魔除けで溢れる台湾と日本――爆竹とアマビエ

文化 暮らし

大洞 敦史 【Profile】

古来、人々は病気や自然災害などが人格をもった存在によって引き起こされると考え、それを遠ざける力を持つとされる物や儀式を生活の中に取り入れてきた。日本のしめ飾り、豆まき、台湾の爆竹や春聯などはその典型だ。2012年から台湾で暮らす筆者が、体験を交えて日台の魔除けの比較を試みた。

創作される守り神

新型コロナウイルスの流行からほどなくして、日本では「アマビエ」という名の妖怪のイラストが大流行した。出所は1846年の瓦版で、長髪でとがった口元、菱形の目、うろこに覆われた身体、ヒレのような下半身を持つユーモラスな妖怪が、人々に疫病の流行を預言し、自分の姿を紙に写して厄除けとするよう勧めたとされる。

「肥後国海中の怪(アマビエの図)」(京都大学附属図書館所蔵 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/)
「肥後国海中の怪(アマビエの図)」(京都大学附属図書館所蔵

やがて厚生労働省のツイッターにもこのイラストが掲げられ、SNS上では原画を改変した「創作アマビエ」の画像が続々投稿されるようになった。イラストのほか人形、陶芸、お菓子、コスプレなど、表現方法も多岐にわたっており、どれもつい微笑みたくなるほど可愛らしい。

守り神の創作は、沖縄では昔から行われてきた。土産物屋に入ればかわいらしいものから厳めしいものまでバラエティ豊かなシーサーが並んでいるし、民家の塀や屋根の上にも、粘土や漆喰(しっくい)や瓦を使って手作りされたシーサーを見ることができる。

筆者が暮らす台南市でも以前、地元の陶芸家・呉其錚氏が発起人となって「風獅爺復育計画」というプロジェクトが進められた。沖縄のシーサーにもどこか似ている風獅爺は主に金門島で信仰される獅子の姿をした守り神だ。筆者も一度かの地へ行き、表情も体つきもさまざまな何十尊もの風獅爺を探して回ったことがある。台南の港町・安平には金門からの移民が多く、昔は屋根の上に多くの風獅爺が見られたが、時代の流れとともにその数は減っていった。そこで、絶滅寸前の風獅爺を新たに増やしていこうと、有志を募ってユニークな風獅爺を制作したのだ。安平の赤レンガと赤瓦で造られた古民家が並ぶエリアでは、この時作られたたくさんの創作風獅爺を見ることができる。筆者が制作した渦巻きをモチーフにした風獅爺は、三霊殿という廟の前にある古民家の屋根に置かれている。

金門島に祀られている風獅爺(筆者提供)
金門島に祀られている風獅爺(筆者提供)

「神様」の創作活動に共通するのは、大衆の遊び心である。「こんな神様がいたら面白い」と自由に発想を巡らせ、具象化し、コミュニティの中で共有する。その姿は個性的かつユーモラスで、見る人をほがらかな気持ちにする。

呪術から祝祭へ

昔の人々が対処する術のない脅威に直面したとき、どれほど恐れおののいたかを、私たちは新型コロナウイルスの流行を経て、いくらかでも想像することができるようになった。魔除けは常に人間の生活の一部だった。どれほど科学が発達しても、人はアマビエのような存在を必要としている。

かつては人身御供のように残酷な形をとるものも多くあった。しかし大きな犠牲を伴うものは歴史のどこかの時点で廃止され、あるいは改変されてきた。爆竹は竹を使わなくなり、赤飯も現代では祝祭の意味が強くなっている。豆まきは家庭の愉快なイベントとなり、シーサーは沖縄を代表するマスコットとして多様な創作がされている。

最初はある種の呪術として生じたものでも、長い年月を経て、いつしか日常生活に取り入れられ、私たちの暮らしを豊かにしてくれるものに変容する。ここで紹介したものは、ほんの一例にすぎず、私たちはいにしえの人たちの魔除けを生活習慣やしきたりとして受け継いでいるのである。

バナー=台南・安平の破邪物「剣獅」。17世紀この地に駐留していた鄭成功の軍隊の盾に由来するという(筆者提供)

この記事につけられたキーワード

台湾 正月 魔除け 爆竹

大洞 敦史DAIDO Atsushi経歴・執筆一覧を見る

1984年東京生まれ、明治大学理工学研究科修士課程修了。2012年台湾台南市へ移住、そば店「洞蕎麦」を5年間経営。現在「鶴恩翻訳社」代表。著書『台湾環島南風のスケッチ』『遊步台南』、共著『旅する台湾 屏東』、翻訳書『フォルモサに吹く風』『君の心に刻んだ名前』『台湾和製マジョリカタイルの記憶』等。

このシリーズの他の記事