元阪神タイガース林威助が台湾プロ野球で伝えたい日本での学び

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鄭 仲嵐 【Profile】

台湾の野球選手にとって、日本のプロ野球でプレーすることは、野球人生の中でも輝かしいキャリアとなる。この30年間、多くの台湾出身選手の活躍に触発され、日本に「野球留学」をする学生が増えている。かつて阪神タイガースで活躍し、現在は台湾プロ野球・中信兄弟の監督を務める林威助は、野球留学の先駆者だ。

阪神タイガースOBとの交流

阪神タイガース引退後は台湾に戻り、後に中信兄弟の2軍監督として選手らのレベルアップに力を尽くした(中信兄弟提供)
阪神タイガース引退後は台湾に戻り、後に中信兄弟の2軍監督として選手らのレベルアップに力を尽くした(中信兄弟提供)

阪神に10年間在籍した後、林威助はその野球人生の後期に台湾に戻り、兄弟エレファンツ(当時)に加入した。キャリア後期には指導者となり、2018年に中信兄弟の2軍監督に就任した。

「当時、2軍の練習量は不十分で、施設も良くないと感じていた」と林は言う。しかし、この1、2年で中信兄弟は春季キャンプの施設を大きく進化させた。林は今後、練習量を増やして「プレッシャーをかける2軍」を作り、常に1軍を脅かす存在にしていくと語っている。

林は「根気強さ」が習慣化されると、それが少しずつ未来を変えていくことになり、「毎日少しずつ頑張れば、結果は必ずついてくる」と信じている。

1軍監督の責任はさらに重く、毎試合の勝敗が全て心理的な重圧となる。林は「プレーの細部と戦術についてしっかりと鍛える」という日本流の緻密さを徹底的に実践したいと考えている。

中信兄弟監督に就任した今も、タイガースOBとの交流は続いている。林は「藪(恵壹)さんや安藤(優也)さんに投手の投球フォームの写真を送って、意見をもらったりしています。うちの黄恩賜はいいピッチャーだと言っていました」と笑顔で語る。野手の守備についても、藤本敦士から、意見を求めているという。

振り返ってみると、日本での18年間は、林の人生を大きく変えた。中学時代の林武郎顧問、柳川高校の末次秀樹監督、大学やプロ野球の監督や先輩など、感謝すべき人はたくさんいると言い、「どのステージでも良い先輩に恵まれ、本当に幸運でした」と林は語る。

浮き沈みはあったものの、いずれも適切な時期に適切な人と出会った。「水を飲む時、その源を想う」だけでなく、林威助は日本で学んだ野球の精神を活かし続けて、台湾と日本のスポーツの懸け橋になろうとしている。

「世界のホームラン王」王貞治氏は林威助にとって尊敬すべき先輩であり、子どもの頃のアイドルでもあった(林威助提供)
「世界のホームラン王」王貞治氏は林威助にとって尊敬すべき先輩であり、子どもの頃の憧れの存在でもあった(林威助提供)

バナー写真=鋭い眼光で試合に臨む林威助。2021年、中信兄弟の監督に就任した(中信兄弟提供)

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ニッポンドットコム海外発信部スタッフライター・編集者。1985年台湾台北市に生まれ、英ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒。在学中に福岡に留学した。音楽鑑賞(ロックやフェス)とスポーツ観戦が趣味。台湾のテレビ局で働いた経験があり、現在もBBC、DW中国語や鳴人堂などの台湾メディアで記事を執筆。著書に『Au オードリー・タン天才IT相7つの顔』(2020,文藝春秋)。インディーズバンド『The Seven Joy』のギタリストとして作曲と作詞を担当している。

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