なぜ評論家・川本三郎は台湾で愛されるのか?

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米果 【Profile】

日本の評論家の著作が外国語に翻訳されることは滅多にない。しかしながら、川本三郎の作品は台湾で5冊も翻訳されている。なぜ、それほどまでに川本作品は台湾で支持されているのか?

川本三郎がいて、村上春樹を知った

川本三郎氏の作品を初めて台湾で翻訳した出版社は、新経典文化(Thinkingdom Media)だ。同社は台湾でまだ知られていない日本人作家をヒットさせることに長けた出版社だ。たとえば『深夜食堂』の作者である安倍夜郎氏、『神去なあなあ日常』の三浦しをん氏、最近だとお笑い芸人の矢部太郎氏による漫画『大家さんと僕』が挙げられる。

新経典文化の編集主任を務める葉美瑤氏は、同社設立前は時報出版で10年以上にわたり、村上春樹作品の刊行に携わってきた。葉氏の川本三郎氏との出会いも、村上春樹氏と関係がある。きっかけは翻訳者の賴明珠氏(※1)がある雑誌編集者から、村上春樹氏の小説を紹介する記事の寄稿を依頼されたことだった。

日本では川本三郎氏が「村上春樹は新文学の旗手である」と評価していた。そこで賴明珠氏は川本氏の言葉を引用して村上氏の小説の一部を翻訳し、紹介したという。川本氏の評論がきっかけで台湾は村上春樹氏を知るようになったのだ。

葉美瑤氏は川本氏の第一印象をこう語る。

「学生運動家が起こした事件に関与したために、記者の身分を失った(朝日新聞社を懲戒解雇)川本先生は、その後何でも書ける評論家を目指して、大量の本を読み、大量の映画を観たと言います。川本先生は最も早く村上春樹の才能に気づいた人物です。村上春樹が小説で新人文学賞を取った時、一部では『こんな小説を読む読者はいるのか』と思われていましたが、川本先生は新時代が来たと直感したそうです。台湾の村上春樹ファンは川本先生に感謝しています。川本先生がいたからこそ、私達は村上春樹知ることができたのです」

さらに、新経典文化が川本氏に関心を持ったのにはこんな理由もあった。

「出版社ができて1年目に作った3冊目の本が、馬世芳(※2)の『My Back Pages(昨日書)』でした。タイトルは元々ボブ・ディランの曲にちなんだものなのですが、私たちはその後、ネット上で川本先生も同名の『マイ・バック・ページ』という同名の著書があり、さらに映画化されることを知りました。そして内容を調べて、本当に驚きました。なぜなら私達がずっと待ち望んでいた本だったからです」

それは『ノルウェイの森』の理解を深めるものになると感じたからだという。

「私達は村上春樹の『ノルウェイの森』を読み、面白いと思いました。しかし、私達には三島由紀夫の切腹も全共闘も同時代での目撃体験はありません。1969年は私達が生まれて間もない頃です。この時代の日本の学生運動のことはなんとなく知ってはいますが、実際に何が起きていたのか、はっきりとは知らないのです。私は川本先生が著書の中であの時代を語っていることに気づき、これは『ノルウェイの森』ファンを救うものいなると直感しました。(時代背景が分からなければ)『ノルウェイの森』はただの複雑な愛情関係の物語になってしまう。しかし川本氏の本を読めば、『ノルウェイの森』の愛情関係はただの愛情ではないことがわかる。『マイ・バック・ページ』こそがあの時代を確かにとらえているものだと感じたのです」

編集部は『マイ・バック・ページ』の翻訳版のタイトルを本文から引用することにした。そして台湾版のタイトルが『我愛過的那個時代(私が愛したあの時代)」に決まったのだ。

「このタイトルは多くの人の心に響きました。後から分かったことですが、台湾人読者にとってもこの感覚は理解しやすかったのです。それは誰でも持っている、春だったり、忘れがたいもの、過去に受けた傷…など、それらはあの時代を生きた人達と同じなのです」

(※1) ^ 賴明珠:台湾の日本語翻訳家。多くの村上春樹氏の小説の翻訳を手がけ「村上春樹の中国語翻訳の担当者」と呼ばれるほどである。川本三郎氏『マイ・バック・ページ(我愛過的那個時代)』の翻訳も担当。賴氏はこの20年来、村上春樹氏の文体、独特の作風と雰囲気、そして時代の感覚をつかむことができたのは川本三郎氏のおかげだとしている。

(※2) ^ 馬世芳:台湾人作家、ラジオパーソナリティ、音楽評論家。母親は「台湾の民謡の母」として知られるラジオパーソナリティの陶暁清。

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コラムニスト。台湾台南出身。かつて日本で過ごした経験があり、現在は多くの雑誌で連載を持つ人気コラムニストとして活躍中。日本の小説やドラマ、映画の大ファンでもある。

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