バングラデシュで急増するヒンドゥー教徒襲撃:日本でも抗議デモ
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少数派ヒンドゥー教徒への暴力事件
2021年10月24日午後、東京・千代田区にあるバングラデシュ大使館の前に、100人ほどの人々が集まった。プラカードや横断幕などを手に、「マイノリティーを守って」「暴力はやめて」などと、大使館に向かってベンガル語で訴えた。
彼らは主にヒンドゥー教徒の人々だ。バングラデシュと聞くと、イスラム教の国というイメージが強いが、人口1億6500万人のうち、ヒンドゥー教徒がおよそ9%を占める。そして今、彼らマイノリティーに対する暴力がバングラ国内で広がっている。日本ではほとんど報道されていないが、大きな国際問題となりつつあるのだ。
発端は10月中旬に行われたドゥルガー・プージャというヒンドゥー教の祭りだった。女神ドゥルガーを祀(まつ)るもので、隣国インドでは盛大に祝われるが、バングラのヒンドゥー教徒コミュニティーでも同様だ。街の各所に女神像が飾られ、コロナ感染が急速に減少してきたこともあって、祝賀ムードに包まれていた。
しかし13日、ある画像がフェイスブックに投稿された。同国東部クミッラのヒンドゥー寺院に安置された女神像の足元に、イスラム教の聖典コーランのコピーが置かれているものだった。これがイスラム教に対する冒涜(ぼうとく)であると、一気にシェアが進む。クミッラを中心として各地で、イスラム教徒によるヒンドゥー教徒に対する暴行・暴動が始まった。
寺院への放火や破壊、ヒンドゥー教徒住民への無差別な暴行や家屋への放火などが横行。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによれば、これまでに7人が死亡し、数百人が負傷している。
「ヒンドゥー教徒の安全のために、バングラ政府にはしっかり対策を取ってほしい。それを伝えるために大使館に来ました」と語るのは、デモを主催したナンディ・ココン・クマルさん。自身もヒンドゥー教徒のバングラデシュ人だ。
1995年に日本語学校の留学生として来日した。それから専門学校、旅行会社の社員を経て独立。今では貿易会社の他に、東京・赤坂にレストランを経営する。
ナンディさんは2018年に、やはり日本に住むヒンドゥー教徒のネパール人やインド人たちと共に、東京・新大久保で寺院をつくった。異国で暮らす同じ宗教の人々が国籍に関係なく集まってくる場所だ。そんなコミュニティーを大切にしてきただけに、母国の状況に胸を痛めている。
「今日のデモに参加した人の中には、家族が被害に遭った人もいます。みんな国の家族を心配しているんです」
同様のデモは東京だけでなく、インドや米国で学ぶバングラ人留学生たちの間でも広がっているが、ヒンドゥー教徒たちは「政府が暴徒の取り締まりに力を入れていないのでは」と不安を覚えている。そこには少数派のヒンドゥー教徒に対する差別意識があるとも言われる。
「1971年のバングラデシュ独立から、ずっとこんなことが続いてきたんです」
ナンディさんはそう嘆く。
独立に伴うバングラデシュ苦難の歴史
歴史をひもとくと、この地域に対立を生んだきっかけは英国の植民地支配にある。英国は1858年から、現在のインドや、バングラデシュ、パキスタン、それにミャンマーと、文化も宗教も異なる地域をひとくくりにして「英国領インド帝国」として統治していた。
しかし第2次大戦を経て国力の衰えた英国は植民地を維持することが難しくなり、1947年に英国領インド帝国は崩壊。この際、ヒンドゥー教徒の多い場所が「インド」として、イスラム教徒の多い場所が「パキスタン」として、それぞれ分離・独立した。
現在、バングラデシュとなっている地域はイスラム教徒が多数派だったことから「東パキスタン」として独立したが、西側のパキスタンはインドを挟んではるかかなたにある。しかもバングラデシュの文化や言語はインド東部のベンガル地方と同一だ。もともと無理のある分離・独立だったが、この際に大混乱が起きた。
インドに住むイスラム教徒が東西パキスタンに、東西パキスタンに住むヒンドゥー教徒がインドにと、大量に移住する動きが広がったのだ。そこで土地を巡り、衝突や暴動が起きる。難民化する人々も増えた。100万とも言われる人々が命を失ったが、その結果としてインド亜大陸(南アジア)各地でイスラム教徒とヒンドゥー教徒の間には大きなしこりが生まれてしまった。
東西パキスタンは独立後、言語や文化の違いから対立を深めた。西側が主導権を握り、東側の富を吸い上げているという不満も高まった。そして1971年、東パキスタンでは独立戦争が勃発。そこにパキスタンと関係が悪化していたインドが独立派を支援し、軍事介入(第三次印パ戦争)する。戦いはインド軍優勢で進み、パキスタン軍は降伏した。東パキスタンはバングラデシュとして、改めて独立することになる。
こんな歴史を経ても、インドに移住することなくバングラデシュにとどまり、生活を営んできたヒンドゥー教徒も人口の9%ほど存在するのだが、過去の経緯からか何かと差別を受けやすい。これまでも度々、少数派に対する不平等や抑圧がバングラ社会ではまかり通ってきた。この10年間だけでも、2012年や16年にヒンドゥー教徒の家屋や寺院への放火事件などが起きている。
「その中でも、今回の事件は特にひどいものです」と、ナンディさんは言う。
これは宗教の問題ではない
この問題に対して声を上げているのは、ヒンドゥー教徒だけではない。24日のデモには、イスラム教徒のバングラ人たちも参加した。研究職で会社経営者でもあるカン・マスードさんは、「宗教に関わらず、暴力は許されません。政府はもっと強く対策をしてほしい。それを言いたくて今日は来たんです」と語る。
日本国内に住むバングラ人たちは、イスラム教もヒンドゥー教もなく助け合って、この異国で生きている。そんなこともアピールしたいと話す。
加えてこの日は、ネパール人やインド人もデモに加わった。その一人、インド人のビカス・カレさんは、エンジニアとして仕事をしながら、江戸川区船堀にあるヒンドゥー教の寺院で導師も務める。今回の事件では同じ系列の寺院が襲撃され、知人の若者が命を落としたという。
「優しい人だったので、大きなショックを受けました。でも、これは宗教の問題ではないんです。ヒンドゥー教徒とかイスラム教徒ではなく、社会に対する攻撃です。その犯罪に、政府はしっかりと罰を与えてほしい」
宗教対立と捉えてしまえば、より根は深くなり憎悪を呼んでしまうことを、よく知っているのだ。
「亡くなった人たちの心の平安と、このような暴力が起きないようにと祈っています」
そうビカスさんは話す。
日本人も、もっと関心を
こうした声が国の内外から広がっていることや、ヒンドゥー教徒が多数派を占めるインドからの働き掛けもあり、バングラ政府は暴動に関与した人々の摘発を進めている。また、フェイスブックに問題の投稿をした男を逮捕。犯人はフォロワーを増やし、また人々を扇動する目的の投稿だったことを認めているという。
こんな重い問題を抱えるバングラデシュから、日本はあまりにも遠い。デモに参加した人々は通り過ぎる日本人にも日本語のチラシを配っていたが、関心は薄い。それでも、日本人にも知ってもらいたいと考えて、行動を起こした。
「バングラ政府に対する働き掛けを、日本にもサポートしてほしい」
誰もがそう話す。そんなマイノリティーの声にも耳を傾け、身近な問題として考えてもらいたい。
バナー写真:抗議デモのため、地下鉄麹町駅そばのバングラデシュ大使館前に集まった100人ほどの参加者たち 撮影:室橋裕和