台北、台中、阿里山、澎湖・・・台湾の風土を唄った『台湾周遊唱歌』

歴史

片倉 佳史 【Profile】

1910年2月20日、台湾である歌が発表された。『台湾周遊唱歌』と呼ばれるこの曲は、台湾各地の風物を歌詞に盛り込み、台湾全土の地理や歴史が理解できるよう、工夫が施されている。

人々に愛される『鉄道唱歌』

『鉄道唱歌』について簡単に述べておきたい。世代差こそあるものの、日本人が親しんでいる名曲で、日本各地の様子を短い歌詞で表現し、唄いやすい旋律でまとめられている。 

『鉄道唱歌』の作詞は大和田建樹(おおわだたけき)。旋律は複数存在したが、定着しているものは大和田から依頼を受けた多梅稚(おおのうめわか)のものである。正式な名は『地理教育鉄道唱歌』。第一集となる「東海道編」が発表されたのは1900年5月10日だった。

近代国家の歩みを始めた日本は「殖産興業」の政策の下、鉄道網の整備を急いだ。鉄道は最重要交通手段として君臨し、「伸び行く日本」を象徴する存在だった。これと国民教育が連動したことで、『鉄道唱歌』は誕生した。

余談ながら、この時期、鉄道を題材とした歌曲はいくつも作られている。国有鉄道の幹線のみならず、郊外電車や市内電車(路面電車)に絡んだ唱歌もあり、1906年には『満韓鉄道唱歌』も作られている。

台湾周遊唱歌~台湾の地理を唄う

(基隆)

基隆港(きいるんこう)の朝ぼらけ  のぼる朝日の照りそいて
輝きわたるその眺め  フォルモサの名も徒(ただ)ならず

→台湾北部の港湾都市。日本本土への門戸。基隆は終戦まで「きいるん」と読んだ。

基隆(筆者所蔵写真絵葉書より)
基隆(筆者所蔵写真絵葉書より)

(北投)

硫黄(いおう)を出(い)だす北投(ほくとう)は  音に聞(きこ)ゆる温泉場
湯浴(ゆあ)みする人遊ぶ人  常に絶えずと聞くぞかし

→台北郊外の北投は硫黄の産地。領台後、温泉郷として発展した。通称「台湾の箱根」。

(花蓮港)

黒潮に沿ひ進みつつ  次に立ち寄る花蓮港(かれんこう)
移民の計画歩を進め  開拓事業起こりたり

→東部開発の中枢は花蓮港(現・花蓮)。官営移民村は吉野、豊田、林田の三村。

(澎湖)

これより海路五十二浬  澎湖島(ぼうことう)なる媽宮港(まきゅうこう)
港の内は水深く  大艦巨舶泊(とど)むべし

→台湾海峡に浮かぶ島々。媽宮港は現在の馬公。台湾での読みは「ほうこ」でなく「ぼうこ」。

鵝鑾鼻

バシー海峡隔てたる  ルソンと遥か相向かう
最南端の鵞鑾鼻(がらんび)に  大燈台を設けたり

→台湾最南端の地。バシー海峡を挟んでフィリピンに対峙する。白亜の灯台が知られた。

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片倉 佳史KATAKURA Yoshifumi経歴・執筆一覧を見る

台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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