日米野球の融合と集大成:千葉ロッテ左腕チェン・ウェイン
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前代未聞 日米台3者からの取材
台湾高雄生まれのチェン・ウェイン(陳偉殷)は、野球の名門である高苑工商に進学。2002年の第20回AAA世界野球選手権大会(現・WBSC U-18ベースボールワールドカップ)で韓国チームと対戦。12奪三振の完封勝利を収め、同大会の最優秀左投手賞を獲得したことで一躍注目を集め、03年末に日本プロ野球(NPB)の中日ドラゴンズに入団した。
チェンは06年に左肘の手術を受け、一時育成選手となったが、その後快復し、09年には防御率1.54とセ・リーグの最優秀防御率のタイトルを獲得。そんなチェンは中日往年の左腕エース、今中慎二を彷彿とさせることから、「今中二世」「巨人キラー」の異名を取った。セ・リーグでの5年間で通算35勝を挙げた。12年、チェンはメジャーリーグ(MLB)に挑戦し、ボルチモア・オリオールズに入団。16年にはマイアミ・マーリンズと5年総額8000万ドルで契約した。これは華人スポーツ選手の契約金として史上最高額である。
チェンは台湾出身者として初めて日本プロ野球を経て、メジャー入りを果たした。メジャー1年目の試合では、日本、米国、台湾、それぞれのメディアが取材した。これは前代未聞のことである。
それがどれくらい特別なのかは、まずMLBの取材ルールを知る必要がある。チェンや元ヤンキースの王建民のような台湾出身、もしくは日本や韓国出身のような米国籍以外の選手の場合、取材には母国の記者が駆けつける。しかし、試合後の取材は締め切りの関係上、まず地元・米国の記者による囲み取材が行われ、その後で選手の出身地のメディアの取材が行われるのだ。
つまり、一般的に言って、試合後に選手を取材するのは多くても地元と母国の2グループだが、チェンの場合は違った。彼の取材はなかなか終わらず、いつも他の選手より帰るのが遅かった。それは米国と台湾のメディアから取材を受けた後、さらに日本のメディアの取材にも丁寧に答えていたからである。
米国メディアの取材には通訳を介して答え、台湾メディアにはもちろん中国語で、そして日本メディアには流暢な日本語で答えていたということだ。語学の才能もチェンの特性なのかもしれない。
日・米・台、それぞれに野球の文化やスタイルは異なるが、チェンはどれか1つに固執することなく、むしろスポンジのようにその神髄を吸収し、自分のものにしている。チェンへの取材を通して、筆者も以下に挙げる日米の野球の違いを感じることができた。
日米野球の違い その1:根性の完投vs厳格な球数制限
投手がまず感じる違いは、メジャーのボールが滑りやすいこと、そして2アウト・チェンジ前の投手の様子が全く違うことだろう。日本のようにベンチ前でキャッチボールをしてウォームアップすることができないのだ。とにかくこれは慣れるしかない。
だが、投手にとって最も大きな違いはMLBでの登板頻度が日本より高く、先発投手は中4日の間隔でマウンドに上がる。投手は毎シーズン、200イニング登板できるだけのスタミナの維持と故障率低下のために、厳格な球数制限がある。
日本で「完投」といえば闘魂を燃やした証だ。投手は一球一球にベストを尽くし、完全燃焼した達成感と感動がある。
しかし、MLBでは投手の肩・腕を「消耗品」とみなす。毎試合の先発投手の球数は原則100球に制限されている。先発投手の任務はこの100球以内で可能な限り長いイニングを投げること。5イニング投げることができれば、先発投手としての責務を果たしたと言える。
「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔はメジャー移籍直後、その野球文化の違いに苦しんだと言われている。5イニングに届かぬうちに100球を投げきってしまうのだ。「一生懸命」を座右の銘とし、コーナーを突く投球を持ち味としていたチェン・ウェインも、自身の完璧主義から抜け出せず、異なる野球文化になかなか馴染めなかった。チェンは自身をボルチモア・オリオールズに引き入れたバック・ショーウォルター監督に対し、不満を漏らすこともあったという。
チェンは2015年シーズン初の登板を対戦相手タンパベイ・レイズの本拠地で迎えた。オリオールズは2イニングで6点リードしたが、5イニング終了前に100球をほぼ投げきり、降板。勝利投手の権利を失った。試合後、ショーウォルター監督は「シーズンはまだ長い。チームメイトが大量リードを取ってくれたのなら、投手は三振にこだわらないことも必要だ」と話した。
2週間後のボストンマラソンの日、チェンは降り続く雨の中、レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークでの試合に登板した。先発4イニング1アウトまでに5回もフォアボールを出してしまい、100球を待たずに降板となった。試合後、湿気に満ちた球場で監督は「ボールを完全にコントロールできる人間はいない。投手は戦略を変えなければならない。まずストライクゾーンに入れること、それができれば、ほとんど成功したようなものだ」と話した。その言葉はメジャー移籍4年目のチェンにも伝えられた。
「時に小さなこだわりを捨て、大局を見なければならない」
それがMLBの考え方だ。あの日のフェンウェイ・パークの試合も162試合のうちの1試合にすぎないのだ。
日米野球の違い その2:百科事典vsオーダーメイド
2019年までにチェン・ウェインはMLBで通算59勝を挙げた。これは歴代アジア人投手の中で第8位という成績だ。チェンのメジャー移籍は成功だったと言えよう。実際にMLBでの経験を通して、チェンの投球は新たなステージに上がったと言える。それはMLBが重視する「オーダーメイド・トレーニング」によるものだ。MLBでは伸び悩んでいる選手に対し、個別に診断とアドバイスを行い、課題を解決していく。日本の「百科事典」的なトレーニングとは大きく異なる。
具体例として「スカウティング・リポート」が挙げられる。スカウティング・リポートとは相手チームの打者を分析したデータだ。先発投手は試合前にリポートに目を通し、配球の参考にする。チェンによると、MLBでは3連戦の2試合目に先発する場合、コーチ陣は登板する2試合目のスカウティング・リポートだけを渡すという。しかし日本では3連戦分のリポートが渡される。
先発するのは1試合だけなのに、なぜ3試合全てのリポートが必要なのだろうか? それは日本の野球は「細かい」からだ。細部までのこだわりはまるで全てを網羅した百科事典のようだ。事典にはどんな知識も網羅されている。
一方、事典の読み手である選手にとっては大きな負担だ。自身にとって必要な情報が事典の一体どこに書かれているか、分からないからだ。適切な指導がなければ、砂浜で1本の針を探すような作業になる。自身に最適な情報が入手しづらい状況では、選手1人1人が抱える問題に適した解決法を採ることができない。
日米の文化の違いから見ると、日本は団体行動を重視し、米国は個人主義で英雄主義という印象がある。ただ米国での考えは必ずしも「自分勝手」という意味ではない。言い方を変えれば、個々の違いを重視し、「オーダーメイド」の対応をとっていくということだ。
チェンを例にとると、MLBで投球に調整が必要だと感じた場合、彼はまずコーチ陣に伝える。するとチームはチェンにブルペンでの練習をアレンジし、そこで投手コーチやブルペン担当コーチからのアドバイスを受けることができる。アドバイスの方法も選手を枠の中にはめ込むのではなく、選手本来の動きを試してみて、その結果に応じて最適な解決策を提案するというものだ。
MLBで獲得した新兵器「チェンジアップ」
チェンジアップはチェンがメジャー移籍後に習得した球種だ。これは「オーダーメイド」指導の最も良い例だと言える。チェンは中日時代、チェンジアップを投げたことはなかった。しかしMLBでは、チェンが右打者に対し武器にしていたフォークボールは肘を痛めやすいという理由で不人気のため、チェンジアップの練習を始めたのだ。
チェンジアップは緩やかに落ちる球で、打者のリズムを崩す効果があるだけでなく、右打者の外角に落ちていく効果もある。MLBの殿堂入りした名投手・ペドロ・マルティネスと「神の左腕」と呼ばれるヨハン・サンタナはチェンジアップの名手だ。
チェンジアップは主にボールの握り方により何種類かに分類される。まずチェンが練習したのは、親指と人差し指で輪を作ってボールを握る「サークルチェンジ」。ボールを握った手の形がOKサインに似ていることから「OKボール」とも呼ばれ、チェンジアップのうち最もポピュラーなものだ。チェンのサークルチェンジの練習は順調とは言えなかった。投げた球は落ちることなく、轟音(ごうおん)と共にストライクゾーンの真ん中に収まっていく。この状況にチェンは困惑した。
2015年春のキャンプでオリオールズはペドロ・マルティネスの兄で、同じく名投手として名をとどろかせたラモン・マルティネスを投手顧問として招いた。チェンの様子を見たラモンはブルペンでの練習後に、チェンにチェンジアップの中でも比較的習得しやすいスリーフィンガーチェンジを試してみるようアドバイスしたという。効果はてきめんだった。
ラモンは「弟はサークルチェンジの達人だったが、当時の私は中指と薬指と小指で投げる感覚がつかめなかった」と笑いながら話した。その後、ラモンは難易度を下げて、3本の指を縫い目にかけて握るスリーフィンガーチェンジを試してみることにした。チェンジアップで重要なのは「落ちること」であり、多少球速が出なくても問題はない。確かにサークルチェンジの方が効果は高いが、ラモンは球速よりも安定性をとったのだ。
ラモンからこの心得を教わったチェンがスリーフィンガーチェンジを試したところ、球筋は安定し、失投はほとんどなくなった。そして20年、チェンはNPBに戻って来た。そこで披露したチェンジアップの威力は人々に強い印象を与えた。この例から見てわかるように、選手が自分から問題提起し、コーチが個別に指導することで、新しい球種は頼れる武器へと生まれ変わったのである。
日米野球の違い その3:指導待ちvs. 自ら問題提起
「日本では選手からコーチに話しかけることはあまりなく、選手はコーチが指導してくれるのを待っているようにみえる」
ある台湾人選手は、長年、日本で見て来た選手とコーチのコミュニケーション方法をこう話した。「コーチはチームの中で目上の存在です。選手がコーチの前で冗談を言うようなことはほとんどない。コーチと普通に会話できるのは実績のあるベテラン選手くらいで、入団したばかりの若手選手には到底無理です」
確かに育成年代の指導を見てみると、団体でのトレーニングが主だ。たとえばランニング。一斉に行う下半身の強化と基礎体力づくりは、必ずしも悪いことではない。だが、若い選手はまだ自分が何を必要としているかも分かっていない段階。最高レベルのスポーツにおいて、その勝敗を左右するのは往々にして他人とは違う能力を持つ選手である。もしかしたら、MLBが野球の世界最高峰であるのは、彼らが個を重視した指導をしているからかもしれない。
また、日本ではランニングが重視され、米国ではウエイトトレーニングを重視するという違いがある。チェン・ウェインはその両方を経験、日米野球を融合し、集大成を果たした。今回の日本プロ野球復帰後に見せた好投が何よりその証左と言えるだろう。近年、チェンはシーズン終了後に台湾に戻った際、トレーニングキャンプを主催し、自身の経験を若い選手に伝えている。
チェンは2020年最後の試合となったソフトバンク・ホークス戦で、先発3回1アウトで3被弾、5点を失い、KOされた。だがこの負けが先の4試合での評価に影響することはないだろう。来シーズンの日本での契約は問題ないと見られ、将来、再びMLBの門を叩く可能性もある。現在、チェン・ウェインの成績は日米通算で95勝。100勝目をどこで飾るのか楽しみだ。
バナー写真=2020年のシーズンにNPBへ復帰し、ロッテに入団した台湾人投手チェン・ウェイン(陳偉殷)、2020年10月21日、対西武ライオンズ戦(共同)