京都(後編):伝統と革新が融合した国際観光都市
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近代的な国際観光都市を目指した「古都」
明治維新の後、東京に首都機能を譲ったことで、「京」は「西京」に、さらに「京都」に改称する。都市としての衰退が予想される中、危機感を抱いた商人や政治家たちはいち早く産業化を進め、近代化を促進させた。水車動力による洛北(らくほく)の工業化を図るべく琵琶湖疏水を完成させたのは、その目覚ましい成果の一つだ。のちにこの導水は、水力発電による都市の電化を促すことになる。さらに鉄道や運河を整備、勧業策として毎年のように京都博覧会を開催していく。
歴史のある都市だからこそ、常に新陳代謝が求められた。1918(大正7)年および31(昭和6)年の2次にわたって、京都市は、伏見市や紀伊郡・葛野郡・愛宕郡などの隣接市町村を併合する。歴史的な都心である「洛中(らくちゅう)」を核に、「洛外(らくがい)」と呼ばれた田園地帯を市域に取り込むことで、産業都市として成長する余地を確保したかったからだ。
同時に、道路・鉄道・運河・公園など都市基盤の整備にもさらに力を入れる。内陸型の工業都市として発展した京都は、32(昭和7)年には人口が100万人を突破した。世界的な大都市と比肩するほどに近代化に成功した都市を、市民は誇らしげに「大京都」とたたえた。
京都は「古都」としての資産を有しつつ、常に時代の変化に即応する近代都市であった。歴史的な名所旧跡や文化的な文物に触れるべく、仏教の本山や神道の総社を参詣に、華道や茶道を究めるため、また学問を修めるべく、日本全国から多くの人が京都に集まった。
京都が国際観光都市としての存在感を高める契機となったのは、28(昭和3)年に京都御所で行われた「御大礼(ごたいれい=即位の礼・大嘗祭と一連の儀式)」である。皇室の行事に世界中の賓客を招き、饗宴(きょうえん)料理でもてなしたことが、のちに各地からの旅行者を受け入れるための素地となった。明治天皇陵をはじめとする「皇陵巡拝」と併せて、京都独自の新たなツーリズムが誕生する。
国際観光の振興を目指して、京都の各所で観光目的地としての魅力を再発見し、再創造する試みが始まる。嵐山や醍醐の花見、鴨川や貴船の納涼、紅葉狩りや松茸(まつたけ)狩り、雪景など四季折々の楽しみが訴求された。その一方で洛北のスキー場など、新しいスポーツ施設も整備された。都心では劇場や映画館の近代化が進められ、太秦(うずまさ)や御室(おむろ)などの映画撮影所は新しい観光名所となった。
遊覧バスなどの交通手段も発達し、旅館やホテルなど宿泊施設の近代化も進んだ。宇治と大津を回遊する宇治川ラインの整備、比叡山や愛宕山の山頂に至るケーブルカーやロープウエーの開業、保津川や木津川を下る遊覧船事業など、京都を起点とする広域観光ルートの開発も始まる。
日本における観光の近代化を回顧する際、京都は常に先駆的な役割を担ってきた。歴史の蓄積を生かす文化観光はもとより、博覧会など勧業施策と連動する集客イベントの実施、祇園など花街での観光芸能の創作、ケーブルカーを利用した山岳観光ルートの開発、外国人の滞在を意識した洋風ホテルの開業、映画産業の振興によるツーリズムの喚起など、京都人は常に新たな観光事業に取り組んできた。第2次世界大戦を経て、日本が経済的な復興を果たす過程にあっても、京都はいち早く「国際文化観光都市」として自らを位置づけ、新たな都市計画を立案した。
1200年を超える歴史を有する京都は、時代に応じて休むことなく新しい試みを重ねてきた。進取に富む人々が京都を停滞した「古都」とせず、絶えず時代の先をゆく都市に更新してきた。現在、2022年以降を目指して、文化庁の東京から京都への本格移転に向けた準備が進められている。実現の暁には、京都が日本文化の中心であることを内外に再度、訴求する好機となるだろう。「古都」は、日々、「新た」である。
持続可能な文化観光都市
1997(平成9)年に、京都市で第3回の気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議=COP3)が開催、京都議定書が採択されて京都は観光とともに環境問題でも注目を集める都市となった。さらに2030年に向けて国連加盟国が定めた「持続可能な開発目標(SDGs)」の数値目標の達成に貢献すべく、環境面でも先進地であることを強く意識している。
この都市の歴史をさかのぼると、京都の景観と環境は「山紫水明」と表現されてきた。四方の山並みは美しく、水は清らかであるという意味合いである。中心市街地にいても、東山、北山、西山の姿が常に視界に入る。鴨川や貴船の川床、下鴨神社の社家に流れるせせらぎなど、水にまつわる文化的な景観が各所に見られるのもこの街の個性である。京都で発展した日本庭園の文化も、自然を借景として都市生活に取り入れたものと言える。工業都市として発展した人口140万人を超える大都市でありながら、この地では優れた自然を身近に感じることができる。京都は、1200年にわたって「都市と自然」「伝統と革新」の融合を継続してきた極めてユニークな都市である。
環境の分野だけではなく文化観光の分野にあっても、持続可能性が問われる時代になっている。2019年12月、京都市の国立京都国際会館で観光と文化をテーマとした国際会議が開催された。国連世界観光機関(UNWTO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)が主導した同会議には、各国の観光振興を担う担当大臣を含めて世界約70カ国から関係者延べ約1500人が参加した。そこでは「将来世代への投資:観光×文化×SDGs」をテーマに、「文化の継承」「地域コミュニティー」「人材育成」などに焦点を当て、国連が提唱するSDGsの達成に向けた観光と文化の可能性について議論が交わされた。その際、門川大作・京都市長は、「地域コミュニティー」「文化」「観光」との理想的な関係を築き,SDGsの達成につなげていく独自の実践を「京都モデル」として紹介。市民生活と国際観光の調和を図り、世界的な課題となったオーバーツーリズム問題に対処する姿勢を示した。
現在は新型コロナウイルスによって、国境を超えた人の移動は制限されているが、やがて多くの観光客が往来する日常が戻るはずだ。その時、持続可能な国際観光都市の在り方を示す「京都モデル」の意義が再確認されることになるだろう。
バナー写真=東福寺(京都市東山区)方丈北庭の市松模様敷石とウマスギゴケ。「伝統と革新」の融合を体現した日本庭園として知られる。作庭は、重森三玲(アフロ)