統の歌を自国語で合唱し、あでやかな衣装で踊る。バルト三国はこの民族の魂とも言える祭典をソ連邦時代も続けてきた。大国が押し付けるプロパガンダまがいの歌や踊りに対する静かな抵抗の証しとして・・・・・。
そして1991年。人々はソ連邦のくびきからようやく解放された。国境を越えて人間の鎖で連帯し、自らの国家の復元と民主を勝ち取ったのである。
それまでの道のりは長かった。バルト三国は18世紀から帝政ロシアの支配下に置かれ、ロシア革命翌年の1918年に独立を果たしたが、1940年にソ連の赤軍が侵攻、その後赤軍に代わってナチスドイツが侵入し、1944年には再びソ連の赤軍がリトアニアを占領した。第二次大戦後はソ連邦に併合された歴史がある。ソ連の共産党政権は大量のロシア人を各国へ送り込むと同時に、非共産党員、民族主義者、学生、パルチザン、司祭といったインテリ層を粛正し、多くの一般市民を家畜用列車に詰め込んでシベリアの強制収容所へ送った。リトアニアの首都ビリニュスの中央駅には、当時輸送に使われた列車が現在も展示されている。
市民を監視していたKGB(旧ソ連の国家保安委員会)の取り調べや処刑場を保存した博物館をビリニュスで見学した際、私は台湾の国民党政権下で続いた白色テロ(※1)を思い出さずにはいられなかった。
中欧鉄道で運ばれた大量の物資
第二次大戦中に、命のビザを発行してユダヤ人を救った杉原千畝の記念館があるカウナスや首都のビリニュスに中華料理店が目立つようになったのは、2014年を過ぎたあたりだったろうか。2013年に習近平国家主席が「一帯一路」構想を発表してから、リトアニアにもチャイナマネーが見え隠れするようになったのだ。
中華料理店が増えたとはいえ、どの店も商売気がなく味にも無頓着。中国人が携帯電話を片手にたむろしている光景に、私は違和感を覚えたものだ。やがて、世界遺産に登録されているビリニュスの旧市街に並ぶリトアニア土産に「made in China」のタグが目立つようになり、市場から自然素材の手編みのバスケットが姿を消し、ビニールのショッピングバッグが完全に取って代わった。無理もない、この頃には中国とヨーロッパをつなぐ貨物車両が月間千便近いペースで運行され、中央アジアを通り、ポーランドのワルシャワまで大量の物資を運んできていたのだから。
2018年に旅行をしたときは、泊めてもらった友人のマンションに中国人オーナーが数人いると聞き、びっくりもした。中国資本によるリゾート開発やショッピングセンターの計画が地方の街からも聞こえてきた。
しかし、リトアニア側が期待していたほど、中国からの投資も観光客数も伸びなかった。それどころか、中国の提唱する広域経済圏構想に乗って、いわゆる“債務のわな”にはまる低中所得国がメディアで取り上げられるようになった。
「当初は、リトアニア政府も現実的な経済政策をとっていたので、中国との関係強化に務めてきました。しかし一昨年、国家保安局が“中国は脅威である”との見解を公表しました。リトアニアは現在、中国と中東欧の金融機関(CEEC17+1)からも脱退しています」
政府の外交政策についてこう語るのは、メンバーに数人の大臣、副大臣、国会議員も含まれる「リトアニア台湾フォーラム」(LTF)の副会長を務める、ヴィータウタス・マグヌス大学准教授のA・ジーカスさんだ。彼はアジア通の学者として知られているが、2003年に初めて台湾を訪問して以来、その魅力にひかれてリトアニアと台湾の人的、学術交流に力を注いでいる。2018年にはリトアニアで初めての台湾に関する著作を出版した。
台湾でリトアニア製品の爆買い
リトアニア政府の外交方針転換は、2021年7月にアストラゼネカ製の新型コロナウイルス予防のワクチンを2万回分、友好の証しとして台湾へ届けたことにも現れている。
「ささやかな方法とはいえ、Covid-19との戦いで台湾の人々との連帯を示すことができることを誇りに思います。自由を愛する人々はお互いに気を配るべきです!」
ランズベルギス外務大臣は自身のツイートにこう書き込んだ。彼は1991年の国家復元(※2)に指導的な役割を果たした、ヴィータウタス・ランズベルギス元国家元首の孫に当たる。
台湾の人々は、リトアニアからの好意に対し、感謝の気持ちをリトアニア製品の爆買いという形で表した。北部シャウレイに本社のある老舗のチョコレートメーカー『Rūta』(ルタ)には、台湾からの注文が普段の10倍以上増えて、在庫の補充におおわらわだったそうだ。しかも、「多くの顧客が、オンライン注文に“ありがとう、リトアニア”のメモを残したと(メーカーの担当者は)語った。『リトアニア(立陶宛)』という単語は、台湾のGoogleでも20万回以上検索され、“今週最も人気のあるキーワード”の1つになっている」といった内容のニュースがリトアニア国内で流れ、台湾のニュースサイトも、爆買いの様子を以下のように記した。
「台湾国内の金融機関間のクレジットデータを取り扱う金融聯合徴信センターによると、2021年2月から6月にかけてリトアニアに対する購買行為が11万2000件を超え、総消費額25億3700万台湾元(約101億円)に達しており、リトアニアが突如として台湾におけるクレジットカード支出国ランキングで7位に付けた。リトアニアに存在する台湾企業の多くは食料品の輸入業者で、今回の爆買い現象の中で人気を博しているのはリトアニア製のチョコレート、ビール、ビスケットなどの嗜好(しこう)品だ」
リトアニアの一般国民の間ではまだ日本に対する興味のほうが高いけれど、民主主義という同じ価値観でつながる台湾への関心は、今後増えていくだろう。交流が進めばリトアニア特産のリネンや純度の高い蜂蜜やワインももちろんだが、なんと言っても台湾から半導体、レーザーなどの科学技術をリトアニア側が「爆買い」するようになるのではないか。
明確なメッセージが次々と
このように、EU諸国が次々に台湾との友好政策を打ち出してきたのは、独自の社会主義によって新しい秩序を作り、世界を牽引(けんいん)しようとする中国共産党の野心に警戒を強めているからだと思われる。特に、ソ連時代に自由も人権も奪われた体験を持つ国々では、二度と共産主義による強権支配はごめんだという国民の総意がある。苦難の歴史体験が、台湾、香港、新疆ウイグル自治区、チベットへのシンパシーにつながっているとしても何の不思議もない。
2021年の9月に台湾を訪問し、立法院(日本の国会)で演説したチェコの大統領に次ぐ実力者であるビストルチル上院議長も台湾へのシンパシーが強い。彼は、議場から『私は台湾人です』と語りかけている。11月初めに台湾を公式訪問した欧州議会議員団の代表グリュックスマン議員は、蔡英文総統との面談で以下のように述べた。
「われわれは非常にシンプルで明確なメッセージを伝えに来た。台湾は孤独ではない。欧州がともにいる」
どのメッセージにも台湾への親近感がにじみ出ているではないか。民主主義を同じくする諸国は、中国という巨大な国のすぐそばで、経済的、軍事的などさまざまな圧力にさらされながらも、民主社会を築いたことを高く評価しているのだ。中国はこうした動きに反発して、中国でビジネスをするEU各国の企業に制裁を加えたため、リトアニアでも一部のビジネスマンからは不満が上がっているそうだ。
だが、そうした声をよそに2021年11月に、首都ビリニュスに実質上の大使館に当たる『台湾駐リトアニア代表処』がオープンするとの正式発表があり、ラトビア、エストニアとの関連業務も視野に入れて、今年からスタートする。
そう、潮目は中国から台湾へと変わりつつある。
今後、中国とヨーロッパを結んで疾走する貨物列車の轟音(ごうおん)が、少しは減るのかそれとも変わらないのか、じっと耳を澄ませていようと思う。
バナー写真=リトアニアからワクチン援助を受けた台湾政府(7月31日、台湾外交部提供)