伊達公子が挑む「ガラパゴス化」したテニスコート改革

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武田 薫 【Profile】

大坂なおみや錦織圭、西岡良仁らの活躍で日本のテニス人気は盛り上がっているが、彼らはいわゆる「日本育ち」の選手ではない。近年では、世界で活躍する日本育ちのトップ選手は伊達公子、杉山愛など数少ない。なぜ育ちにくいのか。その原因の一つとされているのがテニスコートの問題。日本は世界でも稀にみる「砂入り人工芝コート大国」になっている。この「ガラパゴス化」が選手の世界進出の障害になっているというのは元世界ランク4位の伊達公子さん。なぜ、このサーフェスが問題なのか、伊達さんに話を聞いた。

伊達 公子 DATE Kimiko

6歳でテニスを始める。高校3年時、インターハイでシングルス、ダブルス、団体の3冠。卒業と同時にプロ転向。全豪、全仏、全英でベスト4入り。アジア女子選手として初めてWTA世界ランキングトップ10入り。自己最高ランキング4位。96年、引退。08年に「新たなる挑戦」として現役復帰し、その年に全日本選手権シングルス、ダブルス制覇。09年 WTAツアーハンソルオープン優勝。さまざまな最年長記録を塗り替え、17年、2度目の引退。その後、早稲田大学大学院修士課程を修了。現在はジュニア選手の育成、テニスの環境整備に注力。スポル品川大井町でテニスコートとスポーツスタジオをプロデュース。また東京・恵比寿でドイツパンの店 FRAU KRUMMをプロデュースするなど多方面で活躍中

錦織圭が嫌いな理由は「転ぶと痛かったから」

「サーフェスの話になると、自治体の方々は決まって『(砂入り人工芝は)体に優しいんでしょう?』とおっしゃる。でも、根拠はないんです。昔のハードは硬くて速かったけれど、今は塗料を何層も塗るなどして、昔ほどの硬さはない。コストも維持費(砂入り人工芝は本来ならば定期的に補修が必要だが、補修回数を減らすために砂を多く撒く傾向が強い)を考えれば、むしろ安いと言う人さえいます。(ハードという)イメージだけで話が膨らみ、事が進んでいる印象ですね」

ちなみに、錦織圭は小学生時代に経験した砂入り人工芝が嫌いだった理由を「転ぶと痛かったから」と話している。

伊達選手は40歳で世界ランク43位まで上がり、42歳で全豪、ウィンブルドンの3回戦に勝ち進み、46歳で二度目の引退。そこから「思い込み」への挑戦が始まった。

突き詰める性格なのだろう。早稲田大学大学院スポーツ科学科でこのテーマに取組み、国内外約6000人のアンケートをもとに修士論文、「日本人テニスプレイヤーの世界トップレベルでの活躍を阻むコートサーフェス」を2018年に書き上げた。30年で広まった“異質なコート”をあらゆる角度から詳細に分析した論文は、スポーツ科学科の年間最優秀論文に選ばれている。

東京五輪後、有明はまた元の砂入り人工芝に?

伊達さんの働きかけで砂入り人工芝からハードに改修された事例もある。伊達選手の復帰初戦となった「カンガルーカップ」の会場、岐阜長良川テニスプラザのコートは当時、砂入り人工芝だった。それを彼女が古田肇岐阜県知事に直談判したこともあって、ハードに改修され、現在に至っている。

奈良くるみ(左後方)と組んで出場したカンガルーカップのダブルスで優勝(シングルスは準優勝)し、手を振って声援に応える伊達公子選手。会場の長良川テニスプラザ(岐阜市)は当時、砂入り人工芝だった(2008年5月4日)時事
奈良くるみ(左後方)と組んで出場したカンガルーカップのダブルスで優勝(シングルスは準優勝)し、手を振って声援に応える伊達公子選手。会場の長良川テニスプラザ(岐阜市)は当時、砂入り人工芝だった(2008年5月4日)時事

砂入り人工芝の普及には、一般利用者の根強い支持も影響している。たとえば、国際大会を開くためには世界基準に順ずる必要があり、東京五輪の会場になる有明テニスの森公園の16面の砂入り人工芝は、ハードに改修された。ところが、大会後に再び砂入り人工芝に戻される計画がある。それは一般の利用者からの強い要望があるためで、自治体はそうした声に押されがちになる。

2026年にアジア大会が開催される名古屋市の東山公園テニスセンターも、ハードに改修してから元に戻す計画があった。「せめて、戻さないで」――20年12月、伊達さんは名古屋に赴き、河村たかし名古屋市長に面会し、要望書を手渡している。

世界基準に戻すための30年計画

「ガラパゴス化」が著しい日本のテニス環境だが、良い兆候もある。大学の大会からは砂入り人工芝が消えた。主要な大会はほとんどハードコートで行われるようになり、早稲田、慶應、亜細亜といった強豪大学のコートはほとんどハードになっている。女子ダブルスで世界13位(2021年5月17日現在)につけている早大OGの青山修子は、大学卒業後にプロ入りしているが、彼女の活躍もそうした環境が生み出した成功例と言えるだろう。

「大学がハードコートになったのは大きいですが、高校生やジュニアの大会はまだハード化が進んでいません。テニスのプレースタイルが固まる高校のレベルで、あれほど砂入り人工芝で大会が行われているのは、強化の面では大きなマイナス。テニス協会だけではなく、高体連も関わってくるので難しい面はありますが、そこが変われば高校テニスも良い方向に行くようになると思います」

では、伊達さんはどのようにしてサーフェスを変えていこうとしているのだろうか。

「30年かけて国体などの開催を機に次々と砂入り人工芝になっていったわけですから、これから30年かけて大きな大会の開催時に順々にハードに改修していくのが一番の近道ではないでしょうか。そのためには、地域のテニス関係者の方々の理解と熱意が必要になります。私が声を挙げているのも、誰かがアクションを起こさない限り何も変わらないからで、一人でも多くの賛同者を増やして理解を求めていきたいですね」

「ガラパゴス化」した日本のコートの改修は途方もない難関に思えるが、彼女の「30年」という言葉にそれほどの悲壮感は感じられない。思えば、この“異質なサーフェス”という地殻変動は、もともと伊達選手が30年前に起こした「アジアの奇跡」の副産物なのだ。伊達さんはかつてライジング・ショットを編み出したように、この副産物との「戦い」に勝つ秘策をこれから練っていくに違いない。

バナー写真:上平庸文撮影

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スポーツライター、国際テニス記者会会員。1950年、宮城県出身。報知新聞記者を経て85年フリーに。テニス、マラソン、野球を中心に取材。著書に『オリンピック全大会』『マラソンと日本人』(朝日新聞出版)『サーブ&ボレーはなぜ消えたのか』(ベースボールマガジン社)など

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