差別、ジェンダー、メンタル…選手の意思を受け入れた東京五輪。「多様性と調和」は成し遂げられたか
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選手が主張した画期的な五輪
8月8日に閉会式を迎えた東京五輪は、画期的な大会であった。「選手が主張する」という意味において、これまでにない場面がいくつも見られたからだ。
最初に注目を集めたのは、サッカー女子のイギリス代表チームだった。
7月21日、グループリーグ初戦となるチリ戦開始前、選手たちはピッチに片膝をついた。人種差別などへの抗議を意味する行動だった。対戦相手のチリもそれに倣って片膝をついたが、同じ光景は第2戦のイギリス対日本の試合でも見られた。日本の選手たちも片膝をつくことでイギリスに応えたのである。
日本代表主将の熊谷紗希はこう語っている。
「第1戦でアクションしていたことは知っていました。私たちも人種差別について考えるきっかけになったこと、イギリスの選手たちのアクションへのリスペクトという意味で私たちもやろうと、全員で話し合って決めました」
7月25日にはドイツ女子体操チームにスポットが当てられた。この日行なわれた団体予選に出場した4人の選手は、足首まで覆うタイプの「ユニタード」を着用していたのだ。体操女子といえば、レオタード姿が当たり前であった。従来の「常識」を覆したことは、国内外のメディアで大きく取り上げられた。
ドイツ代表の一人、エリザベート・ザイツがその意図を説明した。
「何を快適と感じるかの問題です。すべての女性が、何を着るのかを自分で決めるべきだということを表したいと思っていました」
4人は、団体決勝でもユニタードの着用を続けた。
180人以上の選手がLGBTQを表明
東京五輪では、女子重量挙げのローレル・ハバード(ニュージーランド)らトランスジェンダーの選手が出場して注目されたほか、LGBTQ(性的マイノリティ)であることを表明して参加した選手は180人を超え、過去最多を数えた。
その一人、水泳の男子10mシンクロ高飛込で金メダル、10m個人高飛込で銅メダルを獲得したトーマス・デーリー(イギリス)は、試合を終えてこう語っている。
「ゲイであること、オリンピック・チャンピオンであることを誇りに思います」
試合の合い間、スタンドで編み物をしている姿もしばしば報じられ、それも話題になった。
これらの光景は、これまでの五輪では見られないものだった。大きな変化はなぜ生まれたのか。
東京五輪は「多様性と調和」をテーマに掲げて開催された。多様性は、一人一人の考えや人柄といった「個」を尊重することから始まる。ただ、これまでの五輪は、選手が自身の考えを発言したり、自由にふるまう環境にあったとは言いがたい。
その理由の一つには、国際オリンピック委員会(IOC)のスタンスがある。競技会場や表彰式の会場などで政治、宗教、人種に関する宣伝活動を禁止しているのが最たる例だ。そのため、選手が自身の国で、あるいは世界で起きている政治的・社会的問題にアクションを起こしたくてもかなうことはなかった。実際、1968年のメキシコ五輪では、黒人差別に抗議する意図から表彰台で拳を上げたアメリカの選手が、大会から追放されたことがある。
IOCが選手の抗議行為を初めて容認
近年、スポーツ界ではイギリスサッカー女子代表が行ったように、片膝をついての抗議が広がっていた。これに対し、IOCはこれまでのスタンスを維持すべく、昨春の段階で膝をついての抗議行動を認めない方針を明らかにしていた。だが、急速に変化する世界の潮流には抗えず、開幕を控えた7月初旬、競技中や表彰式、開閉会式、選手村以外については容認することを打ち出した。これまでの歴史を振り返れば大きな変化だった。
選手が率直な意思表示を妨げられていたのは、IOCにのみ原因があるわけではない。五輪はスポーツの祭典でありながら、旧社会主義国などが国威発揚の機会として利用してきたように、国と国の競争の場と化してきた歴史がある。選手たちはそれによっても発信の機会を奪われてきた。
日本を例にとると、直接的にも間接的にも、選手は国のために戦うことを強いられてきた面があるのは否めない。
例えば、90年代の五輪では「(試合を)楽しめた」と発言した選手が強烈なバッシングを浴びた。メディアも含めて、だ。「国の代表なのに楽しむとは何事か」「メダルを獲れなかったのだから『申し訳ない』が最初だろう」。そんな言葉が選手にぶつけられた。選手が自分自身のためにプレーすることが許されない空気があれば、思いや考えを素直に表現することにためらわざるを得ない。
だが、その空気は打ち破られた。人種差別への抗議が世界の潮流に応じて許容されたように、すでにスポーツの世界では、ジェンダー平等をはじめとする社会的な課題に対し、選手が意思を発信することは珍しくなくなっていた。オリンピックだけ無縁でいることはできない。
体操女子のシモーン・バイルス(アメリカ)のケースも、今大会を象徴している。出場するすべての種目で金メダルを獲得すると予想されていたバイルスは、メンタル面の問題から団体決勝を途中棄権、最終種目の平均台で復帰するまで欠場を続けた。選手は国を背負い、代表する存在だと考えられがちだった以前なら批判が出たかもしれない。だが、自分自身のために行動したバイルスには、温かい視線が向けられたのだ。これも選手と世の中、双方の変化の一例だと言える。
自ら主張することをためらわない、自分のあり方を率直に示す選手の姿は、多くの選手たちにも刺激となっただろう。さらに、大会を観た人々にも何かしらの影響を与えたはずだ。主張することがためらわれがちな傾向のある日本社会に、変化をもたらす契機となるなら、それは東京五輪が残した財産だと言える。
バナー写真:男子10mシンクロ高飛込で金メダルを獲得したトーマス・デーリー(左)とマティ・リー(右)。デーリーは母国イギリスでアイドル的人気を持つ(2021年7月26日、東京アクアティクスセンター) AFP=時事
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