ジョアン・ジルベルト生誕90周年:ボサノバの創始者と日本のファンの幸福な関係

音楽 エンタメ

ボサノバは1958年にブラジルで生まれ、世界中で愛されているが、日本は特に熱心なファンが多いことで知られる。ジョアン・ジルベルトは、アントニオ・カルロス・ジョビンと共にボサノバの生みの親として名高いが、晩年の彼はことのほか日本の聴衆を愛した。2003年、72歳で初来日公演を行うと、04年、06年にも来日。5000人の聴衆を前にギター1本で対峙したステージは語り草となっている。ジョアンは19年、88歳で亡くなったが、21年は生誕90周年のアニバーサリーイヤー。それを記念し、日本発のトリビュートアルバムが2枚発売された。そこで、共にそのプロデューサーである宮田茂樹氏、伊藤ゴロー氏に、あらためてジョアン・ジルベルトについて語り合ってもらった。宮田氏はジョアンの来日公演を実現させた立役者であり、来日時の秘話もお楽しみいただこう。

宮田 茂樹 MIYATA Shigeki

音楽プロデューサー。1949年東京杉並区生まれ。東京大学文学部卒業後、日本ビクターへ入社。70年代末からRCA ディアハートレーベルのハウス・プロデューサーとして大貫妙子、竹内まりや、EPO、ムーンライダーズのアルバムを制作する。1984年にヨロシタ・ミュージックでYMOや矢野顕子のマネージメントを担当していた大蔵博と、坂本龍一と共に、インディペンデント・レコード会社MIDI RECORDSを設立。坂本龍一、大貫妙子、EPO、鈴木さえ子、リトル・クリーチャーズなど数々のアルバムをリリースする。89年に小野リサが同レーベルからデビュー。91年、小野リサの成功を機に同社の株を売却し、ジョアン ・ジルベルト、ミウシャ、タンバトリオなどブラジル音楽をリリースするディアハートレーベルを設立。2003年にジョアン・ジルベルトの初来日公演を実現。19年、ジョアン ・ジルベルト初の映像作品ジョアン ・ジルベルト・ライヴ・イン・トーキョーをプロデュース

伊藤 ゴロー ITŌ Gorō

作曲家 / ボサノバ・ギタリスト。青森市出身。ボサノバ・フィーリングを感じさせる独自の楽曲で、ジャンルを横断し作曲を探求。坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏との共演や、ブラジルのミュージシャンとも親交が厚く、ジャキス & パウラ・モレレンバウム夫妻との共演は海外でも話題を呼んだ。2013年、プロデュース作品『ゲッツ/ジルベルト+50』ブラジルディスク大賞1位受賞。15年、伊藤ゴロー+ジャキス・モレレンバウム『ランデヴー・イン・トーキョー』ブラジルディスク大賞2位。17年、伊藤ゴローアンサンブル『アーキテクト・ジョビン』ハイレゾ音源大賞1位、ブラジルディスク大賞2位。近年の主なプロデュース作品は原田知世『恋愛小説3~You & Me』(2020)など。映画音楽『思い、思われ、ふり、ふられ』(2020)、『君は月夜に光り輝く』(2019)や、TVアニメ音楽『アルテ』(2020)も手掛ける。また、詩人の平出隆、建築家の青木淳とゼミナール「Crystal Cage College」を不定期に行なっている。

ボサノバを生んだジョアン独自の音楽スタイル

—宮田さんは以前、「ジョアン・ジルベルトによるサンバの再解釈が、彼のマナーだったり、やり方が素敵だったから、ボサノバはああいった形になった」という言い方をされていました。

宮田 ジョアンの何がすごいか、まずハーモニーですよね。彼が考えたハーモニーが非常に新しかった。加えて、ギター奏法と歌唱法も。好きなサンバを、ジョアン流にやったらボサノバになったということです。

—伊藤さんも以前、「ジョアンとジョビンが出会うことによってボサノバが生まれたと思う」と書かれていました。

伊藤 作曲家であるジョビンは、ジョアンに出会う前から曲をつくっていました。ただ、ボサノバのスタンダードになった曲は、ジョアンがいなければ生まれなかったかもしれない。「イパネマの娘」や「ワン・ノート・サンバ」という曲も、この世になかった。

宮田 僕もそう思います。

伊藤 ジョアンのギター奏法は、ブラジルのギターの伝統そのものです。ブラジルには時代ごとにギターの名手がいる。サッカー選手と同じで、ペレがいて、ジーコがいて、ロナウドがいて、というように、ガロート、ルイス・ボンファ、ジョアンと系譜が連なる。

ジョアンの功績といえば、ハーモニーに加えてリズムですね。「ギター1本で多様な楽器の要素を取り入れ、聴かせた」と評する人もいますが、ギターだけでできるミニマムな表現を完成させたのがジョアンかもしれない。

ジョアン・ジルベルト 撮影:土井弘介 ©Hirosuke Doi
ジョアン・ジルベルト 撮影:土井弘介 ©Hirosuke Doi

宮田 注目すべきは、ギターと歌がぴったり重なり合っているわけではなくて、それぞれが微妙にズレたりして違う次元でグルーヴしていること。二つのグルーヴが反応しあうと新たな三つ目の時間軸が現われる感じが僕はします。あんなふうに歌える人は、ジョアンの他に誰もいないんじゃないかな。

伊藤 ポリリズム的なグルーヴ、タイム感ですね。歌うことで、1曲の中で歌手と演奏者を表現することを、本人は楽しんでいる。

宮田 グルーヴを自在に操り楽しめる、自分の思い通りにできるライブの場がジョアンは好きだった。だからライブ盤が多かったのでしょう。

常にギターを手にし、歌っていたジョアン

宮田 ジョアンが演奏できる曲はリストになっていて、500曲から600曲ほどありました。ギターを弾くのがとにかく好きでしたね。日本でもライブが終わり、ホテルの部屋に戻ってからもギターを手にしていた。「これはこっちのハーモニーのほうが良かったのかな」なんて言いながら。

伊藤 ジョアンの歌はマネしようにもマネできない。発声と正確なピッチはもちろん、特にリズムがすごい。言葉と言葉の間のどこでブレスするかということも、きちんと計算されている。ブレスの音すら楽器のようです。そして、息が長い。長いセンテンスのメロディをひと息で歌うこともできる。声を張り上げないでそれを行うのは、高度なテクニックがいる。その点はとても鍛錬したのではないでしょうか。

宮田 ギターを弾き、歌うのがとにかく好きだったから、1日8時間やっても練習とは思っていなかったんじゃないかな。

「イエス」の代わりにハンバーグ!?

—来日公演の話に移りたいと思います。日本公演の話は、すぐに快諾してくれたのですか?

宮田 まず僕は、1989年にブラジルに行った時に、ジョアンの奥さん、ミウシャと仲良くなった。家に招かれたりもしてね。それで2000年になってジョアンを日本に呼ぼうと思い立ち、まずミウシャに電話しました。そこから向こうのエージェントにつないでもらって。

そしてリオに行きましたが、ジョアン本人はツアー中で会うことはできなかった。ただ、僕のいたホテルにジョアンが電話をくれたんです。いろいろ話しているうちに、ギターを弾いて、歌も歌ってくれた。さらに僕の部屋に、ハンバーグが届けられたんです。ジョアンは気に入った人に贈ることがあるらしいんですね。

伊藤 自分のお気に入りのレストランから?

宮田 そう。ミウシャは「それが日本に行くっていう返事よ」と。やはり変わった人なんだなあと。だから日本のスタッフも身構えていました。ところが、公演日の10日前には来ると言っていたのに、結局、日本に来たのは前日。公演初日のリハーサルも、会場に来たのは開演予定時刻の1時間後。お客さんには外で待ってもらって、サウンド・チェックは1曲だけやりましたけど、音にうるさいということは全くなかった。「ああ、いいよ」という感じで。

伊藤 空調を切ってほしいというリクエストはジョアンからあったと聞きました。

宮田 そう、空調はのどに悪いからって。飲み物は冷たいのはだめ。常温です。常温ジルベルト(笑)。

—ジョアンはもともと、日本に対してどんなイメージを持っていたのでしょうか。

宮田 最初に話した時、俳句とか禅の話をしていましたが、深く知っているかどうかは分からない。2003年の初来日の時はちょうど秋場所の時期で、ホテルの部屋でパジャマを着たまま、相撲中継を見ていましたね。中継が終わるのは夕方の6時で、そこから着替えて支度するのに1時間はかかる。でもライブは7時開演予定……。ジョアンは常に開演時間に遅れるので、ライブ・チケットに、「アーティストの都合により開演が遅れる場合があります」と印刷しました。そんなのは僕、他に見たことがないんですが――。

「やらないよりは、遅れたほうがマシだ」という意味のポルトガル語の言い回しがあって、英語だと“better late than never”と言いますが、ジョアンはそれを、しょっちゅう言ってました。時間の感覚が人とは違うんですよね。

2006年の来日公演でのジョアン・ジルベルト photo by Hiroshi Nirei, Shinichi Yokoyama
2006年の来日公演でのジョアン・ジルベルト photo by Hiroshi Nirei, Shinichi Yokoyama

ジョアンが求めていた日本の真摯な観客

—日によって曲順を変えていたようですね。

宮田 ええ。大きな紙に曲名だけ、20曲ほど書いてあるんです。それが3枚、ステージの床に置いてあって、1曲終わると「次は何にしようか」とそのリストを見て、選曲していました。

伊藤 あの曲間は何とも言えなかった。20分ほど間が空くこともあったし。ただあの間にもお客さんはジョアンに引き込まれてましたね。

宮田 大阪では「何しとんねん!」みたいなヤジが入ってた(笑)。

伊藤 それは大阪人のマナーですから(笑)。

—伊藤さんは東京国際フォーラムのホールAという5000人入る会場でご覧になって、どう思われましたか? 

伊藤 すごい衝撃でした。広い会場なのに、とても親密な感じで。もちろん音楽的にすごいものを目の当たりにしているのですが、それ以前に、気持ちが伝わる感覚を強く感じました。そんなライブは初めてでしたね。それはジョアンにも伝わっていた気がしますし、お客さん全員が感じていたと思います。そして全員が心から拍手していた。それは不思議な体験でした。

―日本のように、ああやってシーンとなる会場って、世界的にはあまりないと言われますけど。

宮田 日本でもあれほどシーンとしたことはないんじゃないかな。

伊藤 確かに、息をするのもはばかられるような。

宮田 ライブの後半は、同じ歌詞を5回も6回も歌うんですが、それが呪文のように入ってくる。1対5000じゃなくて、1対1が5000集まったという感じだった。それがジョアンも心地よかったんだろうし、うれしかったんでしょう。

2006年の来日公演でのジョアン・ジルベルト photo by Hiroshi Nirei, Shinichi Yokoyama
2006年の来日公演でのジョアン・ジルベルト photo by Hiroshi Nirei, Shinichi Yokoyama

日本公演のCD化はジョアンの発案

—それでジョアンの方から、日本公演をCDにしたいと話があったのですね。

宮田 そう。本人が言い出すまでは、CD化なんて全く考えてなかったですからね、僕もビックリしました。

―そうなんですね。9月12日の公演がいいというのも本人が指定してきたんですか? 

宮田 毎日公演の音源を録音したものを渡していたんですよ。ある日「ちょっと来てよ。一緒に聴こう」というので出してきた音源が、12日の音源だったんです。「これどう思う?」って、「すごくいいね」と言ったら、「CDにしようか」みたいな流れだった。契約書にはCD化の条項は何もなかった。「CD収録はしません」という条項はあったんですけどね。だからモノラルなんですよ。

―それは、やはり本人も感ずるところがあったということですよね。

宮田 だと思います。それで「来年はどう?」と訊いたら、「やるよ」と言う。そうして2004年、2006年にも来日公演が実現したんです。

伊藤 日本に住むといった話もあったとか?

宮田 家を買ってもいいとは言ってたね。実現はしなかったけど。

豪華メンバーで制作された90周年記念アルバム

―では、最後に、ジョアンの生誕90周年を記念して発売されたお二人が関わったトリビュートアルバム『ジョアン・ジルベルト エテルノ』について、教えてください。これは宮田さんとブラジル最高峰のサウンド・クリエイターと称されるマリオ・アヂネーの呼びかけにより、ジョアンを敬愛するアーティストがジョアンゆかりのレパートリーを録音したもので、ブラジルの超一流ミュージシャンや、日本からは伊藤ゴローさんや小野リサさんが参加されていますが、この選曲はどのように行われたのですか?

宮田 一番ジョアンを語るのにふさわしい曲と共に、ジョアンの作曲した曲を選びました。意外と作曲者としてのジョアンには脚光が当たっていないから、それをたくさんピックアップしようと。

伊藤 ブラジルもコロナ禍で大変ですが、レコーディングはどうでしたか?

宮田 かなりの部分、リモートでやらざるをえなかったですね。参加してくれたミュージシャンはサンパウロに住んでいる人もいれば、ブラジリアに住んでいる人もいて。

―ブラジルでもジョアン生誕90周年というのは祝われているのでしょうか。

宮田 ブラジルの新聞には大きく出ていましたね。その記事の中に、このアルバムのことも紹介されていたけど、ブラジルでは発売されません。ブラジルでは今、CDが売れないから、なかなか新譜は発売されないのです。

―この他にも、伊藤ゴローアンサンブルで『アモローゾフィア 〜アブストラクト・ジョアン〜』も発売になりました。また、J-WAVEの番組では、ジョアンの誕生月の6月に、4週にわたりジョアンの特集が組まれるなど、本国以上に(?)ジョアン人気は盛り上がっています。どうして日本人はこんなにジョアンの音楽を好きなのでしょうか?

宮田 僕もどうしてかなと思いますよ。

伊藤 なんででしょうね。ジョアンの音楽は、ある意味分かりにくさや、マニアックさも備えている。誰にもマネのできない不思議な音楽をつくりだすという点が、日本ならではの熱心な音楽ファンの探究心をくすぐるというか。それに、レジェンドに対する日本人特有のリスペクトの強さも理由なのかな。

撮影:土井弘介 ©Hirosuke Doi
撮影:土井弘介 ©Hirosuke Doi

<トリビュート・アルバム紹介>

CD「JOAO GILBERTO ETERNO」ジャケット ユニバーサル・ミュージック提供

ヴァリアス・アーティスト

『ジョアン・ジルベルト・エテルノ』

宮田茂樹とブラジル最高峰のサウンド・クリエイター、マリオ・アヂネーがプロデュース。大御所ジョアン・ドナートや、アントニオ・カルロス・ジョビンの孫ダニエル・ジョビン、ジョイス、ホーザ・パッソス、レイラ・ピニェイロ、モレーノ・ヴェローゾといったブラジル音楽界の至宝から、小野リサ、伊藤ゴローと日本が世界に誇るボサノバ・アーティストまで、豪華メンバーが結集している。

CD「AMOROZOFIA ABSTRACT JOAO GORO ITO ENSEMBLE」ジャケット ユニバーサル・ミュージック提供
CD「AMOROZOFIA ABSTRACT JOAO GORO ITO ENSEMBLE」ジャケット ユニバーサル・ミュージック提供

伊藤ゴロー アンサンブル

『アモローゾフィア 〜アブストラクト・ジョアン〜』

1977年にジョアンが発表した、名匠クラウス・オガーマンのオーケストラ編曲と指揮によるアルバム『アモローゾ』をテーマにした1枚。アルバムのために書き下ろした組曲「アモローゾフィア」、「Preludium」、「The end of February」と、ジョアンのレパートリーとして有名な「WAVE」、「三月の水」、「ESTATE」を新たにオーケストラ編曲し聴かせる。YouTubeで公開した映像作品『GORO ITO BOSSA NOVA EXPERIMENT dedicate to Joao Gilberto & Antonio Carlos Jobim』では、ジョアンの来日公演における演奏「BIM BOM」に、伊藤が新たにオーケストレーションをプラスした「共演」版も聴ける。

バナー写真:撮影:土井弘介 ©Hirosuke Doi

ジョアン・ジルベルト ボサノバ ブラジル音楽 宮田茂樹 伊藤ゴロー アントニオ・カルロス・ジョビン