プロ野球セ・パの実力差はなぜここまで開いたのか
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DH制度の導入を訴えた巨人
日本シリーズで惨敗した巨人は、昨年12月のセ・リーグ理事会で指名打者(DH)制度の導入を提案した。新型コロナウイルスの影響や東京オリンピックで過密日程も予想される中、攻撃専門の選手が投手に代わって打席に立つDH制にすれば、投手の負担が軽減できるという主張だ。
しかし、巨人の本音は別のところにあるのではないか。つまり、パと同様のシステムを採用しなければ、今後、戦力格差がますます広がるという危機感と焦りだ。巨人は暫定導入でも構わないと訴えたが、理事会で話はまとまらず、セのDH制導入は見送られた。「投手交代の面白さや駆け引きといった野球の醍醐味がなくなる」などの反対意見が出た模様だ。
パがDH制を採用したのは1975年のことだ。巨人をはじめ、人気球団はセに集中し、パはどうすれば魅力アップできるか悩んでいた。そこで、攻撃的な野球で差別化を図ろうと、米大リーグのアメリカン・リーグにならってDH制の導入に踏み切ったのだ。
どんな変化が起きたか。パの各球団は、野手陣の強化を中心にチーム編成を考えるようになった。たとえば、80年代後半から90年代前半にかけての西武黄金時代のメンバーが象徴的だ。辻発彦、秋山幸二、清原和博、デストラーデ、石毛宏典、伊東勤らをそろえ、相手投手には1番から9番まで気の抜けない打者を並べた。
こうした潮流は、西武やダイエーの創設期に監督や編成責任者を務めた根本陸夫氏を通じてリーグ全体に広がったといわれ、現在のソフトバンクのパワフルな野球にもつながっている。
当然、相手の強打者をねじ伏せる投手も必要となり、パは投手陣もレベルアップした。松坂大輔(現西武)、ダルビッシュ有(元日本ハム)、田中将大(元楽天)、大谷翔平(元日本ハム)ら、のちに米大リーグでも活躍する本格派投手は、攻撃野球を求めたパのスタイルの副産物ともいえる。
川上野球の教科書は『ドジャースの戦法』
日本プロ野球史の中で、圧倒的な存在感を放つのは、王貞治、長嶋茂雄のON砲を柱に日本シリーズ9連覇を果たした65~73年の巨人をおいて他にはない。川上哲治監督に率いられたV9当時の巨人はどんな野球を目指していたのか。
「私は巨人の監督に就任したときこの書に出合い“神の啓示”を受けたと直感した。私はくり返し読み続けたが読むたびにまた新しい発見をした」
川上氏がそう振り返っているのは、57年に日本で発行された『ドジャースの戦法』(アル・カンパニス著、内村祐之訳、ベースボール・マガジン社)だ。
第2次世界大戦の終結から10年余りしかたっていない頃だ。まだ洗練された野球の技術や戦術は日本では確立されていなかった。そんな時代に翻訳された同書は、米国の最新戦術や技術論を著した近代野球の手引きでもあり、川上氏は同書の帯に「巨人が9連覇を果たしたときの基礎を作った教科書である」との文章を寄せている。
基礎的な技術も紹介されているが、興味深いのは戦術的な面だ。ヒット・エンド・ランやディレード・スチール、スクイズ、バントシフトなどの守備陣形、ブロックサインの出し方、相手のサインの盗み方などが細かく示されている。
米国野球といえば「力の勝負」と考えられているが、必ずしもそうではなかったことに驚かされる。今では汚いプレーと禁止されているサイン盗みも、当時は戦術の一つとみなして、二塁走者から打者へ球種を伝達する方法までもが記されているほどだ。
筆者のカンパニスは、ドジャースの内野手だったが、目立った実績はなく、引退後は主にスカウトやゼネラルマネジャーとしてチームに貢献した。同書はカンパニスの主張だけを述べたものではなく、いろいろな指導者の意見を聞いてまとめられたという。プロだけでなく、大学生や高校生、リトルリーグに至るまで幅広い層を意識して書かれた指導書だ。
巨人は米フロリダ州ベロビーチのドジャータウンで春季キャンプを張り、『ドジャースの戦法』を直接学んだ。その野球理論は、巨人の9連覇を通して日本全国に広がった。プロ野球のテレビ中継といえば、常に巨人戦という時代。メディアで解説された巨人の戦いぶりが、高校野球や少年野球にも影響を与え、戦後の日本野球のお手本となったのは間違いない。チームプレーを重んじる考え方も、当時の日本人に受け入れられたのだろう。
セ・リーグに話を戻せば、90年代に3度の日本一に輝いたヤクルト・野村克也監督の「ID野球」にも重なる部分がある。データや駆け引きを重視し、頭脳プレーで相手の攻撃を封じる野村野球は、その後のセの他球団にも影響を与えている。球界関係者の中には、パが「攻撃で点を取る野球」であるのに対し、セは「相手を抑えて点を与えない野球」と比較する見方もある。
05年に始まったセ・パ交流戦のリーグ別通算勝敗数は、パの1098勝966敗60分と、15年間で100勝以上もの差がついた。パはソフトバンクだけが突出して強いのではなく、6球団全体の成績でもセを明らかに上回っている。パのパワー野球を相手に、戦術を重視するセの「スモール・ベースボール」では対抗できなくなってきたようだ。
変化を強いられた不人気のパ
巨人の人気に長く支えられ、セの球団は巨人と試合をするだけで潤う仕組みになっていた。かつては巨人戦のテレビ視聴率が20%を優に超え、放映権料は1試合1億円が相場と言われたものだ。それが主催側のチームの収入になる。
一方のパは、DH制の導入だけでなく、戦力均衡を求めたドラフト制度やセ・パ交流戦、クライマックスシリーズなど、常にプロ野球の改革を先導してきた。07年には「パシフィックリーグマーケティング」という合弁会社を6球団共同で設立し、動画配信など新しいビジネスを展開している。
不人気の時代が長く続いたパは、いつも変化を強いられてきた。南海は大阪から福岡に移ってダイエーとなり、ソフトバンクに経営権が変わった。阪急はオリックスに経営が移って神戸に根を下ろしたが、近鉄との合併を経て大阪に本拠地を移した。楽天は近鉄の消滅に伴う球界再編で仙台に誕生し、日本ハムは東京から北海道へ進出して今は新球場建設にも着手している。川崎から千葉に移ったロッテもすっかり地元に密着した球団になった。
対照的にセは、大洋、横浜を経て衣替えしたDeNAを除けば、巨人、阪神、中日、広島、ヤクルトの5球団は半世紀以上も経営形態が変わっていない。最近は地上波でのプロ野球中継が主流ではなくなり、巨人戦の放送も減った。もはや巨人依存の体質では、セの将来は見通せない。広島が新設のマツダスタジアムでチケット収入を伸ばして成功を収めたが、コロナの影響で観客増の見込みは不透明でもある。今後、各球団には従来の経営手法に固執しない変化と挑戦が不可欠だ。
力の勝負か、戦術の追求か
セ・パの差を埋める戦力均衡の方法としては、12球団をシャッフルしてリーグ再編▽1リーグにして1・2部制▽東地区・中地区・西地区の3地区制--などの案が野球解説者らから挙がっている。いずれも興味深いアイデアではある。だが、リーグの制度を変えるだけではチーム間の格差はなくならない。実力差を解消できなければ、魅力ある試合をファンに提供することは難しい。
選手の育成についても考える必要がある。ソフトバンクは、エースの千賀滉大、強肩捕手の甲斐拓也、盗塁王に輝いた周東佑京ら「育成ドラフト」で指名した選手が、支配下登録外の3軍から育ってきた。
巨人にも3軍はあるが、フリーエージェント(FA)制度で他球団の中心選手を獲得し続けたため、若い選手が育ちにくい環境にあるのかもしれない。今オフもDeNAから梶谷隆幸外野手と井納翔一投手の移籍入団が発表された。昨年までの過去10年をみると、最も多くFAで選手を獲得したのは巨人で13人。一方、ソフトバンクは入団6人、退団7人で出入りがほぼ同じだ。海外に移籍した選手もパが多く、全球団の傾向として、パの方が選手をうまく「循環」させているといえる。
2年続けてソフトバンクに完敗した巨人の原辰徳監督は「私も含めコーチ、選手がまだ一回りも二回りも大きくならないといけない」と語った。常に優勝が求められる球団だが、他チームからの補強に頼る付け焼き刃の強化では、選手の成長は望めない。日本一から遠ざかる中、OBの桑田真澄氏が1軍投手チーフコーチ補佐に就任したが、チームにどんな影響を与えるかが注目されている。
何より、パと肩を並べるには、セの野球そのものが変わらなければならない。パとの「力の勝負」に方針転換するのか、それとも「戦術の追求」を徹底するのか。川上巨人が『ドジャースの戦法』という最先端のスタイルを吸収して一時代を築いたように、新機軸となる戦略が求められる。
バナー写真:パ・リーグ球団初の4年連続日本一を決め、抑え投手の森唯斗(手前)に抱きついて喜ぶソフトバンク捕手の甲斐拓也ら(2020年11月25日、福岡ペイペイドーム 時事)