『ベルセルク』三浦建太郎が漫画の世界で切り開いたもの

文化 漫画

シリーズの累計発行部数は紙・電子版を合わせて5000万部以上、ダーク・ファンタジーの傑作『ベルセルク』で知られる漫画家の三浦建太郎氏が2021年5月6日、急性大動脈解離のため急逝した。国内外の多くのファンに与えた衝撃は大きく、三浦氏の死を悼むとともに、『ベルセルク』が未完となることを惜しむ声が世界中で広がった。三浦氏が漫画界に遺したものとは何だったのかを検証する。

このとてつもなく壮大な世界のすべてを、一人の人間の頭脳と眼と手が生み出したのか――。2021年9月10日から23日まで、東京池袋・サンシャインシティ 展示ホールAで開催されていた「大ベルセルク展 三浦建太郎 画業32年の軌跡」。その会場に展示されていた漫画『ベルセルク』(白泉社発行の漫画誌『ヤングアニマル』連載)の膨大な数の原画を一枚一枚凝視しながら、私はひたすら圧倒されていた。

作者の名は、三浦建太郎。1980 年代末以降、日本のファンタジー・コミックのジャンルを牽引(けんいん)してきた功労者の一人だ。54歳という早すぎる死は、彼がおよそ30年にわたり描き続けてきた『ベルセルク』を、“未完の大作”にしてしまった。

「それは 剣と言うには あまりにも大きすぎた」という印象的なナレーションで始まる『ベルセルク』は、「ドラゴンころし」という大剣を操る“黒い剣士”の物語である。主人公の名は、ガッツ。信頼していた友に裏切られ、隻眼・隻腕にされただけでなく、魔物を呼び寄せる呪いの烙印(らくいん)をも首に刻まれた彼が、愛する女性を守るため、復讐の旅に出る。

この壮大な物語が未完に終わってしまったことは残念でならないが、三浦建太郎が日本の漫画界に遺した功績は計り知れないものがある。そこで本稿では、あらためて、この稀有(けう)な才能について振り返ってみたい。

漫画における本格的なダーク・ヒーローの創造

まず、三浦が『ベルセルク』という作品で、80年代末の日本の漫画ファンを驚かせたことの一つに、「本格的なダーク・ヒーローの創造」というものがあるだろう。むろん、それまでの他の漫画家の作品にも、一見“ワルっぽい”主人公はいたかもしれないが、ガッツのような――敵を倒すためには、躊躇(ちゅうちょ)なく罪のない少女を盾にするような“黒い”ヒーローは、いなかったのではないだろうか(第3巻参照)。

強いていえば、永井豪の『デビルマン』の主人公・不動明の顔が浮かばないではないが、それはかなり特殊な例であるといっていいだろう(文字数の関係でここで詳しくは書けないが、機会があれば、物語中盤でジンメンという敵の悪魔にとどめを刺す際の、デビルマン=不動明の凶悪なセリフを読まれたい)。

いずれにせよ、この「勧善懲悪の正義の味方」とは言い難い、見た目だけでなく心にも“黒さ”を持った異形(いぎょう)のヒーローの創造が、その後の漫画表現の、特にキャラクター造形の面での幅を広げたのは間違いない。

近年の漫画のヒット作の主人公――たとえば、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴)の竈門炭治郎などは正統派ヒーローに分類されるかもしれないが、それ以外の、『進撃の巨人』(諫山創)のエレン・イェーガーや『呪術廻戦』(芥見下々)の虎杖悠仁のような主人公が、多かれ少なかれ悪の要素を兼ね備えたキャラクターとして設定されているのは、かつて三浦が切り開いた道があってのことだというのは、いささか言い過ぎだろうか。

「剣と魔法の物語」をメジャーなジャンルにした功績

また、『ベルセルク』は、そうしたダーク・ヒーローが活躍する、いわゆるダーク・ファンタジーの傑作であると同時に、日本の漫画界における本格的なヒロイック・ファンタジーの祖(の一つ)と言っていい作品である。

「剣と魔法の物語」――ヒロイック・ファンタジーは、いまでこそ我が国のエンターテインメント業界では人気ジャンルの一つになっているが、『ベルセルク』連載開始当時は、漫画に限らず、アニメや小説などの隣接した表現ジャンルでも、どちらかと言えばマイナーなものだと考えられていた。

具体的に言えば、『ベルセルク』の先行作品として、小説では栗本薫の『グイン・サーガ』や水野良の『ロードス島戦記』、漫画では和田慎二の『ピグマリオ』や萩原一至の『BASTARD!!―暗黒の破壊神―』などが熱狂的なファンを獲得していたが、誤解を恐れずに言わせてもらえば、それくらいしか特筆すべき作品はなかっただろう(異論のある方もおられようが、ここでは、「それほど多くの先行作品はなかった」ということを言いたいだけなので、ご了承いただきたい)。

ただし、ゲームの世界は別であり、80年代の半ば以降、『ゼルダの伝説』、『ドラゴンクエスト』、『ファイナルファンタジー』をはじめとした、ヒロイック・ファンタジー要素の大きい作品が人気を博しており(特に「ドラクエ」シリーズは社会現象的なブームを巻き起こしていた)、もしかしたら、三浦はそうした時代の空気を漫画家としていち早く察知したのかもしれない(実際、90年代は、ある意味では、ゲームの世界が日本のエンタメ業界を牽引していたと言っていい)。

『ベルセルク』第34巻口絵 ©三浦建太郎(スタジオ我画)/白泉社
『ベルセルク』第34巻口絵 ©三浦建太郎(スタジオ我画)/白泉社

日本人にしか描けないヒロイック・ファンタジー

米国やフランスなど15の国と地域で翻訳、刊行されるなど、海外での人気も高い。「大ベルセルク展」の図録『THE ARTWORK OF BERSERK』に掲載されているインタビュー・ページで、海外にも『ベルセルク』のファンが多いという話を振られた三浦は、こんなことを語っている。

「僕の中では海外読者のイメージがそれほどないのですが、日本人が描いたファンタジーが海外に通用するのか、最初の頃からずっと思っていました。それは日本人から見た外国人が作るなんちゃって時代劇で、そうした違和感も含めて楽しんでくれているのか、本格ファンタジーとして通用しているのか…これはまだ分かりません」

もしかしたら、こうした「なんちゃって時代劇」ならぬ「なんちゃってヒロイック・ファンタジー」に自作がなるのではないかという恐れが、この種のジャンルに、かつての日本の漫画家や小説家が手を出しかねていた要因の一つだったのかもしれない。が、『ベルセルク』については、それは単なる危惧に終わったというか、周知のとおり、三浦が生み出したのは、時代劇の良い部分と、日本の漫画がこれまで培ってきたテクニックを駆使した、まさに、「日本人にしか描けないヒロイック・ファンタジー」の傑作だった。

余談だが、原哲夫の劇画的リアリズムと、大友克洋のバンド・デシネ(フランス、ベルギーなどを中心とした地域の漫画)的リアリズム、それに、永井豪のケレン味と少女漫画の繊細さを兼ね備えた、三浦ならではのヴィジュアル表現は、日本の“漫画絵”の到達点の一つだと言っていいだろう。

そして、その批評的および商業的な成功は、本格的なヒロイック・ファンタジー(またはダーク・ファンタジー)を志向する、後続の漫画家や小説家たちにある種の突破口を開いたのである。

ちなみに、三浦自身はそこまで大きなことは考えておらず、『ベルセルク』という作品は、そもそもは「ハカイダー(『人造人間キカイダー』とその派生作品に登場するキャラクター)みたいな、黒くてニヒルなヤツ」を描きたいという発想から始まったもののようで、魔術や妖精などが出てくるファンタジーの世界観は、そのあとで――つまり、ガッツというダーク・ヒーローの「型」を組み立てたのちに、付け加えられていったのだという。

終わることができぬほど、おもしろい物語

さて、先ごろ(2021年9月10日)発売された「ヤングアニマル」NO.18は、『ベルセルク』メモリアル号であり、三浦のペンが入った最後の回となる第364話「朝露の涙」が掲載されている(三浦と共に長年『ベルセルク』を制作してきた「スタジオ我画」のメンバーが、総力をあげて完成させたのだという)。

未読の方は12月24日に発売される単行本第41巻を読んでいただく他ないが、これが、かなり衝撃的な内容である。むろん、作者はネームを切る(漫画の下地を描きあげる)際、この回が最後になるとは思ってもみなかっただろう。だが、ある謎の人物の正体は明らかになるし、さらに言えば、ガッツの宿命の闘いが新たなステージに入ったことさえ暗示されている。

かつて半村良は、国枝史郎の未完の小説――『神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)』の解説文で、「伝奇小説の面白さのひとつは、ストーリーが次々に膨れあがっていく面白さでもある。(略)したがって、(略)『神州纐纈城』が未完の形で残っていることを、私はさして残念に思わない」と書いている。また、「国枝さんは遂に終わることができぬほど面白い伝奇小説をお書きになったのである」とも。

これは、三浦建太郎の未完の大作――『ベルセルク』についても言えることではないだろうか。つまり、今後も私たち読者が、遺された単行本のページをめくり続ける限り、どんなにつらい目にあっても決して諦めなかった“黒い剣士”の生き様は、永遠に消えることはないのである。

そして、物語の“その後”を、それぞれが想像する自由も、我々には残されているのだ。そう――あえて半村良風に言わせてもらえば、三浦建太郎は、ついに、終わることができぬほどおもしろいダークファンタジーを描いたのである。

『ベルセルク』第1巻書影 ©三浦建太郎(スタジオ我画)/白泉社
『ベルセルク』第1巻書影 ©三浦建太郎(スタジオ我画)/白泉社

[参考文献]

  • 『THE ARTWORK OF BERSERK』三浦建太郎(白泉社)
  • 『ベルセルク オフィシャルガイドブック』三浦建太郎(白泉社)
  • 「無窮迷路の味」半村良(『神州纐纈城』国枝史郎/講談社大衆文学館・文庫コレクション所収)

バナー画像:『ベルセルク』第15巻カバーイラスト ©三浦建太郎(スタジオ我画)/白泉社

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