素人が立ち上げた香港料理店「火炎」 : 日本で味わう故郷の味!(前編)

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鄭 仲嵐 【Profile】

東京都台東区・浅草雷門付近のある香港料理店は、日本で言われる「中華料理」とは全く異なる印象を与える店だ。香港出身のオーナーシェフは本場の味を日本人に伝えることを胸に日々奮闘している。同時に、シェフの料理は日本にいる香港人の郷愁(きょうしゅう)も満たしているのだ。

実家は有名カフェレストラン

鄧日成さんは来日以前は全く料理の経験がなかったが、実は鄧さんの実家は香港の佐敦(ジョーダン)エリアにある人気店 「澳洲牛奶公司(Australia Dairy Company)」だ。 澳洲牛奶公司は、喫茶店と大衆食堂を組み合わせた「茶餐廳(チャーチャンテーン)」と呼ばれる香港式カフェレストランで、3代続く歴史ある店だ。父親は株主の1人で、鄧日成さん自身も佐敦で育ち、スタッフと共に働き、レジを手伝っていた。

鄧日成さんの実家は香港の佐敦(ジョーダン)エリアにある人気店 「澳洲牛奶公司(Australia Dairy Company)」(鄧日成提供)
鄧日成さんの実家は香港の佐敦(ジョーダン)エリアにある人気店 「澳洲牛奶公司(Australia Dairy Company)」(鄧日成提供)

以前、澳洲牛奶公司はネット上で「スタッフの態度が悪い」と批判されていたが、鄧日成さんは「スタッフの性格が悪いのではなく、仕事のプレッシャーがすごかったんです。香港は『手っ取り早く金を稼ぐ』ことが良しとされる場所なので、とにかく効率重視なんです」と説明する。店員は何よりも料理を速く出すことを要求され、それができなければ叱責(しっせき)されるため、話し方も早口で大声になりがちなのだという。

そして、鄧日成さんは「また 茶餐廳は反社会組織とつながりがあるという人がいますが、実際はみんな普通の労働者です。仕事が終わったら家で妻と子供の世話をし、休みになれば海外旅行に行く。みんなと同じなんです」とも話した。

筆者は鄧日成さんに、香港の茶餐廳文化を日本に紹介するつもりはないのか尋ねた。すると鄧日成さんは、茶餐廳を代表する「湯通粉(マカロニスープ)」や「 西多士(香港式フレンチトースト)」「餐蛋麵(ランチョンミートと玉子麺料理)」など東西文化が合わさった香港料理は、揺るぎない飲食文化がある日本人には受け入れられづらいのではないかと感じていると話した。

「火炎」の開店によって、鄧日成さんは自身が香港の文化を広めているなどと言うつもりはない。東京という異国の土地で「火炎」が日本人ファンを獲得できたのは、鄧さんの料理が伝統的な香港料理の味わいを残しながら、同時に彼の考えを取り入れた料理作りにまい進したためだと考えている。

開店以来、忙しさから鄧日成さんは一度も香港に帰っていない。2019年に一度帰省しようかとも思ったが、香港では逃亡犯条例改正反対デモが拡大する中、家族から今はやめた方がいいと言われ、帰らずじまいだったという。そして2020年は新型コロナの流行で、帰省はしばらくお預けだ。しかし、鄧日成さんは悲観してはいない。自分がおいしいと思う香港料理を提供し続け、いずれ香港で料理を学び、本物の香港の味を日本人にもっと知ってもらいたいと願っている。

「火炎」の各種シューマイとアイスは全て鄧日成さんが手作りしたもの。日本人により身近に香港の飲食文化を伝えられたらと願っている(筆者撮影)
「火炎」の各種シューマイとアイスは全て鄧日成さんが手作りしたもの。日本人により身近に香港の飲食文化を伝えられたらと願っている(筆者撮影)

バナー写真=香港料理が持つ東西文化の融合を大切にし、東京浅草で営業する「火炎」は、日本人に合う香港料理の開発にも力を入れている(筆者撮影)

後編では新橋の台湾料理店「香味」を紹介しました

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鄭 仲嵐CHENG Chung Lan経歴・執筆一覧を見る

ニッポンドットコム海外発信部スタッフライター・編集者。1985年台湾台北市に生まれ、英ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒。在学中に福岡に留学した。音楽鑑賞(ロックやフェス)とスポーツ観戦が趣味。台湾のテレビ局で働いた経験があり、現在もBBC、DW中国語や鳴人堂などの台湾メディアで記事を執筆。著書に『Au オードリー・タン天才IT相7つの顔』(2020,文藝春秋)。インディーズバンド『The Seven Joy』のギタリストとして作曲と作詞を担当している。

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