最高学府のエリートたちが野球に情熱を燃やすわけ――それでも勝ちたい東京大学野球部の肖像【前編】
スポーツ 教育- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
野球、やる必要ありますか?
草野球歴20余年になる私には、東京六大学野球で22安打を記録した頼もしいチームメイトがいる。
“昭和の怪物”江川卓から外野フライを放った“武勇伝”を持つ彼は、わがチームの孤高のエースであり、援護に恵まれない中でも黙々と投げ続ける。平日も走り込みと鉄バットの素振りを怠らないストイックな日常は、定年で会社員生活を終えたいまも変わらない。
野球に生きる、彼の母校は東京大学。
言わずと知れた日本の最難関大学にして、野球部は東京六大学で勝てば話題になる“常敗”チーム。その姿はいわば、人生の勝ち組が好んで負ける道に邁(まい)進しているようにも見える。エリートたちはなぜ、負けるのが分かっていながら野球に打ち込むのか。いくら考えても凡人の私にはよく分からないので、東大野球部で奮闘する現役部員たちに話を聞かせてもらった。
勉強ができるだけで六大学でプレーできる
「野球に打ち込むには理想の環境」。この秋のリーグ戦を最後に野球部を引退したキャプテンの大音(おおと)周平さん(4年・湘南高)は、東大野球部をこう表現する。
「中学時代に高校受験を考え始めたとき、将来の不安なく存分に野球に打ち込みたいと思い、東大をめざしました。ここならたとえ野球がダメになっても、勉強にシフトできますから」
たしかに。東大に進めば、“人生のパスポート”は保証されたようなもの。そんな理想の環境について、キャプテンはこう語る。
「東大だけちょっと変じゃないですか。勉強ができるだけで、レベルの高い六大学でプレーできるわけですから。降格もないですし」
いや、その「勉強ができる」レベルがすごいわけで……。そう言いたい気持ちをこらえて私は尋ねる。
――つまり六大学でプレーするのは、東大に合格した特典みたいなもの?
「いえ、ズルいというか……。ズルいわけじゃないですけど」
他大学の部員は野球の技量や実績によって六大学で戦う資格を手にするが、東大生は違う。彼らは優れた学力によって大学野球の聖地、神宮に立っている。「ズルい」という言葉に、キャプテンの“負い目”がうかがえる。
野球優先の他大学に挑む、学業優先の東大。当然、勝つことは難しい。創部以来の通算成績は、今秋のリーグ戦を終えた時点で255勝59分1688敗、1997年秋の5位を最後に48季連続最下位を継続中。この悲惨な成績も、見方を変えれば理想の環境でプレーできている証と言えそうだ。
「打席では投手との1対1の勝負を、守備でもその緊張感を楽しめます。もちろん勝つために戦うので、負けると悔しいし、落ち込むわけですが、夜寝るときには“明日、また試合をしたいな”という気持ちに切り替わっていますね。レベルの高いところでプレーできる喜びがありますから。勝敗が出るまでの過程を楽しめている感じです」
プロ予備軍と戦うことで得られる、数々の楽しみ。それが大音さんにとって、東大で野球をする特典なのだ。
ちなみにキャプテンが専攻するのは地球惑星環境学科。「ざっくり言えば食物連鎖や湖の水を微生物が浄化するような、環境と生きものの関係を調べています」ということらしい。
「野球と研究、面白いのは?」と尋ねると、迷うことなく「野球です」という答えが返ってきた。
「勉強はある程度、自分の将来にかかわってくることだと思うので、その意味で自由はやや奪われるじゃないですか。それに比べて野球は純粋に楽しめる。六大学野球のような勝負の場では、どれだけ勉強したかなんて関係なくて、1対1の平等な勝負ができますからね。そこが楽しいんですよ」
そうだった。他大の部員と違って、彼らは野球に将来や進路をしばられていない。どれだけ負けても、野球をいちばん楽しめているのは東大生なのかもしれない。
東大が勝つのを見て感動したんです
六大学ではそれぞれの大学と最大3試合戦い、2戦先勝で勝ち点を得られる。コロナ禍で方式は変わったが、東大が最後の勝ち点を獲得したのは2017年秋までさかのぼらなければならない。
「東大が勝つのを見て、格好いいなあと思いました。スポーツ推薦がなく、入試で下駄を履けない大学が勝つのを見て感動したんです」
うれしそうに語るのは4番打者の井上慶秀さん(4年・長野高)。
5年ぶりの勝ち点は大きな話題となり、翌年の新入部員は東大史上最多の31人を数えた。井上さんも、そのひとりである。
東大が勝ち点をあげたとき、彼は一橋大の学生だった。
「もともと東大に行きたかったのですが、二浪で一橋大に進み、準硬式野球部に入りました。でも東大が勝ち点をあげるのを見て、もう一度受験しようと。大学の授業や部活と並行して、苦手な数学を中心に毎日1時間くらい勉強して」東大受験に合格する。
井上さんは3年越しで、念願の東大野球部入部をかなえた。だが東大で野球をすることは、負け続けることを意味する。この春の法政戦に続き、秋には立教にも勝ったことで、4年間白星なしの屈辱は免れたが、負けてばかりの4年を経験して井上さんの胸中に新たな渇望が芽生えた。
卒業後も野球を続けたくなったのだ。それも高いレベルで。
「東大では、たまにしか勝てない野球になってしまいますから。ぼくは小中高大と強豪チームにいたことがないので、一度はふつうに勝てるチームに、(社会人野球日本一を決める)都市対抗に出られるようなチームに身を置いてみたい。その思いが強くなったんです」
就活ではOBのツテも頼り、井上さんは希望をかなえる。
三菱自動車岡崎。都市対抗出場12回、谷佳知(元オリックス、巨人)や中野拓夢(阪神)を輩出した強豪への就職を勝ち取った。
来春から始まる人生初の“勝つことがふつうの野球”に向けて、井上さんは言う。
「就職したらメインは野球。野球をやり切ることだけ考えます。野球を続けられなくなったら? そのときに考えればいいかな」
東大野球部には特殊な人が多いんです
東大生と話をして痛感するのが、人生のパスポートを持つ者の強みである。東大入試という難関を自力で乗り越えた経験があるせいか、長い人生いろいろあっても「なんとかなる」という自信が漂っているのだ。いくつになっても漠然とした将来への不安にさいなまれる私とは、明らかに違う。
そんな中でエースの井澤駿介さん(3年・札幌南高)には、私もちょっと共感できた。
「ぼくの母校は毎年10名ほど東大合格者を出していますが、自分の成績ではとても手が届かない。ですから地元、札幌の大学に進んで野球をやろうと思っていました」
進路を変更したのは、高校の監督から東大を勧められたからだ。
東大は浜田一志前監督のころからスカウティングに注力し、学業優秀な有望選手を対象に練習会を始めた。そこでは東大に合格するためのテクニックも指南している。いわばドラマ『ドラゴン桜』の野球部版。これに参加したところから、井澤さんは東大をめざすことになった。
「一浪しましたが、一日12時間、必死に勉強してなんとか合格しました。合格の自信がなく、試験後も他大の受験に備えて勉強を続けていたので、受かったときはめちゃくちゃうれしかったですね」
「必死に」とか「めちゃくちゃうれしい」といったまっすぐな言葉は、「当然のように受かった」先輩たちと比べて初々しい。つい「井澤さんはふつうですね」と率直な印象を伝えると、なぜか「ふつうですいません!」と爽やかに謝られた。
「東大はいろんな環境で過ごしてきた人が多いので、かなり面白い、特殊な人が多いんですよ」
東大のマウンドを守る“ふつうのエース”に、親近感を覚えずにはいられなかった。
ここまで話を聞いてきたのは、いわばバリバリの主力選手。だが、東大野球部には130人もの部員が所属していて、当然試合に出られない選手も大勢いる。負けても試合に出られる主力と違って、控え組の彼らはどこで情熱を燃やしているのか。「東大野球部 後編」では、プレーで貢献できない選手たちのモチベーションに迫る。
(後編につづく)
◆東大野球部メモ◆
1919年創部。25年に早大・慶大・明大・法大・立大の東京五大学野球連盟に加盟し、東京六大学リーグがスタート。終戦後初のリーグ戦(46年春)では、開幕4連勝を飾るなど2位に(東大史上最高順位)。74年秋の法大1回戦で江川卓投手に初黒星をつけ、81年春には早慶から勝ち点をあげて優勝争いを演じ、「赤門旋風」と話題を呼んだ。卒業生で現役のプロ選手には、ヤクルトスワローズに在籍する宮台康平がいる。
バナー写真:東京六大学野球2021秋季リーグ戦で立教大学を破って喜ぶ東大ナイン。手前は井上内野手(左)と井澤投手(2021年9月26日、神宮球場) 共同