マラドーナ:時代が生んだ不世出のスーパーヒーロー-伝説の「5人抜き」実況の元NHK・山本浩氏
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言葉は要らない
アルゼンチン対イングランドはもともと因縁の試合だった。1982年のフォークランド紛争で英国に敗れたアルゼンチンの国民は、この試合に雪辱の思いを募らせた。大会開催地が同じスペイン語圏のメキシコだったこともあり、地元の「アルゼンチンへのシンパシーは大きかった」と、山本さんは振り返る。準々決勝は、決勝よりも熱い試合になったという。
試合は後半まもなく、マラドーナがセンターライン付近から60メートル近くをほとんど左足一本でボールをコントロールしながらドリブル、5人をかわしてゴールを決めた。当時の山本さんの実況は、「マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ」と相手を1人抜き去るごとに高さと音量を増してボルテージが上がった。ついにゴール前に迫ると「来たあ!マラドーナ!」とクライマックスに達し、観る者にも感動が伝わった。
山本さんはモニターテレビでプレーを見ていたのではない。スタジアムの最も高い席から「5人抜き」がよく見えた分、驚きも大きかったようだ。あのコメントは「考えてやったわけではなく、反射的に口をついて出てきた。熱い時に思わず『熱い!』と言うのと同じ。彼のプレーは、他の言葉の選択を許さないということです」
名実況で知られる山本さんだが、意外なことに「効果音を出しただけ。ああだこうだと言っている間にマラドーナは姿を消して、瞬間的に意表を突いたプレーをする。表現するにはナマしかなく、饒舌(じょうぜつ)な言葉は要らない」と言う。むしろ、「目の前に展開されるプレーでプレーヤーが主張していることを言葉で遮ることは許されないということを教えられた」
メッシと違う時代が生んだ悪ガキ
このプレーの直前には、マラドーナがゴール前の浮き球を相手キーパーと競ってボールがゴールに転がり込んだ。山本さんは「席が高くてよく見えず、モニターも映りが悪く、てっきりヘディングと思い込んでいた」が、後日、写真で見るとハンドと分かった。後に「神の手」と名付けられたが、それが通ってしまう選手だった。
ピッチの外で、マラドーナのメディアに対するサービス精神は旺盛だったが、夫人との不仲など感情が表れて、囲み取材がドタキャンになることもしばしばだったという。1990年代に入ると、プレーヤーとしては全盛期を過ぎ始めたのだろうか、薬物に手を出したり、酒に溺れたりと、無軌道な生活に陥り、選手寿命を縮めた。
そんなマラドーナを、山本さんは「周りからの大きな要求や期待の中で、思わず薬物に手を伸ばしてしまった。もろく壊れやすい心の持ち主だったのでは」と推察する。当時は善悪併せ持つキャラクターを「みんなが許容してくれた鷹揚(おうよう)な時代」だったのに対し、今は「コンプライアンスとかガバナンスとかを言う時代であり、マラドーナ的なアスリートは許されない」
同じアルゼンチンのリオネル・メッシはそんな今だからこそのスーパースターであり、「二度とマラドーナは現れないだろう」と山本さんは話す。
世界のすごさを思い知らされた
山本さんはもともとサッカーとは縁がなかった。学生時代はオーケストラ部でトランペットを吹いていた。就職先としてNHKを選んだのは、国際部記者を目指していたからだが、大学に用意された申し込み用紙が足りず、結果として1976年にアナウンサーとして入局。サッカー人気が低下していたこともあり、10年目にしてW杯を任される幸運に恵まれた。
この実況を起点に幅広く数多くのスポーツ実況を手掛けてきた。五輪だけでも夏冬合わせて15大会の取材経験があり、ニッポンドットコムでも「五輪の風景」という連載企画を手掛けた。マラドーナは山本さんのスポーツジャーナリスト人生にとって、どんな存在か。「こんなに驚いたことがないぐらい、驚きが持続している。同時に世界のすごさを知り、そこに至る距離の遠さを思い知った」。あれから34年。日本サッカーの現在地はどの辺にあるのだろうか。
バナー写真:1986年W杯メキシコ大会準々決勝のイングランド戦で、5人抜きゴールを決めるアルゼンチンのマラドーナ(ロイター=共同)