台北、台中、阿里山、澎湖・・・台湾の風土を唄った『台湾周遊唱歌』

歴史

片倉 佳史 【Profile】

1910年2月20日、台湾である歌が発表された。『台湾周遊唱歌』と呼ばれるこの曲は、台湾各地の風物を歌詞に盛り込み、台湾全土の地理や歴史が理解できるよう、工夫が施されている。

全90章で台湾を唄いあげる

筆者は『台湾周遊唱歌』の存在を台湾史研究家である故・三田裕次氏から教えられた。その後、台中市豊原在住の故・廖来福氏からもより詳しい情報を得て、楽譜の提供も受けた。廖氏は高齢ながらも自らコンピュータを駆使して原曲を再現していた。

私は両氏からの情報をもとに、自著『台湾鉄路と日本人』(交通新聞社)で『台湾周遊唱歌』を取り上げたが、その反響は想像以上に大きく、特に台湾で大きく話題となった。

『台湾周遊唱歌』が発表されたのは1910年2月20日のことだった。基隆と打狗(現在の高雄)を結ぶ縦貫鉄道はすでに開業しており、鉄道輸送は発展期に入っていた。

この唱歌は全90章で構成されている。主軸となるのは台湾島西側の各都市で、縦貫鉄道に沿って紹介されている。「周遊歌」を謳(うた)うだけあって、当時はまだ鉄道が存在していない台湾東部や北東部の都市についても触れられている。離島なども採り上げられているので、台湾全土を網羅していると言える。

台湾周遊唱歌~輝ける新領土・台湾

(台湾)

国光四海(こっこうしかい)に輝きて  東亜の空に覇(は)をなせる
我が日の本の新領土  台湾島をさぐり見ん

→1895年、台湾は日本の版図に組み込まれた。「新領土」という表現が用いられている。

(台北)

君が御稜威(みいつ)に高砂(たかさご)の  浦回(うらわ)の風もおさまりて
ここに開けし総督府  文武の機関備われり

→台湾の最高統治機関、現在も残る総督府庁舎はこの曲が作られた時点では未完成。

(台湾)

南北長さ一百里  めぐりは二百九十余里
小島(こじま)あわせてその広さ 九州とほぼひとし

→九州と同程度の大きさ。台湾島の面積は約3.6万平方キロ。日本の10分の1ほど。

(台湾)

山に金銀海に塩  製茶製糖果実類
水田(みずた)に稲は二度みのる  げに帝国の無尽蔵(むじんぞう)

→「実りの島」、「豊穣の島」は台湾を称える際の決まり文句だった。

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片倉 佳史KATAKURA Yoshifumi経歴・執筆一覧を見る

台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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