台湾を変えた日本人シリーズ:台湾に骨を埋めた明石元二郎

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古川 勝三 【Profile】

日本政府から台湾に派遣された総督は合計で19人を数えた。歴史に名を残した総督も少なくないが、その中で、自らの墓を台湾に作るほど、台湾への深い思いを抱いた人物は、明石元二郎以外にいないだろう。

55歳で病死、遺体を台湾に埋葬

将来の総理大臣という呼び声も高かった明石だが、1919年公務のため台湾から日本へ渡航中の洋上で発病し、「もし自分の身の上に万一のことがあったら、必ず台湾に葬るよう」との遺言を残して故郷の福岡でこの世を去った。55歳であった。遺体はわざわざ台湾に移され 台北の「三板橋」にあった日本人共同墓地に埋葬された。

しかし、国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党軍とその家族200万人が台湾に逃れた際、日本人墓地一帯には国民党軍の兵士らが住み着き、明石の墓地も破壊された。これを救ったのが、1994年に台北市長になった陳水扁である。陳水扁は立退き料を払って居住者を退去させ、同地を森林公園とする事業を進めた。明石の墓は80年ぶりに掘り起こされ、その後「台湾を愛した祖父を台湾の土地で眠らせてやりたい」との親族の気持ちを知った多くの台湾人の熱意と協力によって、1999年、台湾海峡を望む三芝郷の「福音山キリスト教墓園」に新たに明石の墓が建てられた。明石が亡くなってから80年後のことである。

台北郊外の新北市三芝区に再建された明石元二郎墓地(片倉佳史氏撮影)
台北郊外の新北市三芝区に再建された明石元二郎墓地(片倉佳史氏撮影)

バナー写真=台北市内の康楽公園にある鳥居(片倉佳史氏撮影)

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古川 勝三FURUKAWA Katsumi経歴・執筆一覧を見る

1944年愛媛県宇和島市生まれ。中学校教諭として教職の道をあゆみ、1980年文部省海外派遣教師として、台湾高雄日本人学校で3年間勤務。「台湾の歩んだ道 -歴史と原住民族-」「台湾を愛した日本人 八田與一の生涯」「日本人に知ってほしい『台湾の歴史』」「台湾を愛した日本人Ⅱ」KANO野球部名監督近藤兵太郎の生涯」などの著書がある。現在、日台友好のために全国で講演活動をするかたわら「台湾を愛した日本人Ⅲ」で磯永吉について執筆している。

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