レトロから進化系まで「自動販売機よ、永遠なれ」―“自販機愛”が止まらない人たち

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設置台数は減少傾向だが、多様化・多機能化する自動販売機は根強い人気を誇る。自販機探訪や昭和時代の自販機の修理・復活に情熱を燃やす人たちに話を聞き、コロナ禍で転機を迎えている自販機の魅力とさらなる進化の可能性を探る。

「グーテンバーガー」が人気だった頃

自動販売機マニア・ブロガーの野村誠さんが自販機の面白さに目覚めたのは、17歳の時だった。当時埼玉県の草加から都内の高校まで自転車で通学していたが、環七沿いにある24時間営業のゲームセンターが気になっていた。「外見的にはあまり足を踏み入れたくない」雰囲気だったが、ある日好奇心に負けて中に入った。「すっげぇ」と目を見張ったのは「食事コーナー」だ。トースト、ハンバーガー、みそ汁、ラーメン、かき氷等、さまざまな自販機が置かれていた。こんなに種類があるなんてと興奮し、がぜん自販機に興味がわいた。

それから、自販機探訪が始まった。特にハンバーガー自販機を探すのが楽しかった。1971年銀座の三越にマクドナルド1号店が出店、バーガー自販機もそのころ誕生し、野村さんが高校生だった90年代初頭には街のあちこちに設置されていた。「水分が多くて湿っぽく、マックに比べれば全然おいしくなかった」と言うが、それでも自販機バーガーの方に親しみを感じていた。特に印象深いのは「グーテンバーガー」だ。発売された70年代当初のブランド名は「マックバーガー」だったが、名称を巡り日本マクドナルドとの間で訴訟になり、「グーテンバーガー」に変更。2002年に販売終了となるまで、自販機ハンバーガーとしては一番の認知度を誇った。

かつてマルシンフーズの子会社が販売していた「グーテンバーガー」
かつてマルシンフーズの子会社が販売していた「グーテンバーガー」

日本独自のサービス精神

ブログを始めたのは98年、24歳の時だ。「群馬県・伊勢崎に古い自販機がたくさん置いてある場所があると聞いて出掛けました。レトロな自販機が何十台も並ぶ無人店舗『山田商店』です。自販機の魅力を広く発信したいと、その場所にちなみ『山田屋』と銘打って、ブログを始めました。アクセスが増えたのは、2002年グーテンバーガーの販売中止が残念だと書いた頃からです。山田商店は何年も前に“廃業”してしまいましたが、ブログは20年余り続けています」

野村誠さんは1974年生まれ。埼玉県在住。本業はシステムエンジニア
野村誠さんは1974年生まれ。埼玉県在住。本業はシステムエンジニア

なぜ、それほど自販機に引かれるのだろうか。

「自販機で買うこと自体がエンターテインメントです。どんなものが出てくるのかなあというワクワク感がある。もちろん、期待を裏切られることもありますよ。うどん、そばの汁がめちゃめちゃ薄かった、トーストは真っ黒に焦げていたとか…。昨今では自販機内部を見せる動画が出回っているので、中でどんなことが起きているのか大体分かっていますが、それでも取り出し口に現れるまでのワクワク感は消えません」

2003年茨城県鹿嶋市で味わった自販機カレー
2003年茨城県鹿嶋市で味わった自販機カレー

日本ならではの自販機のサービス精神も好きだという。「例えば同じ自販機でアイス、ホット、両方の飲料が選べる。海外では、ホット飲料の自販機がないと聞きます。強く印象に残っているのは茨城県鹿嶋市で出会ったカレーライス自販機です。甘口か辛口を選べて、ご飯がきちんとお皿に盛られて出てきました。今現在、このタイプのカレーライス自販機で稼働中のものはないです」

調理する自販機は「メンテ」が命

レトロ自販機の多くは、故障すればそのまま廃棄されてしまう。

野村さんによれば、昭和時代の食品自販機は富士電機とサンデンが主力で、その他、川鉄計量器(現・JFEアドバンテック/麺類、カレー)、ホシザキ(ハンバーガー)、シャープ(麺類)などのメーカーが参入していた。

「富士は現在でも自販機メーカーのトップですが、飲料中心です。他は全て撤退しました。メーカー側はメンテをやめているので、今稼働中のレトロ自販機は、個人商店の“営業努力”のたまものです。故障したら、廃棄された自販機から部品を調達したり、自分で部品を作ったりもしています」

自販機は飲料メーカーなどが土地所有者との契約の下で設置する場合と、個人商店が独自に設置する場合とがある。後者の場合、「仕入れから補充、ゴミ箱の片付けまで、全てその商店の人が担います」。また、電子レンジを内蔵して「調理」する自販機は飲食店扱いとなり、食品衛生法が定める設置基準を満たさなければならない。

「生き残っている自販機は、とにかくオーナーが維持するために多大な努力を払っています。以前は、メーカーから独立した修理専門の業者もいましたが、高齢化が進みほとんど引退してしまった。自販機食品の味は、メンテが命です。一生懸命メンテしている自販機のうどん、そば、ハンバーガーはそれなりにおいしい。同じ型の自販機でも、場所によって、味が全然違うんですよ」

レトロ自販機の復活に情熱を燃やす人たち

北海道美瑛町で食料品店を営む花輪紀宏さんは、道内で「絶滅」状態だった麺類自販機をよみがえらせたいと、富士電機の古い麺類自販機を譲り受けた。クラウドファンディングで設置費用などを募り、年内には天ぷらうどん・そばの販売開始を予定している。故障していた自販機を北海道までやって来て修理してくれたのは、神奈川県相模原の「中古タイヤ市場」社長・斉藤辰洋さんだった。

硬貨を入れると、自販機内部で器にセットされた冷蔵麺と具材が「調理台」に送り出されて熱湯がかけられ、台が高速回転して湯切り、だし汁が注がれて完成。所要時間は約30秒(写真:花輪紀宏)
硬貨を入れると、自販機内部で器にセットされた冷蔵麺と具材が「調理台」に送り出されて熱湯がかけられ、台が高速回転して湯切り、だし汁が注がれて完成。所要時間は約30秒(写真:花輪紀宏)

斉藤さんは、2016年、中古タイヤ市場の敷地に自ら修理した古い自販機を設置した。現在では95台が稼働、レトロ自販機マニアが訪れる「聖地」となっている。 

「もともと古い自販機が好きで、こつこつと収集していました。派手な色が多くて、見た目も楽しい。そのうち、稼働させてみたくなり、自分で修理を始めました」と斉藤さんは言う。「タイヤ交換などの待ち時間にお客さんが休める場所を提供したいという思いもあって、自販機コーナーをオープンしたんです。いまでは、昭和の代表的な自販機はほとんどそろっています」

「Bigバーガー」自販機
「Bigバーガー」自販機

「ハンバーガーは地元の食品会社に委託していますが、麺類、トースト、弁当などの調理、補充は全て私とスタッフがこなしています。毎日チェックして必要な修理もしています。いまでは、タイヤ交換より、自販機コーナーのために訪れる人の方が多い。週末には1000人ぐらい来ているのじゃないかな。家族連れも多くて、子どもたちはかき氷の自販機を喜んでます。おみくじ自販機もあるので、ここに来たら、みんなおみくじを引いていると思いますよ」

斉藤さんの夢は、全国を旅して、故障している自販機を修理して復活させること。「まだ修理すれば稼働するレトロ自販機がたくさんあると思います。できる限り修理して、少しでも長く動き続けるようにしてあげたい」

自販機マニアの情報交換の場にもなっている神奈川県相模原・中古タイヤ市場
自販機マニアの情報交換の場にもなっている神奈川県相模原・中古タイヤ市場

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