最高学府のエリートたちが野球に情熱を燃やすわけ――それでも勝ちたい東京大学野球部の肖像【後編】
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(前編はこちら)
試合に出られない選手の胸中
前編に登場した3人は、いずれも主力選手。130人を超える大所帯の東大野球部には、六大学の舞台に立てない部員も少なくない。神宮への道は険しい。
内野手の佐々木拓実さん (4年・洛南高)も控えのひとり。リーグ戦には1試合しか出られないまま、最後のシーズンを終えた。
「1、2年目は下級生中心のフレッシュリーグにかなり出してもらえましたが、監督が代わって出番が減りました。3年生のときは、勝ちたいけれど自分が戦力になっていないことに苦しんで……」
自分のプレーか、チームの勝利か。悩みに悩んで、ようやく結論が出た。
「4年生になるまで一度も勝っていなかったので、チームの勝利を優先しました。大谷翔平選手のように、自分で投げて打つような人は別ですが、野球という競技の特性上、ひとりでチームを勝たせられることはまずない。ぼくも選手なので試合に出られないことから逃げてはいけないのですが、試合に出ることだけが勝利に貢献する道ではないと気づいて、自発的に分析に携わるようになりました。試合に出たいと思う自分と、分析班をまとめる立場の自分。相反する、二人の自分を操るのは難しかったですね」
私にはここままで東大野球部の部員たちに聞きたくて、聞けなかったことがある。
それは野球に打ち込む目的のことだ。他大の部員の多くはプロや社会人で現役を続ける、もしくは野球の実績を就職に生かそうとする。彼らにとって野球は手段と言っていい。
――でも、人生のパスポートをすでに手にした東大生は違いますよね。なんのために野球をするのか、ということですけど。
「ぼくたち東大生にとっては、たしかに野球はやらなくてもいい余計なことかもしれなくて、英語でも学んだ方がいいのかもしれない。でもなんというか、余計だから勝つことに真剣になれるんですよ。プロになるとかそういうためではないから、勝つことによりフォーカスできると思います」
東大生にとって野球は手段ではなく目的。見返りを求めていないから、勝利に集中できると佐々木さんは言う。生産性や効率ばかりがもてはやされる時代に、秀才たちが無私の精神で野球に没入する。もしかすると、これが東大野球部の一番いいところなのかもしれない。
ちなみにこの取材はコロナ禍のためオンラインで行なわれ、佐々木さんは東大野球部Aチームの面々が暮らす「一誠寮」の自室でインタビューに応じてくれた。2年前の建て替えとともに相部屋からひとり部屋となった部屋の壁には、アイドルのカレンダーが貼られている。
――後ろ(のカレンダー)はだれですか?
「あ、これは乃木坂で、奥は欅坂です」
――坂が好きなんですね。
「はい。ぼくの推しは森田ひかるさん、櫻坂のセンターです。これはしっかりと書いてくださいね」
悩みながら野球道を邁(まい)進してきた佐々木さんへのねぎらいの意味も込めて、いま一度「森田ひかる」の名前を記しておきたい。
今年2勝の戦略を担った頭脳
佐々木さんがチーフを務めた分析部門は、2年前の12月に立ち上げられた。このときから「東大野球部DX計画」が始まるのだが、このプロジェクトの中心になったのが、学生コーチ兼アナリストの齋藤周(あまね)さん(4年・桜修館高)だ。
「ぼくが2年生だった秋、神宮球場にトラックマンという(球速や回転数、飛距離などを数値化する)機械が導入され、これまで得られなかった数字を得られるようになりました。慶応や法政が、そうしたデータを分析していると聞き、ぼくらも負けられないと思ったんです」
実際に齋藤さんによると、東大野球部には数字に強い部員がたくさんいるという。
「それにぼくらは中学、高校と勉強と野球を両立してきた人が多いので、限られた時間で最大の結果を出そうとするマインドは持っていて、同時にデータを楽しめる心の持ちようもあると思います」
最上級生になった今年、齋藤さんは春秋の2季で5勝するという目標を立てた。現実は厳しかったが、過去3年白星のなかった東大が2勝をあげた。
即効性のある走塁に磨きをかけ、春季は10試合で24盗塁を成功させた。また、ときには大胆な守備シフトを敷く。二つの勝利は、確率を重視した戦略の産物でもあった。
齋藤さんが5勝という大胆な目標を掲げたのは、個人的な理由もある。
「今年のシーズンは、ぼくにとって就活でもありました」
――というのは?
「プロ野球の球団でアナリストになろうと思ったんです。就活の一環として、ツイッターやブログでの発信も積極的に始めました。東大野球部DX計画がどうなっていくのか、それを見てもらうことが一番のアピールだと思って」
齋藤さんはプロ野球界に入るため、すでに決まっていた企業の内定も辞退してしまった。このあたりの決断は、「なんとかなる」と前向きに考えられる東大生らしい。
快活に笑う東大野球部の最高傑作
もはや面接のようになってきた東大野球部インタビューシリーズ、その大トリを飾るのは2020年、75歳で監督に就任した井手峻さんだ。
東大は過去、6人のプロ野球選手を輩出したが、井手さんもそのひとりだ。中日での現役時代は投手、外野手として活躍。引退後も中日で二軍監督や一、二軍のあらゆるコーチを歴任、フロントとしても編成、渉外などを担当し、動作解析室をいち早く導入した実績もある。そして球団代表にまで上りつめた。
東大を卒業して半世紀、プロの世界を味わい尽くして母校に帰ってきた指揮官が言う。
「野球人生の最後は東大で監督をしたいと思っていました。もう少し早くやりたかったですが」
毎日自らノックを行なう77歳の口癖は、「やられたらやり返せ」。
「東大の強みですか? あははは、技術的な強みはないですよ。でも、こっちは失うものはなくて、玉砕覚悟でぶつかっていく。向こうは勝って当たり前だから、つらいよね。そこにチャンスが生まれるかもしれん。東大は勝てない試合が続くから、気が滅入るときもあるけど、選手には『やられたらやり返せ』と言ってます」
――なかなか勝てない東大を、どうしようと考えていますか。
「あははは。東大の監督を最初にイメージしたとき、上手くいって優勝しちゃったら、どうしようって思ったね。六大学のチャンピオンとして日本選手権に出て行くんだ。いままでと違う、絶対に勝たなきゃいけない試合をするのは大変だなあって余計な心配をしたよ。でもいまの東大は、そこまで行かない。まあ、なんとか順位をひとつでも上げたいね。チャンスがあれば優勝したいけど。うふふふふ」
突拍子もなく飛び出した、六大学チャンピオンという言葉に思わず私も笑ってしまう。野球の酸いも甘いも嚙み分けた指揮官は、なにを聞いてもうれしそうに笑う。見返りを求めず野球に打ち込む、齢の離れた後輩たちと勝利をめざす喜びが、オンラインでも伝わってくるのだ。
「我々の時代とは違って、いまの学生は野球に一生懸命で、ほとんど辞めたりしない。しかも、一塁にヘッドスライディングする学生もいるんだ。ぼくは『駆け抜けたほうが速いだろう』と言うんだけど、選手は『気持ちを表わしたい』と言って頭から行っちゃう。そういうのも貴重だな、と思ってやらせてるんだ」
そう言って、井手監督はまた「あはは」と笑うのだった。
東大野球部の選手、監督との“面接”を終えて数日後、ネットニュースに目が留まった。
《東大野球部のデータアナリスト、ソフトバンク入り》
齋藤さんの“プロ野球入り”が決まったようだ。
インタビューでの彼の言葉を思い出す。
「日本のスポーツ界には、結果に対して最短距離に行くことを是としない空気があるように思えます。苦労してなんぼ、努力してなんぼというか。これまでにない発想を持ち込まないと、ぼくがいる意味がないですね」
勝ち組なのに負ける勝負に自ら打ち込む、東大野球部の“ふつうじゃない”若者たち。彼らと言葉を交わして、私は思った。こういう個性派集団の中から、明日の野球を変える変革者が生まれるかも、と。
【前編】を読む
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