若林正丈の「私の台湾研究人生」

私の台湾研究人生:近代台湾知識人の輝いた時代――台湾議会設置請願運動百周年を記念する

国際 歴史

若林 正丈 【Profile】

1月30日、植民地統治下の台湾で行われた台湾議会請願運動から百周年を迎えた。筆者の脳裏に去来したのは、かつて目撃した1980年代の民主化運動との間での「民主自治の台湾」の発展に向けたビジョンの重なりだった。

下からの台湾ビジョンの提起

共通点の二つ目は、両者がそれぞれの時期の統治イデオロギーに対抗する「台湾ビジョン」を提起したことである。

日本の「内地延長主義」に何らかの「台湾ビジョン」があったとすれば、それは、内地=日本本国の法・制度を漸進的に施行して植民地行政の制度的同化を進め、それにつれて植民地住民の「民度」が向上すれば、それに応じて本国並みの参政権を認めていく、という将来展望における「大日本帝国」の特殊な「地方」であった。そこでは「民族」を単位とする自治はもちろんのこと「台湾」という地域単位を住民自治の及ぶ一単位として設定することも明確に拒否されていた。帝国議会は毎年台湾議会設置の請願を不採択とすることでこの方針を裏書きした

台湾議会設置請願運動のビジョンは、これに対して、台湾総督府の管轄区域という形の外力によって設定された「台湾」という領域を、そこに一つの自治的政治体の存在が想定される領域へと、住民の側から読み替えようとするものであった。そこでは、民主という政治運営の理念、自治という統治の理念、そして台湾という政治領域の観念が初めて結合した。台湾議会設置請願運動百周年は、このような意味での「民主自治の台湾ビジョン」誕生の百周年であった。

「党外」運動の台湾ビジョンは、筆者が1983年の立法院増加定員選挙観察で出会った「民主、自決、救台湾」のスローガンに代表させることができる。「自決」の語が入って、その分だけ台湾の有権者の集合体に主権性を附与しているという違いはあるが、そのビジョンは「民主自治の台湾ビジョン」の延長あるいは発展と見ることができるだろう。

二つの民主運動を繋いだ人々

戦前と戦後の二つの時代を生きて、それぞれの民主運動を繋いだ人々の存在も忘れてはならない。

1970年代初め『台湾民族運動史』を著した葉榮鐘は、記憶を繋いだ人の一人である。その葉榮鐘の友人で台湾省文献委員会に務めていた王詩琅(1908-1984)は、台北の萬華に住んでいて、実は1970年代「党外」リーダーの一人だった康寧祥と住居が隣りあっていた。康寧祥の自伝(『台灣, 打拼: 康寧祥回憶錄』)によれば、かれは高校生の時から窓越しに王から台湾語で台湾史のあれこれ、特に日本植民地統治期の社会運動の話を聞いたという。康寧祥はその知識を元に、台湾語で日本植民地統治期の人物の奮闘の故事を街頭で語って1960年代末から1970年代末の「党外」の選挙に旋風を巻き起こしたのだった。 

戦後の地方公職選挙に投じて身を以て二つの時代を繋いだ人もいた。最近注目を集めるようになった石錫勲(1900-1985)はその典型であろう。石は彰化に生まれ、1921年台湾総督府医学校を卒業し、高雄で医院を開業した。在学時期から台湾文化協会に参加し、台湾議会設置運動にも加わり、前述の治警事件では、一時は監獄に拘留されたこともあった。戦後は、1954年を皮切りに、1957年、1960年と彰化県長選挙に党外人士として挑戦したが落選を繰り返した。この間中国民主党の結党運動にも参加した。1968年地方選挙でも彰化県長に挑戦しようとしたが、いわゆる「彰化事件」に巻き込まれ投獄されて立候補できなかった。

蘇瑞鏘著『石錫勲及其時代』
蘇瑞鏘著『石錫勲及其時代』

以後は、いわば選挙戦の「戦友」の王燈岸(1919-1985)とともに、彰化地域の「党外」人士の選挙を応援した。1983年の増加定員立法委員選挙では、王とともに車椅子に乗って「党外後援会」推薦の許淑栄(美麗島事件政治犯張俊宏の妻)の選挙演説の演題に上がった。この場面こそ、戦前・戦後の民主運動の歴史的繋がりを語る強い象徴性を帯びたシーンであったと言えよう。

言うまでもなく、今日の台湾の民主体制を成り立たせてきた歴史のコンテキスト(文脈)は、一つではないし、戦前・戦後の諸社会運動が提起した台湾ビジョンも決して単一ではない。ただ、上述のような台湾ビジョンの継承という道筋も、台湾近現代史における「縦のコンテキスト」の一つとして、軽視することが出来ないのではないだろうか。

バナー写真=台湾文化協会第一回理事会。前列右から4人目が林献堂、その左が蒋謂水、後列左から7人目が蔡培火(財団法人白鷺鷥文教基金会提供)

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早稲田大学名誉教授、同台湾研究所学術顧問。1949年生まれ。1974年東京大学国際学修士、1985年同大学・社会学博士。1994年東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て2010年から2020年早稲田大学政治経済学術院教授・台湾研究所所長。1995年4月~96年3月台湾・中央研究院民族学研究所客員研究員、2006年4月~6月台湾・国立政治大学台湾史研究所客員教授。主な著書は『台湾の政治―中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)など。

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