お弁当名店・崎陽軒の台湾進出:日台弁当文化のこれだけの違い

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哈日 杏子 【Profile】

このほど台北駅に、シウマイ弁当でおなじみ、100年以上の歴史を持つ横浜の老舗『崎陽軒』の海外進出1号店が誕生した。日本の駅弁専門店の台湾初進出は現地でどう受け止められているのだろうか。また、崎陽軒は台湾の食習慣をどのように反映させたのだろうか? 日本と台湾の弁当文化の違いとは一体何なのだろう?

日本のシウマイが台湾に進出

台湾人は温かい料理を好む。そんな台湾人は日本式の冷めた弁当を受け入れることができるのだろうか? この問題について崎陽軒は大きな決断を下した。台湾では温かいシウマイ弁当を販売することにしたのだ。売り場にはモクモクと白い蒸気を上げる蒸し器も置かれている。中身は加熱中のシウマイだ。こうして崎陽軒はシウマイが「温かい」ことをアピールしているのである。

え? そもそも冷めてもおいしいシウマイ弁当が、台湾では熱々のシウマイ弁当になっている? 日本人にとっては不思議なことかもしれない。しかしこの台湾人の温かい料理へのニーズと「日本の駅弁」というブランドパワーにより、開店初日、崎陽軒の売り場は大行列となり、売り上げ好調だったという。食べた人からも「シウマイの風味がとても良い」「日本でも買ったことがあるので、親近感を覚える」「今日本に行けず、日本の駅弁をとても恋しく思っていたところだ。台北駅で買えるようになったのは本当にうれしい」と好意的な評価が寄せられている。

駅弁文化と言えば、日本と台湾ではかなり異なる。それは元々持っている飲食文化の違いによるものだと言えるだろう。台湾人(広く言うと中華圏にルーツを持つ人)は、オードブルは例外として、基本的に食事は熱々のものを食べる。さらに中医学(中国漢方)の観点から見て、冷めた食事や冷たい飲み物は体、特に内臓に良くないとされている。だから台湾人は食事と聞けば、まず温かい料理を思い浮かべるのだ。

そんな台湾人の温かいものを好む食文化により、台湾では保温水筒、保温ポット、さらに加熱できる弁当箱など保温グッズがよく売れる。以前、日本の芸能界で流行した朝起きたらコップ1杯の白湯(さゆ)を飲む「白湯ダイエット」は、台湾人の白湯を飲む習慣が伝わったものである。筆者もかき氷、涼麺(台湾式冷やし中華)、涼拌小菜(冷たいあえ物料理)を除いては、毎日朝昼晩と3食ともに温かい料理を食べた記憶しかない。

思い返すと、現在、台湾のコンビニで販売されている日本式の三角おにぎりは、登場した当初、台湾の消費者には全く人気がなかった。「冷たいおにぎりは無理」「冷えたご飯は硬いのではないか?」等の声が上がり、消費者は冷めたご飯がどんな味なのかさえ想像できず、心理的な抵抗があったのだ。恥ずかしながら、筆者もその一人だった。

台湾には「吃冷飯等你(冷やご飯を食べてあなたを待っている)」という言葉がある。正確に言うと、台湾語で「呷清飯等你」。「呷清飯(ジャーチェンプン)」とは、「昨日の冷やご飯を食べる」という意味だ。冷やご飯は準備する必要なく、いつでも食べられるものである。そこから転じて「呷清飯等你」は、「余裕がある」「いつでも教えてやる」また「いつでもかかってこい」という挑発的な意味でも使われるのだ。

冷やご飯は温かいご飯に比べて小腸で吸収されにくく、血糖値を上がりにくくする働きがある「レジスタントスターチ」が10%も多く含まれている。さらに冷やご飯は摂取カロリーが温かいご飯より3~5%低下するのに、満腹感がある。ダイエットに適した食べ物であることはよく知られている。

しかし私はやはり熱々の白ご飯の方が好きだ。以前、冷え切った滷肉飯(ルーローハン)を食べたのだが、ああ、あの味は何とも形容しがたい。もう口に入れることすらできないほどだった。ご飯とは熱々で食べるものだ。だから、台湾では温かい弁当しか売られていない。街中の弁当店も駅の駅弁販売所も、必ずと言っていいほど、保温装置が備えられている。弁当や総菜が一定の温度で保たれているのだ。なぜなら、それは誰も冷えた料理を食べたくないから。車内販売の弁当も食事時にしか売りに来ない。もちろん車内販売の弁当も温かいままなのだ。

日本のシウマイ弁当崎陽軒が、台湾マーケティングのため特別なお弁当を提供する。一番違うところは、台湾版のおかずとご飯が暖かいのだ。(提供元:台湾崎陽軒)
崎陽軒が台湾向けに開発したシウマイ弁当。最大の違いは、おかずとご飯が温かい(台湾崎陽軒提供)

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生まれも育ちも生粋の台北っ子。幼い頃に日本のアニメやJ-POPに触れて以来、日本に魅了され、日本語を学ぶようになる。1996年に自ら手掛けた4コマ漫画『早安日本(おはよう日本)』内で「哈日症」という言葉を生み出し、台湾に哈日ブームを巻き起こした。日本の大正期のスタイルとカワイイ文化、鉄道、グルメに目がない。代表作は『早安日本(1996年・尖端出版)』『我得了哈日症(1996年・時報出版)』『 哈日杏子のニッポン中毒(2001年・小学館)』『爆裂台北(2002年・アルク出版)』『GO! GO! 台湾食堂(2004年・まどか出版)』など34作。 フェイスブックブログYoutubeでも活発に情報発信している。

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