日米野球の融合と集大成:千葉ロッテ左腕チェン・ウェイン

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9年ぶりに彼が日本プロ野球に帰って来た。2020年、千葉ロッテマリーンズに途中加入した台湾人左腕チェン・ウェイン(陳偉殷)だ。10月以降、4試合に先発出場。打線の援護に恵まれず、白星こそ挙げられなかったものの、1年以上もペナントレースに出場していない投手が4試合連続クオリティ・スタート(6回以上投げて、自責点3以内)を達成し、防御率2.42は上出来だ。米メジャーリーグに渡ったチェン・ウェインを5年にわたり、取材してきた筆者はチェンをどう見ているのか。

前代未聞 日米台3者からの取材

2014年、ボルチモア・オリオールズ在籍時のチェン(李弘斌撮影)
2014年、ボルチモア・オリオールズ在籍時のチェン(李弘斌撮影)

台湾高雄生まれのチェン・ウェイン(陳偉殷)は、野球の名門である高苑工商に進学。2002年の第20回AAA世界野球選手権大会(現・WBSC U-18ベースボールワールドカップ)で韓国チームと対戦。12奪三振の完封勝利を収め、同大会の最優秀左投手賞を獲得したことで一躍注目を集め、03年末に日本プロ野球(NPB)の中日ドラゴンズに入団した。

チェンは06年に左肘の手術を受け、一時育成選手となったが、その後快復し、09年には防御率1.54とセ・リーグの最優秀防御率のタイトルを獲得。そんなチェンは中日往年の左腕エース、今中慎二を彷彿とさせることから、「今中二世」「巨人キラー」の異名を取った。セ・リーグでの5年間で通算35勝を挙げた。12年、チェンはメジャーリーグ(MLB)に挑戦し、ボルチモア・オリオールズに入団。16年にはマイアミ・マーリンズと5年総額8000万ドルで契約した。これは華人スポーツ選手の契約金として史上最高額である。

チェンは台湾出身者として初めて日本プロ野球を経て、メジャー入りを果たした。メジャー1年目の試合では、日本、米国、台湾、それぞれのメディアが取材した。これは前代未聞のことである。

それがどれくらい特別なのかは、まずMLBの取材ルールを知る必要がある。チェンや元ヤンキースの王建民のような台湾出身、もしくは日本や韓国出身のような米国籍以外の選手の場合、取材には母国の記者が駆けつける。しかし、試合後の取材は締め切りの関係上、まず地元・米国の記者による囲み取材が行われ、その後で選手の出身地のメディアの取材が行われるのだ。

つまり、一般的に言って、試合後に選手を取材するのは多くても地元と母国の2グループだが、チェンの場合は違った。彼の取材はなかなか終わらず、いつも他の選手より帰るのが遅かった。それは米国と台湾のメディアから取材を受けた後、さらに日本のメディアの取材にも丁寧に答えていたからである。

米国メディアの取材には通訳を介して答え、台湾メディアにはもちろん中国語で、そして日本メディアには流暢な日本語で答えていたということだ。語学の才能もチェンの特性なのかもしれない。

日・米・台、それぞれに野球の文化やスタイルは異なるが、チェンはどれか1つに固執することなく、むしろスポンジのようにその神髄を吸収し、自分のものにしている。チェンへの取材を通して、筆者も以下に挙げる日米の野球の違いを感じることができた。

チェンは外国語習得の才能を持ち、オリオールズ時代、チームメイトとの交流も盛んだった(李弘斌撮影)
チェンは外国語習得の才能を持ち、オリオールズ時代、チームメイトとの交流も盛んだった(李弘斌撮影)

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