元阪神タイガース林威助が台湾プロ野球で伝えたい日本での学び

文化 スポーツ

台湾の野球選手にとって、日本のプロ野球でプレーすることは、野球人生の中でも輝かしいキャリアとなる。この30年間、多くの台湾出身選手の活躍に触発され、日本に「野球留学」をする学生が増えている。かつて阪神タイガースで活躍し、現在は台湾プロ野球・中信兄弟の監督を務める林威助は、野球留学の先駆者だ。

阪神・左のスラッガーの系譜

プロ野球が開幕した。阪神タイガースの新人、近畿大出身の佐藤輝明は、オープン戦からホームランを連発し、「怪物ルーキー」と注目を集める。阪神には、1980年代の掛布雅之やバースに始まり、90年代にはトーマス・オマリー、2000年代に入ると、金本知憲に桧山進次郎と、各年代を通じて左のスラッガーが存在した。

今から19年前の02年、台湾出身の林威助(リン・ウェイツゥ)も、同じく近畿大学からドラフト7位で入団し、タイガースの有望新人と称された。

台湾出身の林威助。左の強打者として期待され、ドラフト7位で入団した(阪神電鉄提供)
台湾出身の林威助。左の強打者として期待され、ドラフト7位で入団した(阪神電鉄提供)

現役引退後は、18年から台湾プロ野球・中信兄弟の2軍監督を務めていた林は20年12月に1軍監督に昇格し、今季から采配を振る。21年2月中旬、筆者は台湾南部の屏東県にある中信兄弟の春季キャンプを訪れた。熱帯に属する南の地はすでに気温が25度に達しており、選手たちは球場での紅白戦やウエイトトレーニングに汗を流していた。

監督就任後の林は、毎日、現場で選手の状態をチェックしている。日本式の野球の影響を深く受けている彼の言動の一つ一つに、日本のルールや考え方がしみ込んでいる。日本の野球に対する憧れはいつから芽生えたのか?と聞くと、林は少し首を傾(かし)げた後、ゆっくりと「衛星放送を観てからですね」と答えた。

熱帯に属する台湾最南端の屏東県。中信兄弟の春季キャンプが行われていた(筆者撮影)
熱帯に属する台湾最南端の屏東県。中信兄弟の春季キャンプが行われていた(筆者撮影)

次ページ: NHKの衛星放送で日本プロ野球を知る

この記事につけられたキーワード

プロ野球 台湾 野球 阪神タイガース NPB

このシリーズの他の記事