台湾漫画は黄金期を迎えられるか?
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東日本大震災10周年を契機に漫画交流が深化
2021年2月に開催された「台北国際コミック・アニメフェスティバル」で、東日本大震災での台湾からの支援に感謝するため、100人以上の日本の漫画家が台湾への感謝メッセージを添えた書き下ろしの色紙を寄せた。日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰代表(大使に相当)はフェイスブックで、「台湾の漫画家の皆さんが大挙して逆襲(感謝メッセージに対する返礼の意)してください」とユーモアたっぷりに発信した。
会場を訪れた蔡英文総統もすぐにツイッターで、コロナ禍にもかかわず大挙「来襲」した日本漫画と泉所長の「雄たけび」に、「退(ひ)かぬ!媚(こ)びぬ!省(かえり)みぬ!(北斗の拳)」「結果がいつも俺(台湾)に味方するんだ(島耕作)」という漫画の名セリフを引用して応戦した。
それから5カ月後の7月、東京港区の台湾文化センターは、「『ありがとう日本』イラスト展」を開催。台湾の漫画家10人が、日本からの新型コロナワクチンの支援にイラスト原稿で感謝を示し、蔡総統の「逆襲」を実現したのだった。
日本から影響を受けた台湾の漫画・アニメ業界は、規模やクリエイター数ではまだ日本には及ばないものの、創作力の面で将来が期待されている。
受賞数ゼロからラッシュへ
2020年に日本で開催された「第14回日本国際漫画賞」(外務省主催)では、61カ国・地域から383点の応募作品が集まり、台湾の韋蘺若明の「葬送協奏曲」が最優秀賞、阮光民の「歩道橋の魔術師 漫画版(阮光民巻)」が優秀賞を獲得、D.S.の「百花百色」が入賞した。
また、近年、漫画家の登竜門と言われる「京都国際マンガ・アニメ大賞」の受賞作では、台湾の漫画家がほぼ独占しており、Gene(20年)、銀甫(19年)、常勝(17年)、nyaroro(16年)、ANTENNA牛魚(15年)らが、いずれも日台で出版や連載の機会を得ている。
この他、多くの漫画家を輩出し、「マンガ王国・土佐」を自認する高知県では、まだ知名度こそ低いものの「世界まんがセンバツ」が開催され、世界中から応募作品が集まっている。20年の第3回は29カ国・地域から集まった442作品の中から、余韋德の「70s students」がフリー部門(ストーリーまんが)の最優秀賞を受賞した。
一見、台湾の漫画家らの才能が一気に開花したように感じるが、台湾政府が文化クリエイティブ産業を発展させるために10年間支援を続けてきた結果と見ることもできる。中央研究院デジタル文化センターの黄冠華教授と漫画業界による「CCC(Creative Comic Collection)創作集」の出版がきっかけの一つになった。この定期出版コミック誌の出現によって、台湾漫画は力を蓄え、満を持して日本への「逆襲」が始まったのだ。
政府の支援で低迷期に終止符
台湾漫画は1980年代に一度、黄金期を迎えている。その代表が、水墨画の手法を取り入れ台湾、香港、中国、日本で旋風を巻き起こした鄭問(故人)だ。インテリアデザイナーだった鄭は、1984年に漫画『戦士黒豹』でデビュー。その後、90年にコミック誌『モーニング』で「東周英雄伝」を発表し、海外の漫画家として初めて日本漫画家協会賞の優秀賞を受賞する。当時「今後20年は誰も超えられない天才・鬼才・異才」「アジアの至宝」と賞賛された。2017年3月、病没。翌18年6月、台湾の故宮博物院で「千年一問」の特設展を開催。鄭は故宮に作品が展示された初めての漫画家となった。
この時代、隔週刊誌『歓楽漫画』と週刊誌『星期漫画』が新人らの登竜門となり、鄭のほかに敖幼祥、陳弘耀、阿推らが相次いで作品を発表した。
1987年、長年続いた戒厳令が解除され検閲制度が廃止される。出版物に対する弾圧も緩和されたが、一方で、業界は戦国時代に突入した。特に、法制度がまだ整備されていない中で、日本漫画の海賊版が大量に押し寄せ、台湾漫画は徐々に衰退、漫画家の世代断絶を生む結果となった。 台湾政府や民間が文化クリエイティブ産業を重視し、育成に力を入れ始めたのはここ10年のことだ。
政府が漫画産業を支援するという考えは、2002年に文化建設委員会(現・文化部)が提案した「国家発展重点計画」で、漫画を含む文化・クリエイティブ産業の概念が導入されたことに由来する。
しかし実際に支援が軌道に乗ったのは、12年に文化部が設立されてからである。漫画産業支援策として、国際イベントへの漫画家の参加や海外クリエイターとの交流、台湾の漫画家や出版社を奨励する「金漫賞」の開催、漫画出版業界やクリエイターと読者との情報交換プラットフォームとなる「台湾漫画情報サイト」の設置などがある。
また、16年には、漫画家160人のデータを掲載した『台湾漫画人材ハンドブック』が刊行され、今も定期的に更新されている。
19年1月にオープンした「台湾漫画基地」は、台北駅北側の古民家を改造し、漫画専門店や展示スペース、漫画家の滞在・創作スペースなどを提供している。「文化コンテンツ企画研究所」や漫画基地と漫画デジタルプラットフォーム「CCC創作集」も設置し、クリエイターをハード・ソフトの両面からサポートしている。
「日本風」からの脱却とオリジナリティの獲得
2009年に設立された「CCC創作集」は、台湾漫画産業におけるこの10年で最も重要な出版物であると言える。この雑誌は台湾の最高学術機構である中央研究院の「アニメオタク」の文学・歴史研究者らが企画したものだ。
当時、台湾の歴史資料のデジタル化を一般に普及させる政府プロジェクト「デジタル・アーカイブス」があった。プロジェクトの研究者らは、一般の人々に硬い内容だと思われている歴史資料を、漫画によって身近に感じ、受け入れやすいメディアにすることを考案した。そこで台湾の歴史に関する研究論文資料を現代語に「翻訳」し、漫画家にストーリーのアウトラインを提供したのだ。
こうして制作された「CCC創作集」は、台湾の漫画を出版していた「ガイア(蓋亞)文化」から季報として、1から4号を無料で配布したところ、市場の反応が良好だった。そのため第5号以降は、アウトソーシング事業に切り替え、第10号からは「ガイア文化」が制作と出版を引き継いだ。15年には、売上減少のため一時休刊したが、17年末に復刊。20年8月からは完全デジタル化され、無料オンラインで読めるようになった。
もともと歴史資料の活性化のために制作された「CCC創作集」だったが、台湾の漫画家に足りなかった物語性と、出版の場を提供し、新しい世代の漫画家を育むことになった。
20年の「日本国際漫画賞」で受賞した、韋蘺若明、阮光民、D.S.は、いずれも「CCC創作集」で作品を連載し、「京都国際マンガ・アニメ大賞」を受賞した常勝とANTENNA牛魚も作家陣に名を連ねている。
一方で、台湾の文学・歴史に素材を求めるスタイルは、「文芸漫画」と揶揄(やゆ)されるように、人気が出にくいこともある。しかし、台湾漫画全体を日本から切り離し、あるいは和風テイストから脱却させるという点で、大きく貢献している。
クリエイターである以上、常に同じところにとどまってはいられない。いま台湾漫画はスタイルやコンテンツ、表現手法で独自路線を歩んでいると感じる。日本の台湾文化センターが招聘(しょうへい)した左萱氏と許彤氏がデザインしたパンフレットには、こうした台湾スタイルや自信がしっかり感じられるのだ。
バナー写真=日本からの新型コロナワクチン提供への謝意を、イラストで表現した台湾の漫画家ら。それらを台湾文化センターで展示した際のセレモニーに出席した駐日代表の謝長廷氏(左)と日本台湾交流協会理事長の谷崎泰明氏(右)(筆者撮影)