いま起こりつつある変革…夏の甲子園大会に吹いた高校野球の軽やかな新風
スポーツ 科学 技術・デジタル- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
選手が選択した「歓喜の輪」なき優勝
2年ぶりに開催された「夏の甲子園」は智弁和歌山高の優勝で幕を閉じた。全国制覇の瞬間といえば、これまでは選手たちがマウンドに駆け寄り、大喜びして「歓喜の輪」を作るのが恒例だった。だが、21年ぶりの載冠にもかかわらず、智弁和歌山のナインたちはマウンドに集まることなく、そのまま整列に向かった。
「世の中がこういう状況ですので、マウンドで喜びを爆発させるのはどうなんだろうと。でも、優勝してマウンドに集まるのは選手にとって夢であり憧れ。『こうしなさい』とは言わず、選手たちで考えてみて、という話をしました。我慢した彼らを僕は尊敬します」
そう語ったのは、就任4年目にして優勝を果たした智弁和歌山の指揮官・中谷仁(なかたに・じん)である。
かく言う彼は、24年前は歓喜の輪を作って大はしゃぎした張本人だった。1997年夏の甲子園大会で智弁和歌山の優勝に主将として貢献。卒業後はドラフト1位で阪神に入団し、その後、楽天、巨人でもプレーして2012年に引退。18年から智弁和歌山の監督を務め、新しい高校野球を推進している。
智弁和歌山は春夏合わせ、甲子園出場38回、優勝4回の強豪校だが、「プロなど上のレベルで大成しない」と揶揄(やゆ)されたこともある。卒業後に活躍する選手が少ないことが理由だが、中谷はそうした風評に真っ向から立ち向かった。それもあらがうのではなく、改善する。自身の経験に立ち返ってまず着手したのは、次のステージで必要とされる人材の育成だ。
「智弁和歌山で怒られたこと、教育されたことで、次の組織に入った時にナイスガイやな、リーダーシップが素晴らしいな、と評価される。レギュラーじゃなくても、甲子園に出ていなくても、『智弁を出ていたら間違いない』と言われる人材になるきっかけづくりをしたい」
その上で、昨今の高校野球で問題視される投手の登板過多の対策にも着手。特定の投手に偏らない投手起用を積極的に実践した。
今大会、智弁和歌山は2回戦からの登場で、さらに初戦の相手がチーム内でのコロナ蔓延により辞退したために4試合しかなかったのだが、それでもベンチ入りの投手は全員起用。長年、甲子園では当然とされてきた「エースが全試合先発」とは距離を置く采配を見せた。
「投手一人のチームを作って、その選手が潰れたら戦えなくなるのは、組織のあり方から考えたら普通におかしい。必死にバットを振っている選手もいるわけですから、投手一人にチームの命運を任せるようなことはしません」
時代に即した生き方があるなら、野球もまた然り。中谷は高校とプロでの経験を踏まえながら、時代を見つめるチームづくりと選手育成に注力している。
各地の強豪校がけん引する高校野球の変革
変わったのは智弁和歌山だけではない。智弁和歌山に代表される高校野球の変革の足音は、日本各所で年々大きくなっている。
その一つが、甲子園常連校による「丸坊主の廃止」だ。
高校野球の象徴とも言える丸坊主を廃止したのは、岩手県の花巻東と新潟県の新潟明訓だった。花巻東は菊池雄星(マリナーズ)、大谷翔平(エンゼルス)らメジャーリーガーを輩出していることでも名を馳せ、新潟明訓は甲子園出場8度を誇る常連校だ。
両校の改革の価値は、それぞれの県でリーダー的な存在でありながら先陣を切ったことだ。「あの花巻東が」「あの新潟明訓が」と、県内の野球界に与えた影響は少なくない。
もっとも、改革当初は一筋縄ではいかなかった。新潟明訓の島田修監督はこう話している。
「丸坊主をやめたときの部内ルールは『髪型自由』だったんです。ところが、大会で結果を残せないと『そんな髪型をしているから勝てないんだ』と言われ始めた。それが嫌で丸坊主にする選手が出てきたんですけど、それだと改革の意味がない。選手たちにお願いしているのは、1年生の夏休みまでは丸刈り禁止。その後は自由にして良いと。今もがんばって伸ばすことに挑戦しています」
新しいことに挑戦し文化を作り上げていくことが、選手たちにとってのプライドに変わる。県を代表するリーダーとして新潟明訓は舵を切ったのだった。
花巻東の佐々木洋監督が二人のメジャーリーガーを育てた手法は、彼らが野球人として、一人の人間としてスケールの大きいマインドを持つ礎を築いた。その手法の核心にあるのは、選手たちが人生で正しい選択をするためのヒントとなる、「投資」と「消費」という言葉だ。
「アクションに対してのリターンとは何かを考えるように伝えています。リターンがないのは消費。たとえば漫然とドラマを見ることにリターンはあるのか。ドラマを見る時間と、参考書を開く時間は、消費と投資のどちらなのかということです」
人生に数多(あまた)の選択がある中で、ある決断が今の満足を得るだけの消費なのか、それとも、将来の役に立つための投資になっているか。それを考えさせることは、高校生たちが自らの行動を整理するきっかけになるだろう。そうして選手を育ててきた佐々木は、2018年の大会を最後に丸坊主を改めた。その経緯をこう語る。
「5年後、10年後には、もう丸坊主にしている学校の方が少なくなるんじゃないかな。それほど時代は変わっている。今も野球界には(行進のように)並んで走るとか、不合理なことが続いている。そういうものを含めて変えていければなと思います」
高校野球にも押し寄せるテクノロジー革命
一方、昨今の野球界の進歩の象徴とも言えるのがテクノロジーの導入だ。
現在、プロ野球の11球団が本拠地球場に弾道測定機器「トラックマン」を設置している。これはボールの軌跡を高い精度で記録できる装置で、投手の球のスピードや回転数などを可視化。打者においてもバットスイングのスピードや角度などを計測できる。
その簡易版とも言える機器「ラプソード」で得られるデータを最大限に利用し、選手を育成する高校も生まれている。広島東広島市の私立武田高校だ。
武田はもともと甲子園を目指す高校ではなく、練習時間がたった50分しかない進学校だった。しかし、プロ野球独立リーグの経験を持つ岡嵜(おかざき)雄介監督が、計測データに基づく育成に着手。高校野球に革命を起こそうとしている。
重視しているのはフィジカルの向上。「ラプソード」やハイスピードカメラで選手の能力を可視化する一方、ウエイトトレーニングによって足りない要素を身につけるという取り組みだ。岡嵜監督はその意図をこう説明する。
「例えば投手は、目標とする球速に沿って“フィジカル基準”という数値を設定しています。それは26項目あり、クリアすべき設定値です。クリアすれば自ずと目標とする球速が出る。すべての練習メニューが数値の向上につながる内容です」
50分の中で選手を育成し、試合に勝つことは容易ではない。しかし、武田はフィジカルに特化し、数字を可視化することで、練習時間の差を埋めようと努力しているのだ。
球児たちの意識改革
高校野球に押し寄せる変革の中で、最も重要なのは当事者たる高校球児たちの意識改革だ。彼らの中で「何が何でも甲子園」という美学は失われつつある。
今春の選抜大会の準決勝では、天理高のエース・達孝太(たつ・こうた)投手が登板を回避した。その前の試合で脇腹を痛めたことが原因だったが、本人から発せられた言葉はまさに新時代の到来を予感させるものだった。
「今日投げるだけでよいのなら投げることはできました。でも、僕はメジャーリーガーになることが目標なので、がんばるのは今日の試合ではないと思いました」
昨今、メジャーを夢見る選手は増えている。しかし、これほど公に夢を語った選手はかつていなかった。達の目標は、もはや甲子園だけではない。本気でその先を目指している。そして彼が象徴する“新世代の高校球児”は、これからどんどん増えてゆく。
高校野球は変わっていく。その方法論も精神性も。この夏、甲子園で起こった出来事は、変革の到来を世間に知らせるメッセージだったのかもしれない。
バナー写真:閉会式後、記念撮影をする智弁和歌山の選手たち。マウンド上での歓喜はなかったが、全員が爽やかな笑顔を見せた(2021年8月29日、阪神甲子園球場) 時事
◆書籍紹介◆
『甲子園は通過点です―勝利至上主義と決別した男たち―』
2019年夏、岩手県大会の決勝で大船渡高校のエース、佐々木朗希が登板を回避したことは、賛否の論議を呼んだ。それは突き詰めると、「甲子園にすべてを捧げる」か「将来の可能性を取る」かの選択に他ならない。「負けたら終わり」のトーナメント方式の中で、どう選手を守り、成長させていくのか。球数制限、丸坊主の廃止、科学的なトレーニングの導入など、新たな取り組みを始めた当事者たちの姿を追う。
氏原英明(著)
発行:新潮社
新潮新書:190ページ
価格:792円(税込み)
発行日:2021年8月18日
ISBN:978-4-10-610920-1