“墓マイラー”カジポン氏の冒険の旅33年―世界の偉人たちに感謝を伝えたい

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33年間で101カ国を訪ね、ドストエフスキー、ベートーベンからテレサ・テンまで、2500人以上におよぶ「人生の恩人」の墓参りをしてきたカジポン・マルコ・残月さん。その情熱の源と、旅先でのさまざまな冒険について聞いた。

カジポン・マルコ・残月 KAJIPON Marco Zangetsu

文芸研究家・「墓マイラー」。1967年生まれ。大阪府出身。近畿大学卒。大学時代は文芸研究会に所属。33年間にわたり101カ国、約2500人の墓巡りを敢行。自らの造語 “墓マイラー” は2010年の『現代用語の基礎知識』に掲載された。講演や執筆などを主な仕事とする。ペンネームは本名の梶本(修)と、『母を訪ねて三千里』の主人公の少年の名、マルコを掛け合わせたもの。「残月」には、文芸研究家は芸術家という“太陽”の存在があってこそ輝ける“月”のようなもの、自分はその端くれという意味を込めた。最新刊は『墓マイラー・カジポンの世界音楽家巡礼記』(音楽之友社、2020年11月)。

「ヒッチハイク」でロシア入国

ロシアとの国境に近いポーランドの町・フロムボルクには、天文学者コペルニクスの墓がある。その墓参りを済ませた後で、哲学者カントの墓を目指した。ポーランドとリトアニアの間に位置する、離れ小島のようなロシアの都市・カリニングラードが所在地だ。「カントは世界平和のために、早くから今の国際連合のような組織をつくろうと提唱していた人ですからね。人類のことを考えてくれてありがとうと言いたかった」

「なぜか鉄道で行けないと言われ、国際バスしか交通手段がなかった。しかも、朝・夕2本の便だけらしい。1泊してバス停で朝6時半から2時間待ってもバスは来ません。警察に聞こうと思って行き着いたのは、ポーランド軍の駐屯所で、温かいお茶と山盛りのドーナツをふるまってくれました」

2015年、カントの墓があるロシアの町まで送ってくれた母娘
2015年、カントの墓があるロシアの町まで送ってくれた母娘

国境警備隊も親切だった。「検問所でバスの到着を待たせてくださいとお願いして、自分は墓巡りをしている日本人だと説明しました。ポーランドを訪れる前に、杉原千畝の領事館跡を訪ねてリトアニアに入り、(お墓が同国にある) “ポーランド建国の父” ユゼフ・ピウスツキの墓参もしたので、その写真を見せたんです。感心してくれて、ロシアに向かう車を片っ端から止めては“日本人を乗せてやってくれ”と交渉してくれた。おかげで、おばあちゃんと娘さんの2人組が僕を乗せてくれることに!無事にカントの墓前にたどり着きました」

長距離バスで米国横断

何回か訪れた国の一つがスペインだ。「何度も巡礼したので、そのたびにサグラダ・ファミリア聖堂がどのくらい出来上がっているか観察した」と言う。「ガウディ、ゴヤはもちろん、有名人のお墓はほとんど全部行ったと思う。(エルサレム、バチカンと並ぶ)キリスト教の三大巡礼地の一つ、サンティアゴ・デ・コンポステーラにも行って、聖ヤコブの墓も訪ねました」

バルセロナでは画家ジョアン・ミロが眠る墓地を訪れた。モンジュイックの丘にある広大な墓地だ。「管理人さんの手書きの地図が超アバウトで、炎天下の中、脱水状態になりつつ墓地をさまよいました。地図には、道筋にエスカレーターがあると書いてあるのに、どこにもない。事務所に戻って案内してもらったら、階段でした。エスカレーターは“escalera mecánica”で、“escalera” だけなら階段。そんなことも知らなかった。あの時以来、ミロの絵を見るたびになぜか喉が渇くんです…」

英国での墓参は、アーサー王からシェイクスピア、ニュートン、コナン・ドイル、ローレンス・オリビエ等々、約60人におよぶ。「南部ドーバーから北部ネス湖周辺まで、行ってない場所の方が少ない」

米国には数回訪れて、リンカーン、エドガー・アラン・ポー、ヘミングウェイ、エジソン、ビリー・ザ・キッドからマリリン・モンローまで、260人以上の墓を巡った。同時多発テロが起きる1年前、2000年には長距離バスで全米を一周。「バス代3万7000円で30日間過ごしました。眠くなったら、夜行バスに乗ればいい。運転手の休憩時間には、駐車場の端で、ペットボトルに入れた水で髪を洗ったり、マクドナルドのトイレで体を拭いたり。ロサンゼルスからニューヨークまで、ホテルには一泊もしませんでした」

2000年、ジェームズ・ディーンの墓参り(米インディアナ州)
2000年、ジェームズ・ディーンの墓参り(米インディアナ州)

101カ国を巡って実感したこと

40歳ぐらいまで一人旅が多かったが、18年前に結婚してからは、家族と一緒に旅する機会も増えた。現在小学5年生の息子がまだ幼い頃に、米国やヨーロッパを一緒に旅して、ウォルト・ディズニーやマイケル・ジャクソン、グリム兄弟やアンデルセンの墓などを訪ねた。

家族一緒の墓巡礼。左:オードリー・ヘップバーンの墓前で手を合わせる息子さん(2015年、スイス・トロシュナ)。右:昆虫学者ファーブルの墓前で(2018年、フランス・セリニャン)
家族一緒の墓巡礼。左:オードリー・ヘップバーンの墓前で手を合わせる息子さん(2015年、スイス・トロシュナ)。右:昆虫学者ファーブルの墓前で(2018年、フランス・セリニャン)

オーストラリアはカンガルーの飛び出しに悩まされながらレンタカーで巡り、パースでは早世した俳優、ヒース・レジャーの墓へ。「息子は、物心がついてからは、一緒に墓前で “ありがとう” を伝えることを楽しみにしてます」

昔は墓の場所を調べるのも手間がかかったが、いまはインターネットが助けてくれる。「ネットには誤情報も多いですが、グーグルマップや 乗り換え案内を活用して、目的地にたどり着くのは格段に楽になりました」

「体力があるうちにイタリアの山奥や、中東など、遠くてアクセスが悪い場所に行っておこう」。そう思っていたので、アジアを集中的に巡るようになったのは最近のことだ。

2019年には、韓国、台湾に旅した。ソウルでは朝鮮の陶磁器を愛して現地で研究した日本人、浅川巧の墓参りをし、南部では光州事件で散った学生たちの墓にも行った。台湾では、テレサ・テン、独立運動の英雄モーナ・ルダオ、烏山頭ダムを建設した八田與一の墓を訪れた。

「101カ国を巡って、人間は国籍と文化が違っても、相違点よりも共通点がはるかに多いことを確認できた。笑顔は笑顔で返してくれるし、困った旅人を助けてくれる」。どこに行っても、墓参りに来ている人たちの表情は故人への思慕と祈りの念が感じられる。「だからこそ、国同士の対立がある時でも、僕たちは共通点の方を見て、お互いに敬意を払いたい」

「ピカソ家の友人はご一報を」

2020年には、初めてとなる中国全域の墓巡りを計画していたが、コロナ禍で果たせなかった。「30年前に上海の魯迅の墓を訪れて以来の訪問になるはずでした。中国の今を見たいと楽しみにしていたんですけどね」

国内の墓参もままならない中で、膨大な情報を詰め込んだネットサイト「文芸ジャンキーパラダイス」をアップデートする日々。早く海外に旅立てる日を心待ちにしている。

ピカソの墓がある南フランスのヴォーヴナルグ城
ピカソの墓がある南フランスのヴォーヴナルグ城

「まだ実現できていない墓参りもあります。ピカソの墓は、子孫が住む南仏・ヴォーヴナルグ城の庭にあるので友人でないと入れない。門の前までは2回行ったんですが。スペインのマラガにある生家には行ったし、マドリードで『ゲルニカ』も見ました。ぜひ、墓前でお礼を言いたい。『ピカソ家に知り合いがいる人は、カジポンにご一報を』と記事に載せてくださいね」

バナー写真:“恩人”ドストエフスキーの墓前で(2005年、2度目の巡礼)
バナー、本文中巡礼写真提供:カジポン・マルコ・残月

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