台北、台中、阿里山、澎湖・・・台湾の風土を唄った『台湾周遊唱歌』

歴史

片倉 佳史 【Profile】

1910年2月20日、台湾である歌が発表された。『台湾周遊唱歌』と呼ばれるこの曲は、台湾各地の風物を歌詞に盛り込み、台湾全土の地理や歴史が理解できるよう、工夫が施されている。

周遊唱歌は「台湾版の鉄道唱歌」か

台湾は日本にとって、国際条約を経て得た最初の海外領土だったが、終戦まで、鉄道唱歌を名乗るものはなかった。そういったこともあり、この『台湾周遊唱歌』を「台湾版の鉄道唱歌」とする向きもある。先述したように、独自のメロディーを持ちながらも、『鉄道唱歌』のメロディーでも唄えるため、日本本土からやってきた旅行者が、船の中で『台湾周遊唱歌』を教えられ、『鉄道唱歌』の旋律で口ずさみ、見知らぬ地に思いを馳(は)せたという逸話も残る。

歌詞は最初に台湾島の全体像を紹介し、その後、基隆から反時計回りで台湾を一周するように進んでいく。各駅・各都市に歌詞があるが、台北、淡水、台南などは複数の章があるし、小都市についてはいくつかを合わせて一章になっている。また、縦貫鉄道の終着駅である打狗(高雄)に関しては、当時はまだ大発展の前段階にあるためか、わずか一章で終わっている。

ちなみに、『鉄道唱歌』は全5集、総数は334章となっており、長らく、日本で最も長い歌詞とされてきた。しかし、1集から5集までをそれぞれ別個に考えると、第4集北陸編が72章で最長となる。また、広大な土地を紹介した『満韓鉄道唱歌』も全60章あまりである。

これに対して、『台湾周遊唱歌』は全90章。そして、数が多いだけでなく、取り上げているスポットの密度の高さにおいてもまた、その存在は際立っていた。

台湾周遊唱歌~台湾が歩んだ歴史

(淡水)

三百年のその昔  万里(ばんり)の波を凌(しの)ぎ来て
武威を振ひしイスパニヤ  サンチヤゴ城此処(ここ)に建つ

→1624年、スペイン人がサン・ドミンゴ要塞を築くが、オランダに駆逐された。

(新竹)

清(しん)の雍正(ようせい)元年に  淡水廰(たんすいちょう)を置かれけり
城壁の跡猶(なお)残り  旧刹古廟(きゅうさつこびょう)亦(また)存す

→新竹は城壁に囲まれていたが、領台初期に撤去。城壁跡には濠が設けられた。

(台中)

明治四十一年に はじめて成りし鉄道の
全通式を挙げたりし  此処(ここ)の公園 眺めよし

→縦貫鉄道開通式典は台中公園で開催。台中は日本統治時代に整備された新しい都市。

台中(筆者所蔵写真絵葉書より)
台中(筆者所蔵写真絵葉書より)

(台南)

南部のみやこ台南は  本島中に古くより
開(ひら)けし地とて人多く  名所旧跡(きゅうせき)亦(また)多し

→南部最大の都市。台湾の首府として君臨した古都。明・清時代の名所旧跡が多く残る。

台南(筆者所蔵写真絵葉書より)
台南(筆者所蔵写真絵葉書より)

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片倉 佳史KATAKURA Yoshifumi経歴・執筆一覧を見る

台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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