アートの街、銀座――アーティストを発掘し評価し続けて半世紀・永井画廊

文化 美術・アート

日本における最大の画廊の街、銀座。アートの街というイメージをさらに広く発信するために、2004年に画廊の組織「銀座ギャラリーズ」が誕生した。銀座ギャラリーズの理事長を務めた永井画廊代表、永井龍之介さんに日本における画廊の歴史、東京のアートシーンとしての銀座の将来について話を聞いた。

永井 龍之介 NAGAI Ryūnosuke

1956年、東京都で生まれた。立教大学経済学部卒業。永井画廊代表取締役。96年からテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演。NHK BSプレミアム「ゴッホとゴーギャン、セザンヌ、ルソー19世紀末の天才画家たち」などに出演。「知識ゼロからの名画入門」「世界でいちばん素敵な西洋美術の教室」「名画のなかの恋人たち」を監修。2019-21年に、銀座ギャラリーズ理事長。

芸術と文化を発信し続ける銀座

東京でも最も洗練されたファッションの中心として知られる銀座。高級ブランド店や有名レストランが軒を連ねる。ヨーロッパの都市を思い起こさせる街路には、日が沈むとライトがともり、大人の街をきらびやかに彩る。ナイトクラブやバーは、取引先を接待するビジネスマンでにぎわう。銀座は、ファッション、グルメに限らず、大きなビジネスチャンスの獲得など、大人の欲求を満たす場所である。

華やかなショーウインドーやショッピングセンター目当ての買い物客にはあまり知られていないが、銀座は画廊の街でもある。今も200軒を超える画廊があり、優れたアートを鑑賞できる。多くの人々に画廊の活動を広め、芸術や文化を振興しようと、2004年には銀座の画廊約40軒が集まり、「銀座ギャラリーズ」という組織をつくった。

1971年に創業した永井画廊の代表、永井龍之介さんはアートシーンの立役者。2019年4月から2年間、銀座ギャラリーズの理事長を務めギャラリーズに加入する各画廊でさまざまなジャンルの作品を鑑賞できるパリのSoirée(ソワレ)のような活動「画廊の夜会」や、22年には日本近代美術に焦点を当てた新たな企画を立てるなど、精力的な活動に取り組んでいる。並木通りにあるビルの5階を拠点とする永井画廊で、永井さんにアート市場での半世紀にわたる経験とジャパン・アートの将来を語ってもらった。

歩行者天国の中の銀座。
銀座の歩行者天国

画廊の街・銀座の生い立ち

銀座で最も古い歴史を持つ「資生堂ギャラリー」はオープンして100年を超えるが、多くの美術商がこの地域に進出するのは、20世紀後半に入ってからだ。

「1960~70年代の高度成長期に最も画廊が増えました。第1次絵画ブームが起こり、普通の会社員でも絵が買えるようになりました」と、永井さん。当時はまだ高校生だったが、美術には興味があり、自宅近くで絵画を習っていた。しかし、大学卒業後は、父親が創業した画廊には関わらず、一般企業に勤めた。

その頃、まだ日本には大きな美術館が少なく「1980年代ごろから全国各地に公立美術館ができ始め、美術業界の大きなクライアントとなりました。今は47都道府県すべてにあります」

バブル経済期(1986~91)には、絵画を投資の対象にした新規参入もあり、銀座の画廊は300軒を超えた。しかし、バブル崩壊後は、200軒程度に減少した。この時代を知る多くの人は、絵画への投資をバブルの象徴として記憶に刻む。こうした不況の中でも個性豊かで伝統ある画廊を中心にアート市場は生き残った。「画廊も含めて、美術館ビジネスが厳しくなったのは、2000年以降でした。美術館の予算が少なくなくなり、日本の美術品のマーケットは中国に移る動きが出てきました」

全国で最も地価が高く、賃貸料も跳ね上がっていた銀座で、小規模な画廊は当然、経済危機の影響を受けた。「もともと並木通りに建つビルの1階には画廊が多かったのですが、2000年以降は次々に海外のブランド店に替わっていきました。今ではなかなか1階に画廊は持てません。家賃が高くアートビジネスに見合いません」

永井画廊の代表、永井龍之介さん
永井画廊の代表、永井龍之介さん

経済が停滞する中でも、コレクターに支えられ多くの画廊が生き残った。「画廊には、企画画廊と貸し画廊の2種類があります。バブル経済に乗らずに地道にやっていた企画画廊や画家をセレクトしてきた貸し画廊は残りました。貸し画廊は画家が場所代を払う日本独特のシステムで、最近ではパリとニューヨークにもありますが、いずれも日本のアイデアを取り入れたものです」

美術鑑定を通して日本のアーティストを発掘

永井さんのもう1つの顔は、美術鑑定士だ。個人が所有する美術品を鑑定し、値踏みする民放の人気番組に、1996年以来、20年間にわたってしばしば出演していた。美術作品に値段を付けるためには、どんな知識が必要なのだろうか。

「例えば藤田嗣治だと、作品の数が多くて日本全国で流通しています。オークションにもたくさん出てくるし、画廊でも値段が付いていて、検討する材料があります。難しいのはほとんど流通していないアーティスト。流通していないから価値がないのではなくて、その人の付加価値を考えて値段を付けることもあります」

大阪万博のシンボルとなったオブジェ「太陽の塔」で有名な岡本太郎(1911-96)。「96年に亡くなった直後、私が出演していた番組に作品が何回も出てきましたが、岡本の作品はほとんどが流通していないのです。名前は知られているけど、絵の流通実績があまりない。彼の手元に残ったものは美術館に入っていますし、「太陽の塔」や、同時期に作られ2003年にメキシコシティで見つかって今は渋谷駅に飾られている壁画「明日の神話」などは、流通するものではありません。番組に何回か絵やオブジェが出てきて、値段をどうするか悩みましたが、結局、数千万円と付けたことがあります」

岡本の死後3年がたった99年10月、神奈川県に「川崎市岡本太郎美術館」が開館したり、パートナーの岡本敏子が彼の生涯や作品について複数の本を出版したりして、岡本の作品は再評価された。永井さんは、岡本の作品を適正に評価して具体的な金額を示し、美術鑑定士として先鞭(せんべん)を付けたことを誇りに思っている。

美術鑑定士には、単に美術品に経済的価値を与えるだけではなく、鑑定を通じてアーティストを発掘し、世に知らしめる役目もある。永井さんが出演していたテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」では、多くの絵画を鑑定してきたが、牧野義雄、高島野十郎など必ずしも知名度が高くない画家を検証し、評価を高めてきた。いま人気が高まっている田中一村(1908-77)は、1980年代にNHK「日曜美術館」に取り上げられて、世に知られるようになったという。「美術の歴史は発掘の歴史でもあります。発掘が美術の歴史を作り上げていくのです」

相次ぐピンチをチャンスに変える

新型コロナの影響で2020年は、東京五輪・パラリンピックは延期を余儀なくされ、4月には政府が最初の緊急事態宣言を発出、誰もが外出自粛を強いられた。永井画廊も活動を休止せざるを得なかった。

そこで永井さんは2020年、ユーチューブチャンネル「永井美楽塾by永井画廊」を開設し、日本人に美術を身近に感じてもらうための試みを始めた。「何もしないわけにいかないし、画廊に来られなくても臨場感を伝えたいと思いました」と説明する。

バブル崩壊、コロナ禍など、画廊にとって逆風が続く中、永井さんは銀座ギャラリーズの活動が難局を乗り越える切り札になるのではないか、と考えている。

パリのギャラリーが主催するSoiréeにヒントを得た「画廊の夜会」は、「パリにお店がある日動画廊ためながさんなどの提案で始まりました」。春と秋の年2回開催する画廊の夜会は、参加者が好きなルートで銀座1丁目から8丁目にある画廊をいくつも訪ねることができる。2020年の秋はコロナの影響でインターネットでの実施となったが、21年春は通常の形で開催した。

また、銀座ギャラリーズは毎年、銀座にある中央区立泰明小学校の3年生の訪問を、永井画廊を含め複数の画廊で受け入れている。

「2022年には銀座の画廊の共同企画で近代美術を見直そうという企画を予定しています。近代は銀座から始まったという原点に立ち返り、もう一度銀座を盛り上げようという企画です」。この地域ならではのアイデンティティーとスタイルを示す試みだ。

永井さんが「銀座は、近代の街」と表現するように、各画廊が近代アーティストを選び、その賛辞を現代アーティストの視点を通じて描いてもらおうというもの。「単にノスタルジーで過去を振り返るだけではなく、過去のものは今のベースになっているはずなので、それを未来に継承していく企画です。ベースを見直ししながら、新しいものを発信していきましょうというメッセージです」

銀座は日本で最も画廊が多い街にもかかわらず、なかなか認知されない。国立新美術館や森美術館などがある六本木の方がアートの街の印象が強い。銀座周辺には、歌舞伎座や能楽堂、映画館、劇場など、文化に触れられる施設が多い。銀座にシンボルとなる美術館がないことも一因だとして、永井さんは「『大人の文化の街』としての銀座の顔となる美術館をつくってもいいのではないでしょうか」という提案もしている。

日本人によるジャパン・アートの評価と発信

日本には浮世絵のように海外で知られるアートがある。「でもその価値は、日本人が自信を持って発信したのではなく、海外で評価された後で日本人がその後を追いかけているわけです。それ以降は、浮世絵の値段が高くなってから、日本人も買い始めました」と永井さんは指摘。西欧からではなく、自国の視点でアートを評価する努力が必要だと説く。

「アートの魅力は答えの分からないものについて、こういう切り口や見方があるといったように、新たなものを提案してくれるところでもあります。私たちが生きていく上で、アート思考という考え方がすごく大事だと思います」と力を込める。

そして「これからは、多くの日本人が自分の目でしっかり評価して発信できるようになったらいいですね」と結んだ。

インタビュー:ルビオ・ダニエル(ニッポンドットコム多言語編集部)

バナー写真:インタビュー時、永井画廊で長谷川健司展―「描かれた顔」を描く―が開催されていた。長谷川健司の絵のそばに立つ永井龍之介さん

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