福井発の「麦ストロー」を全国へ、仕掛け人・重久弘美さんを突き動かす思い

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大麦の産地である福井県に、通常は廃棄される茎を使った「麦ストロー」の普及に取り組む女性がいる。かつて会社員や保育士だった重久弘美さんは、なぜ大手企業も巻き込んで麦ストローを全国に広める仕掛け人になったのか。

山から吹き下ろす北風に青い若葉が揺られる。福井市にあるこの麦畑にも、少しずつ冬の足音が近づいている。

「10月に種をまいてすぐに芽を出した麦は、若葉を茂らせて、冬の間、じっと雪の下で過ごすんです。そして春になって雪が解けると、一気にグングン伸びていきます」

11月上旬の六条大麦の様子。種をまいてから2週間程度しか経過していないという
11月上旬の六条大麦の様子。種をまいてから2週間程度しか経過していないという

こう語るのは、麦を使った食品などを製造・販売する大麦倶楽部の重久弘美代表だ。

福井県は麦茶の原料である六条大麦の収穫量で日本一を誇る。実は今、この地で作られている「麦ストロー」が注目を集めているのをご存じだろうか。

麦ストローとは、通常であれば麦を刈り取る際に廃棄してしまう茎の部分を使ったもの。2010年に麦ストローを製品化し、世の中に広く紹介しようとしているのが、重久さんだ。

「紙のストローと違って、水に強いのが麦ストローの特徴。実際、ご家庭で使う分にはしっかりと乾燥させれば2回~3回は使えますよ。麦のほのかな風味を感じることもできます」

この素朴で、かつエコロジーである点などに、アサヒビールホールディングスなどの企業も興味を持ち、普及のためのプロジェクトが立ち上がった。重久さんも全国の麦農家などとオンライン会議で作り方を共有している。

重久さんはなぜ、麦ストローに携わるようになったのだろうか。

麦ストローの束
麦ストローの束

麦ストローとの出会い

福井市の市街地で生まれ育った重久さんは、学校を卒業後、15年ほど会社勤めをしていた。その後、結婚・出産を経て、保育士として働くようになる。

その時期に前後して、農家だった夫・典嗣さんの父親から麦ストローの存在を教えてもらった。聞くところによると、麦畑とともに暮らす人たちは、昔から麦をストロー代わりにして飲み物を飲んだり、シャボン玉の道具に使ったりしていたそうだ。

「田舎育ちではなかったので、こんな素敵なものがあるとは知らず、びっくりしたのを覚えています」

重久弘美さん(右)と夫の典嗣さん
重久弘美さん(右)と夫の典嗣さん

ある日、保育園の子どもたちと近所の麦畑を散歩しているときに、覚えたての麦ストローを作ってあげたところ、子どもたちは大喜びした。その様子を見た重久さんは、「もっと多くの人たちに教えてあげたい」と、地元の図書館で親子向けのワークショップを開くなどして、麦ストローの魅力を伝える取り組みを始めるようになった。

福井と麦

重久さんが麦ストローを広めたいと思ったのには理由がある。福井の美しい麦畑を県外の人にも知ってほしかったからだ。

「収穫時期になると麦畑が一面、黄金色にキラキラと輝いているのです。この風景を皆さんに見てもらいたい」

黄金色が美しい麦畑(写真提供:重久さん)
黄金色が美しい麦畑(写真提供:重久さん)

先に触れたように福井は六条大麦作りが盛んな地域である。農林水産省の作物統計によると、2020年の収穫量は1万4000トンで全国トップ。歴史をひもとくと、1970年代に、稲作の減反政策に伴う転作として栽培するようになったのが始まりだ。

今でこそ日本一の産地であるが、福井には六条大麦の加工場がほとんどないため、原料を農協に納めて終わり。麦を使った地元の名産品もなく、県外の人にとって福井=麦というイメージは皆無だという。

麦ストローをきっかけにすっかり麦に魅せられた重久さんは、地場産の六条大麦をもっとアピールしたい、名物にしたいという思いで、典嗣さんとともに2010年に加工会社を作った。それが大麦倶楽部だ。

商品は麦ストローのほか、麦飯用のうるち丸麦やもち麦、大麦全粒粉で作ったカレールー、大麦うどんに大麦そばなど、ラインアップは幅広い。もちろん、麦茶もある。カレーや麦飯は、県内の小学校の給食にも使われており、今では福井の子どもたちにとっての「故郷の味」になっている。

大麦を使ったカレーのルーなども作っている
大麦を使ったカレーのルーなども作っている

麦ストローの広がり

麦ストローは、もともとは売り物ではなかった。

福井の麦に親しみを持ってほしいと、大麦倶楽部の商品を購入したお客さんへのおまけとして無償で提供していた。

「会社ができた時から、一人で鎌を持って麦を刈っていました(笑)。ノベルティだったので今のような消毒もせず、切った麦を袋にバサッと入れ、『麦畑の風』として商品と一緒に送っていました」

それを受け取ったお客さんに喜ばれ、ブログやSNSに書いてくれたりして、じわじわと口コミで広がっていった。次第に「もっと分けてほしい」「友達にも配りたい」といった問い合わせが増えていった。

さらには、エコブームや国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)といった世の中の盛り上がりも追い風となり、2019年、重久さんは麦ストローの販売に踏み切った。

初年度から大きな反響があり、例えば、水族館や動物園などで使いたいという注文が入った。海外からの引き合いもあった。ただし、そのときの麦ストローの年間生産は5万本ほどで、対応はできなかった。

「200万本用意してほしいという企業や、駅で販売したいので年間1000万本発注したいという会社もありました。そんな規模の注文が相次ぎましたが、とても難しいとお断りしていました」と重久さんは振り返る。

生産の難しさ

なぜ量産が難しいのか。それは手間暇かかる工程にあった。

まずは麦を刈るところから始まるが、茎が砕かれてしまうためコンバインは使えない。そこで、手押しの農機具であるバインダーで実だけを脱穀し、麦を畑に倒して収穫するのだ。

「以前、コンバインでも麦が畑の中でパタンと倒れるのではないかと挑戦したところ、見事に大失敗しました」と重久さんは苦笑する。

手押しのバインダーで大麦を収穫する(写真提供:重久さん)
手押しのバインダーで大麦を収穫する(写真提供:重久さん)

収穫した麦は、脱穀して天日干しにする。天気が良ければ3日で乾くが、雨が続くと作業は長引く。乾燥したものからストローに必要な部分だけを残し、ザクっと押し切りして、カゴ車に積んで保管しておく。

このように、麦ストローは基本的に人手によって一本一本作られる。一連の作業は、5月の終わりから9月までだが、夏場は過酷を極める。しかも昨年、今年はコロナ禍の影響でマスクをしながらの作業であるため、必然的に働く人の休み時間も多くなる。

量産できないもう一つの理由は、収穫できる分量が限られていることだ。町内の農事組合の畑に植えられた麦の生育状況などを見て、その一部をストロー用に使わせてもらっているため、現状は3反(約2976平方メートル)ほどにとどまっている。たとえ多く収穫したとしても、今度はその分、麦を乾燥させたり、保管したりするスペースが必要になる。ニーズはあれども、小規模で作らざるを得ないのが実情だった。

収穫した麦は物干しざおなどにぶら下げて乾燥させる
収穫した麦は物干しざおなどにぶら下げて乾燥させる

そんな折、地元のとある企業が一緒に麦ストローを作りたいと、声をかけてきた。より多くの人たちに福井の麦が届くのであればと、重久さんは二つ返事で了承。ところが、契約内容などの認識に食い違いがあり、結果的に製法技術だけを横取りされた格好となってしまったのだ。重久さんは心底悔しい思いをした。

転機

しかし、そんな重久さんを神様は見捨てなかった。2020年のある日、重久さんの活動に共感したSDGsに取り組む企業の担当者が大麦倶楽部を訪れ、「麦ストローをもっと広めたいから、協力してもらえないか」と依頼してきた。

「まただまされるのでは」と、正直なところ重久さんは半信半疑だった。しかし、その担当者は本気度が違った。全国の麦の生産者を熱心に探してくるだけでなく、アサヒビールHDのような大手企業も巻き込んでいった。自社の利益よりも、世の中にエコを推進したいという姿勢に胸を打たれた。これなら信頼できると、重久さんは協力を決めた。

そうして2021年、麦ストローを社会に普及させるための「ふぞろいのストロープロジェクト」がスタートした。同時に、このプロジェクトの母体組織として、一般社団法人広域連携事業推進機構が立ち上がり、重久さんはその理事も務める。

「麦ストローを作った経験があるのは私だけだから」と重久さんは謙遜するが、各地の生産者にレクチャーして回るなど、しっかりとリーダーとしての役割を果たしている。初年度はプロジェクト全体で約1000万本のストロー生産を見込む。

こん包作業の様子
こん包作業の様子

福井の黄金色の麦畑を伝えるために、麦ストローを作り続けてきた重久さん。今やその“わが子”は日本中に羽ばたこうとしている。

「(麦ストローは)もう自分だけの子どもではありません。仲間ができたことで、一人でやっていたときのスケールをはるかに超えて、商品作りの精度もどんどん高まってきています」

熱心なファンも増えた。ぜひ麦ストローを作っている場所を見たいというお客さんが大阪から訪ねてきたこともある。

故郷・福井の麦畑を愛してやまない重久さんの思いは、確実に人々の心に届いているはずだ。

写真撮影:筆者(提供写真を除く)

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