なぜ評論家・川本三郎は台湾で愛されるのか?

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米果 【Profile】

日本の評論家の著作が外国語に翻訳されることは滅多にない。しかしながら、川本三郎の作品は台湾で5冊も翻訳されている。なぜ、それほどまでに川本作品は台湾で支持されているのか?

『マイ・バック・ページ』は読めば読むほど味わい深い一冊

一般的には、台湾人が日本人作家にコンタクトを取ろうとすれば、恐らく多くの人を介する必要があるだろう。しかしマネージャーを持たない川本氏は直接、台湾の編集者と直筆の手紙でやり取りをするのだ。

葉氏は「私達が川本先生を台湾に招待することもありますが、先生がご自身でいらっしゃることもあります。しかも先生は出版社に対して宣伝イベントの開催なども要求しません。『川本先生、あなたは本当に日本人ですか?』と思ってしまうくらいです。後から思い返すと、確かに川本先生は普通ではありません。20代で職を失い、その後、どこかに所属することもありませんでした。つまり体制の外の人なのです。それが年齢の差を感じさせなくしているのでしょう。川本先生を見ていると私は『男はつらいよ』の主題歌を歌いたくなります」と話す。

さらに、「川本先生には人をひきつけるものがあると思います。まだ評価されていなかった村上春樹を論じたように、川本先生の心は広く、偏見がありません。日本人作家は往々にして守られている印象を受けますが、川本先生はとてもオープンです。お年を召されていても川本先生が台湾で関心を寄せるものは少しも古くありません。私達が知らないものさえあるくらいです」と、印象を語った。

また葉美瑤氏は川本氏が描く旅には生活感があると話す。日常の延長のような旅行であれ、もしくは一見、孤独な個人旅行であっても、川本氏の手にかかれば、味わい深い生活感が醸し出されるのだ。

「正直言って、『マイ・バック・ページ』に描かれた川本先生は完全に『社会に対し、憤る若者』だと思います。あの時代が過ぎた今、こんなに魅力的で、私達が見たことがないような日本の姿を見せてくれる70代の作家としての川本先生と出会えることになるなんて、思いもよりませんでした」

現在、台湾で川本氏の著作は5冊翻訳出版されている。「どの本を一番気に入っていますか?」という問いに対し、葉美瑤氏が選んだのはやはり『マイ・バック・ページ』だった。

「日本人にとってこの本は、青春を描いた傑作だと思います。こんな風に自身の青春時代を描き出す人はそういないでしょう。川本先生は何年もあの時代について触れることができなかったところ、ついに筆をとったといいます。先生は自身が生きたあの時代と真剣に向き合ったのだと思います。川本先生は決して『過ちを犯した』とは言わないでしょう。『あの時、ああしなければよかった』とも言わないでしょう。しかしそこには懺悔(ざんげ)のような空気が存在するのです」

『マイ・バック・ページ』の位置づけについてはこう語る。

「もし学生運動を経験した川本三郎という人物に出会わなければ、彼の他の作品を読んでも、たとえば戦時中に母親が作ってくれた弁当のこと、妻の死、なつかしい料理の話を読んでも、感動はするかもしれませんが、それだけです。『マイ・バック・ページ』を読んでいれば、彼の人生の厚みを感じることができるでしょう。一見、素っ気ないような散文からも、豊かな情感を感じることができるでしょう。日本では学生運動やあさま山荘事件を描いた数々の映画や小説がありますが、どれも今ひとつはっきりしない印象がありました」

「そんな日本の学生運動の印象を塗り替えてくれたのが『マイ・バック・ページ』です。1人の人間を主軸としたこの本を読めば、まるで自分があの時代に身を置いたかのような錯覚に陥ります。事はこんな風に1つ1つ動いていた、そして多くのことが発生しては理解しきれないまま次々と変わっていく。何を信じたら良いか、わからない状態で選択を迫られたら正しい判断ができるものでしょうか」

『マイ・バック・ページ』の編集を担当した陳柏昌氏と編集主任の葉美瑤氏には10歳ほどの年の差がある。陳柏昌氏に川本氏の著作の中でどれが一番好きか尋ねたところ、陳氏も迷うことなく『マイ・バック・ページ』を挙げた。

「何と言ってもこの本は川本先生が新聞記者として、学生運動を取材していた頃を回顧した作品ですし、私個人としてもこの本が好きです。川本先生が描いたあの年代は確かにとても特別です。誰にとっても20代、30代は大切な時期ですが、先生はその頃に人生が激変するような体験をしたのです。内容も書き方も、読めば読むほど味わいが増す本だと思います。編集していた時、『川本三郎の文体』とは何かを考えていたのですが、この本がそれを確かなものにしてくれたと感じています」

野百合学生運動世代の羅文嘉夫妻が経営する「我愛你學田書店」で行われた川本三郎特別展。川本氏と羅文嘉氏の対談も行われた(台湾新経典文化提供)
野百合学生運動世代の羅文嘉夫妻が経営する「我愛你學田書店」で行われた川本三郎特別展。川本氏と羅文嘉氏の対談も行われた(台湾新経典文化提供)

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コラムニスト。台湾台南出身。かつて日本で過ごした経験があり、現在は多くの雑誌で連載を持つ人気コラムニストとして活躍中。日本の小説やドラマ、映画の大ファンでもある。

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