ポストコロナの新ツーリズム:「京都 清水寺編」
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沈む夕日を眺めて極楽浄土を想う
午後6時の閉門時刻が過ぎると、清水寺の境内から観光客の姿が消えた。
仁王門(正門)をくぐって石段を上がり、西門(さいもん)越しに愛宕山を見やると、山の背をオレンジ色に染めて太陽が沈んでいく。思わず歩を止め、物思いに沈みそうになる。
そんな私の気持ちを感じ取ってか、清水寺で執事補を務める森清顕(もり・せいげん)師が教えてくれた。
「本来、西門は勅使の通行に使われる門として建てられています。しかし、ここから望む、西の空に沈む朱(あか)く染まった太陽は、古来より西方極楽浄土を想う場として、逝きし方との対話や自らの往生を願うところとなりました。これは、極楽浄土を目の当たりにするための日想観(にっそうかん)の修行とも言えます。また、日本人の死生観の特質は、死者との連帯感にあり、その象徴的な空間とも言えます」
「清水の舞台」で有名な清水寺だが、夕刻の“主役”は、「京都屈指の夕日の名所」と謳われる西門。ここは極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観の聖所なのだ。
やがて太陽が完全に沈んで漆黒が深まると、西門は主役の座を奥に立つ三重塔に譲る。高さ約31mと国内最大級の総丹塗りの塔がライトアップされ、極彩色の文様までが鮮やかに浮き上がる。
本堂内々陣で観音様に誓う
ひとしきり西門からの夕日や三重塔の夜景を楽しんだ後、経堂の中に入る。
堂内には釈迦三尊像が祀られ、鏡天井には墨絵の円龍が描かれている。江戸時代の絵師・岡村信基の作という。釈迦三尊像の前に座り、用意された筆ペンで奉書紙に誓い事を書く。書き終えたら、奉書を携えて本堂に向かう。
轟(とどろき)門を入ると「清水の舞台」で知られる本堂だ。
内部は、巨大な丸柱により外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つの空間に分かれている。一番奥の内々陣には御本尊「十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんぜおんぼさつ)」が奉祀されており、清水寺にとって最も神聖な場所だ。年に一度の「千日詣り」などでの特別拝観以外は非公開となっている。
誓い事をしたためた奉書を仏前に置き、森清顕師が祈祷する。ご祈祷が終わると、自ら仏前で声に出して、あるいは心の中で誓いを立てる。
誓願を終えると本堂を抜けて奥の院に向かう。奥の院の舞台から眺める本堂と京都市街の景色はガイドブックなどでよく見る絵柄だが、夜景はまた違った荘厳な雰囲気を醸し出す。ここで「暗闇の清水寺 誓願式」は終了となった。
「暗闇の清水寺」誕生の背景
「暗闇の清水寺 誓願式」は、閉門時間後の清水寺を、1日3組程度、最大約20名限定で拝観できる試みだ。参加費は1人2万円ほど。ウィズコロナ、ポストコロナの新たな試みとして今、京都市内外のホテル関係者や観光業者らから注目を集めている。
だが、この試みは「コロナ対策」として生まれたわけではない。企画・運営を担当する「一般社団法人 日本巡礼」の代表理事、船田幸夫さんは次のように話す。
「『暗闇の清水寺』を始めたのは2019年5月のこと。当時はオーバーツーリズムが叫ばれる真っただ中。あらゆる物や文化が観光という名によって消費され、寺社もその嵐に巻き込まれていました。だからこそ、単なる消費的観光ではなく、祈りの場である本来の寺社のあり方を示すために、清水寺さんと一緒に立案しました」
「例えば、お釈迦さまの誕生日である旧暦の4月8日が、母の日と重なっていたこともあり、堂内にカーネーションを飾って法要をし、お釈迦さまの生涯を振り返るとともに、かけがえのない命について語らいました。このほかにもいろいろと試行錯誤し、『祈り』を形にする一つの手段として『誓願式』にたどり着きました」
森清顕師が続ける。
「清水寺の境内は、観音浄土を具現化した空間であり、景色や空気に触れていただき、感動を覚え、心を休めていただくことが観音浄土を感じることを意味します。しかし、そこからもう一歩踏み込んで、少しでも間近に観音さんと直接対面し、縁を結んでいただく。映像などの間接的な接し方ではなし得ない、参加者と観音さまだけの対話の機会と空間をつくることで、祈る心を伝えたい、と常日頃考えていました」
2020年1月、船田さんらは「暗闇の清水寺 誓願式」を立ち上げ、フェイスブックなどのSNSを使って情報を発信。その直後、日本列島はコロナに襲われる。「誓願式」も中止を余儀なくされたが、やがてコロナ対策を講じて再開。口コミでも情報がジワジワと広まり、公募形式での開催を望む人が増えてきた。このため6月中には公式ホームページを開設し、月1回ぐらいのペースで一般公募専用の誓願式も設ける予定だ。
「極楽浄土」の空気を深呼吸してほしい
清水寺には「清水寺参詣曼荼羅」という絵図が残されている。
同作品は、16世紀に描かれたと伝えられるもので、一枚の絵の中に数ある堂塔伽藍がくまなく配置され、境内に咲き誇る桜や、本堂舞台に押し寄せて洛中の眺望に感嘆する人々の表情など、当時の清水寺のにぎわいがいきいきと描かれている。
つまり、観音信仰の霊場として古くから名高い清水寺は、観音浄土としての信仰空間であると同時に、それに基づいた遊山としての「非日常」の楽しみでもあったのだ。世情が不安定で楽しみが少なかった時代にあって、美しい風景に感動し、珍しい寺宝に驚き、美味しい団子を食べて一日が終わる――それは最高の贅沢だった。
そして、その本質は今もこの先も変わらない、と森清顕師はきっぱりと言う。
「清水寺は、昔は閉門時間を設けず、いつでもお参りが自由にできました。古典文学にもみられるお籠(こ)もりや、お百度など夜のお参りも盛んでした。しかし、このご時世にあっては、残念ながら叶いません。それでも、わずかな日数しか今はできませんが、工夫を凝らし、『暗闇の清水寺』として電気照明を極力なくし、五感をフルに使って観音浄土に浸っていただきたい。コロナ禍の心苦しい今だからこそ、誰もいない本堂舞台の上でマスクを外し、観音浄土の空気を思い切り深呼吸してもらいたい——そうした思いを強くしています」
暗闇の清水寺
公式ホームページ:https://kurayami.jp/
取材協力:一般社団法人 日本巡礼、ツーリズムプランナー・船田幸夫
バナー写真:「暗闇の清水寺 誓願式」で見た境内の光景。薄暮に佇む三重塔の姿にため息が漏れる。撮影:天野久樹