『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』劇場公開:富野由悠季監督が描き続ける「戦争」とは

アニメ 社会

1979年に放送された『機動戦士ガンダム』の最新作にして、富野由悠季(よしゆき)監督の手による正当な続編となる映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』が6月11日に公開される。オリジナルから40年を経てなお古びない「ガンダム」の世界観と、富野監督が一貫して描き続けてきた「人類の戦争」について考察する。

いまだに新しい『ガンダム』の世界観

映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』が6月11日より公開される。この作品のもとになっているのは1989年に刊行された小説で、これまで全3巻累計130万部を発行。それが30年以上も経ってついに映画化された。

この物語はなぜそれほどまで長い寿命を持つのだろうか。その疑問は「なぜガンダムというコンテンツは、かくも長く人気を持ち続けるのか?」という問いに通じる。

『機動戦士ガンダム』は1979年に放送されたテレビアニメーション。その舞台は「宇宙世紀」と呼ばれる、人類が宇宙移民を行うようになった未来世界で、スペースコロニー国家「ジオン公国」が、地球連邦政府に対して起こした、自治権獲得のための戦争を描いた。主人公の少年、アムロ・レイは巻き込まれる形で地球連邦軍に所属。モビルスーツ(作中では大型の人型兵器という設定)と呼ばれるロボット兵器「ガンダム」のパイロットとなり、ジオンとの戦争を戦う。

この作品の新しさは、その世界観にあった。

当時のアニメーションは基本的に子ども向けのもの。善と悪の区分が明確で、もちろん主人公サイドが善、敵側が悪だった。しかし『機動戦士ガンダム』の場合、宇宙移民の自治権をあくまで認めようとしない地球連邦政府は、必ずしも善とは言えなかった。一方、宇宙移民側もスペースコロニーを地球に落下させるという非人道的な作戦を実行してしまう。

大人たちが「自分の正義」を掲げて戦争を続ける中、若者は、とにかく自分自身と身の回りの仲間が生き延びるために戦う。それが『機動戦士ガンダム』の物語だった。

この斬新な作品は、当初、人気がふるわず、予定よりも早く放送が打ち切られる。しかし後に支持が広がり、商品化されたプラモデルシリーズの人気が爆発。そして劇場版映画3部作が公開され、のちに「時代の共通体験」と言われるほどの大きなムーブメントとなっていく。

オリジナルの『機動戦士ガンダム』で、ナイーブな少年アムロ・レイの愛機となったモビルスーツ「ガンダム」 ©創通・サンライズ
オリジナルの『機動戦士ガンダム』で、ナイーブな少年アムロ・レイの愛機となったモビルスーツ「ガンダム」 ©創通・サンライズ

そのあり方は「当時思春期、青春期だった人は多かれ少なかれ影響を受けた」という意味で、そして「その後長く愛された」という意味でも、かつてジョージ・ルーカスが1977年に生み出した映画『スター・ウォーズ』と似ている。

作中の名場面は、現在でもパロディやオマージュとしてさまざまな作品で見られる。また「I am Your Father」というダースベイダーの言葉がファンにとって永遠であるのと同じように、「親父にもぶたれたことないのに!」「俺を踏み台にした?」という、ガンダム作中の台詞は日常でも使用され、近年は主人公のライバルキャラクターを取り上げた「シャア・アズナブルに学ぶ」をテーマとするビジネス書まで登場。ヒット企画となっている。

『スター・ウォーズ』は現代に至るまで新作がつくられているが、『機動戦士ガンダム』もまた多くの関連作品がつくり続けられている。

その中でも「宇宙世紀」を舞台とした、最初の『機動戦士ガンダム』の世界観と登場人物を引き継いだ一連の作品があるが、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の場合は、初作の監督である富野由悠季氏自身が執筆した、続編的な小説だ。

「虫プロ」に始まったクリエイター人生

富野由悠季監督は1941年生まれ。ちなみにこの年、もうひとりの偉大なアニメーション監督、宮崎駿氏も東京に生まれている。

今年11月には80歳を迎える富野由悠季氏。その世界観を総覧する「富野由悠季の世界」展が2019年より全国を巡回中。次回は9月4日から新潟市新津美術館で開催される 時事
今年11月には80歳を迎える富野由悠季氏。その世界観を総覧する「富野由悠季の世界」展が2019年より全国を巡回中。次回は9月4日から新潟市新津美術館で開催される 時事

富野氏は大学で映画づくりを学んだ後、1964年に「漫画の神様」、手塚治虫が設立したアニメーションスタジオ、虫プロダクション入社。虫プロが、卒業見込みの学生の採用を行ったのは、後にも先にもこの年だけだったという。

入社当初、富野氏は制作進行を務めた。業務内容はアニメーション制作の進行管理、というと聞こえはいいが、富野氏の自伝『だから僕は… ガンダムへの道』(角川書店)によると、その実際の仕事は、上がったシナリオ、コンテ、原画などを集めて運ぶ「運び屋」だったという。

しかし新人として制作進行を務めながら、入社半年で描いた「鉄腕アトム」の絵コンテが手塚治虫の目に止まり、富野氏は演出家として抜てきされる。そして演出部に移籍し、テレビシリーズ『鉄腕アトム』を最も多く担当した演出家となった。

のちに独立しフリーとなった富野氏は「コンテ千本切りを目指している」と業界内でうわさされたほど、精力的に活動する。そしてやがて初の監督(クレジットは演出)の機会が巡ってくる。1972年に放送された『海のトリトン』だ。

創作の世界では「処女作にすべてがある」という言葉があるが、それは映像作家にも言えるのかもしれない。富野氏の初監督作品『海のトリトン』には、後の「ガンダム」に見られる姿勢がすでにはっきりとあった。

富野氏自身が『海のトリトン』について、その方法論を、「これが“ガンダム”についての僕の基本的考え方と同じであることだ。まさに“ガンダム論”である」と語っている。ではその方法論とはなにかというと、

“悪しきもの”とか何なのか? これは、それぞれの人の立場によって変わるものなのです。運命によっても……。(『だから僕は…… ガンダムへの道』より)

『海のトリトン』では海の平和を乱すポセイドン族と、そのポセイドン族に滅亡に追いやられたトリトン族の少年との戦いが描かれた。「平和の回復と復讐」という、絶対の正義のもとに戦っていたはずの主人公は、最終回で「自分こそが悪だったのかもしれない」という疑問を突きつけられる。

悪は立場によって変わる。当然、正義もまた同じで、その価値は時代や見る人次第で、変わっていく。しかし富野氏は「絶対の正義」ではなく、時に疑問を突きつけられながらも必死で生き抜く少年の姿を描いていた。たとえ子ども向けの作品であっても手を抜かず真剣に。

その姿勢はまさに「ガンダム」で、そこにこそ富野監督作品が時代を超えてもなお新しい、ひとつの理由があるのだろう。

「ガンダム」が描く人類による宇宙戦争

『機動戦士ガンダム』が大きなブームとなったのち、続編にあたる『機動戦士Ζ(ゼータ)ガンダム』が1985年に放送される。

前作から7年後という設定でTV放送された『機動戦士Zガンダム』。主人公カミーユ・ビダンは発展型の「Z(ゼータ)ガンダム」で戦いに身を投じた ©創通・サンライズ
前作から7年後という設定でTV放送された『機動戦士Zガンダム』。主人公カミーユ・ビダンは発展型の「Z(ゼータ)ガンダム」で戦いに身を投じた ©創通・サンライズ

先の戦争で、地球連邦軍は勝利した。しかし「宇宙移民の自治」という問題は解決されないまま残り、勝者であるはずの地球連邦軍が、リベラル派と極右組織に分かれ、内戦に突入する。現代でいえば、たとえば移民政策をめぐって穏健派と強硬派が内戦を起こしたような状況だ。

それぞれの勢力で強硬派が主導権を握り、紛争が続いてしまう状況について、国際政治学者のジョゼフ・ナイ氏は「強硬派同士が事実上、同盟を結んだ状態」と指摘しているが、作中では連邦軍内の極右組織と、ジオン軍残党勢力が、実際に同盟を結ぼうとする展開も見られた。

そして1989年に公開された映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』では、ジオン公国の残存勢力が地球に小惑星を落とし、全人類を強制的に宇宙に移民させてしまうことで、憎悪の連鎖を根本から断ち切ろうとした。

作中の戦いはもはや国家と非国家組織の「非対称の戦争」。アメリカが新しい戦争の形「非対称戦争」に目を向けるのは、1989年のソビエト連邦崩壊の後、冷戦終結後のことだったと言われるが、これらの「ガンダム」作品は、現実の歴史を大きく先取りしていたことになる。

オリジナルの14年後という設定で劇場公開された『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』。アムロは「ν(ニュー)ガンダム」で宿敵シャアとの戦いに挑んだ ©創通・サンライズ
オリジナルの14年後という設定で劇場公開された『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』。アムロは「ν(ニュー)ガンダム」で宿敵シャアとの戦いに挑んだ ©創通・サンライズ

『閃光のハサウェイ』の舞台は『逆襲のシャア』の、さらに12年後。これまでの戦争は、世界をよりよくすることはなかった。

温暖化を契機に環境が悪化する地球だが、そこに自由に行き来できるのは、連邦というシステムのインサイドにいるエリート層のみ。圧倒的多数のアウトサイダーは強制的に宇宙に送られる。富者の子は富者、貧者の子は貧者。社会の格差は固定され、個人の努力で運命を変えることは、もはやできない。非人間的なシステムだけが、どうしようもなく強固になってしまった社会。そんな世界を破壊するために、主人公のハサウェイ・ノアは苛烈な反地球連邦政府運動に身を投じるしかなかった。彼は「その方法は正しくない」と知りつつ、最新鋭のモビルスーツ、Ξ(クシィー)ガンダムのパイロットとなり、連邦政府と敵対する。

私たちの現実の歴史は、いつしか「ガンダム」世界と分岐し、戦争の主役はドローンと情報になった。たとえば2020年に起こったナゴルノカラバフ紛争では、アゼルバイジャンが安価な市販ドローンや自爆攻撃機を戦場に投入し、アルメニア軍に勝利したという。

では、30年以上前に書かれた『閃光のハサウェイ』が懐古的な物語かというとまったくそんなことはない。階級が固定された社会の絶望。それはむしろこれから来る世界のヴィジョンにも感じられる。

現実の世界がますます複雑になるのと同じように、作中の舞台も、善と悪がモザイクのように入り交じり、何が正しいのか間違っているのか、答えを簡単に出すことはできない。しかし映像化されることで、ハサウェイの戦いは、現代社会にまた新たな問いを放つことだろう。

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』で主人公マフティー(ハサウェイ・ノア)が搭乗するのは「Ξ(クスィー)ガンダム」。遂に単独で大気圏内を航行できる機体となった ©創通・サンライズ
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』で主人公マフティー(ハサウェイ・ノア)が搭乗するのは「Ξ(クスィー)ガンダム」。ついに単独で大気圏内を航行できる機体となった ©創通・サンライズ

ロボットアニメを作品に高めた功績

宮崎駿氏と同世代になる富野由悠季氏。しかし宮崎氏が日本のアニメーションの名門、東映動画の出身であり「名作」路線の出身であるのに対し、実は富野氏が所属した虫プロダクションは、制作費の赤字を、作中のキャラクターの商品化によって回収するというビジネスモデルを持っていた。

それは、ひとつバランスが逆転すると「商品を売るためにアニメをつくる」ことにつながるモデルでもあり、事実、富野氏が主戦場としてきた「巨大ロボットもの」と呼ばれるジャンルは、アニメーション業界の中で「おもちゃの宣伝フィルム」と揶揄(やゆ)、自虐する声もあったという。

筆者はかつて「ガンダム」のクリエイターたちにロングインタビューを行ったことがあるが、みなさん口々に「はっきり言えば卑下があった。見返したいという気持ちがあった」と語っていた。

富野氏の凄みは、そうした思いを踏まえた上で、商業も棄てなかったことである。商品化を前提に、ロボットの魅力も描く。そして人物のドラマも描く。誰もやったことのない領域に踏み込み、「楽しく、奥深い」というそれまでは矛盾ととらえられていたかもしれない二つの極の両立を実現してしまった。

そうした富野氏の仕事が後世の創作者に与えた影響はあまりに大きく、たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』の監督として知られる庵野秀明氏も、富野氏の作品『逆襲のシャア』の魅力を検証する本を、自主企画している。

現代では、娯楽分野にこそ最高の資金と人材が集まるようになっている。「商業も、表現としての奥深さも、どちらも追求する」という、富野氏の見せた道の先に、現代の娯楽産業の発展はあったわけで、創作を目指す人が富野氏を尊敬するのも、当然のことかもしれない。

二度の公開延期を経て、2021年6月11日より全国ロードショー。メインビジュアルに描かれるモビルスーツの小ささが、単なる「ロボットアニメ」ではない映画のテーマを物語っている。 ©創通・サンライズ
二度の公開延期を経て、2021年6月11日より全国ロードショー。メインビジュアルに描かれるモビルスーツの小ささが、単なる「ロボットアニメ」ではない映画のテーマを物語っている。 ©創通・サンライズ

公式の「ガンダムチャンネル」では、冒頭19分58秒を先行公開している

バナー画像:『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の初期ティザーイメージ ©創通・サンライズ

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