多和田葉子:「境界」を超えて日本を凝視する世界文学の旗手
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絶えざる移動の中で作品を創作
2019年10月、ノーベル文学賞の発表日、ベルリン在住の日独バイリンガル作家の多和田葉子はブラジルを訪れていた。多和田作品は世界で30以上の言語に翻訳されており、この時は、3代のホッキョクグマが物語る形式の小説『雪の練習生』(2011、野間文芸賞)のポルトガル語訳が当地で出版され、記念の催しに参加するための訪問だった。
ヨーロッパのブックメーカーによる、この年のノーベル賞受賞者の予想に名前が挙がっていたが、多和田は周囲の喧騒(けんそう)をよそにトークイベントなどを精力的にこなしていた。この訪問の直前にはオランダを訪れ、2言語で書くことをテーマに講義を行い、その後、一旦ドイツに戻り、アーティストのヘンリケ・ナウマンや映画監督のウルリケ・オッティンガーと芸術について語り合う催しに参加した。さらにブラジル訪問後には、ジャズピアニストの高瀬アキとの共演が日本で控えていた。驚異的なスケジュールだが、多和田は朗読、講演など各種催しへの招きに応じて世界各国を飛び回り、絶えざる移動の中で作品を創作してきた。
16年のドイツのクライスト賞受賞、18年の全米図書賞受賞に続き、さらに、19年に続いて20年にもノーベル文学賞受賞者の予想に名前が挙がった。文字通り世界的に注目を集める作家である。なお、クライスト賞はドイツ語で書かれた作品を対象にしたドイツで最も権威ある文学賞の一つで、この国を代表する劇作家ハイナー・ミュラーらが歴代受賞者に名を連ねる。日本人初となった多和田の受賞理由は、ドイツ語による新たな表現の可能性を切り拓いたことと発表された。全米図書賞は大惨事後の世界を描いた『献灯使』(2014)の英訳“The Emissary”(マーガレット満谷訳)による受賞で、翻訳文学部門が再設されて最初の栄誉となった。日本作品の受賞は、『万葉集』と樋口一葉(1872〜1896)の作品集以来36年ぶりの快挙と報じられた。
日本語とドイツ語で多彩な創作活動を展開
1960年に東京で生まれた多和田は、82年、大学卒業を機に東西統一前のドイツへ渡った。書籍輸出取次会社勤務を経て、87年に最初の単行本“Nur da wo du bist da ist nichts あなたのいるところだけなにもない”をチュービンゲンの出版社から刊行した。
この本は左右両綴(と)じの特殊な造りで、一冊の本にドイツ語と日本語の2枚の表紙が付され、多和田が日本語で書いた詩と短編と、それらのドイツ語訳(ペーター・ペルトナー訳)が収められている。作中で言葉が古めかしい慣用的表現や堅苦しい文法規則から解放されていきいきと躍動する。それらは、異言語に囲まれた生活の中で、母語というものや、母語と自分との関係を見つめ直すところから獲得された表現にほかならない。
88年、シベリア横断鉄道の旅を描いた短編小説“Wo Europa anfängt”(ヨーロッパの始まるところ、の意)をドイツ語で執筆し、この作品などでハンブルク市文学奨励賞を受ける。91年には、結婚のために見知らぬ土地に移り住んだ女性の異文化接触の体験を描いた『かかとを失くして』で群像新人文学賞を受賞し、日本でのデビューを果たす。以後、小説、詩、戯曲、放送劇、エッセーと、ジャンルを横断しながら、日本語とドイツ語の2言語で多彩な創作活動を展開し、これまでに刊行された著書は日独両国でそれぞれ20冊以上に及ぶ。
母語ではない言語で執筆する作家と言えば、多和田以前にも、ロシア生まれの英語作家ウラジミール・ナボコフ(1899〜1977)、チェコスロバキア生まれのフランス語作家のミラン・クンデラ(1929〜)らが思い浮かぶ。そうした “越境作家”と呼ばれる書き手の中には政治的、あるいは経済的な事情で生まれ育った土地を離れ、移住先の言語で書くに至った者も少なくない。しかし、多和田にとってドイツ語は自ら選び取った執筆言語だ。しかも、デビューはドイツで先に果たされた。さらに日本でデビューした後も、2言語の間を往還し、そこから得た刺激を創作の原動力にしながら、両言語による執筆活動を約30年にわたって続けてきた。こうした異色の経歴そのものが、〈国民文学〉という概念に対するラディカルな批評性を有している。
人も文化も国境を越えた壮大な物語
多和田文学は1作ごとに新たな境地を切り拓いてきたが、今、また次の転換期を迎えている。3部作の構想だという連作の執筆が開始され、第1部『地球にちりばめられて』(2018)、第2部『星に仄(ほの)めかされて』(2020)が刊行されたところだ。
『献灯使』では福島第1原発事故を連想させる大惨事後に世界から孤立した日本が舞台となったが、今回の連作では、日本と思(おぼ)しき列島は消失してしまっているらしい。作中でその原因は明らかにされていないが、水俣病を想起させる公害や原発建設の反対運動がその島国にまつわる話題として描き込まれることによって、人為的な災害によって壊滅的な被害を受けたことが暗に示されている。
その列島出身の移民Hirukoが連作の主人公だ。日本語の縦書きの本文中で全角のアルファベットで表記され、独特の存在感を放っている。この名前は日本の国土創成譚(たん)を伝える国生み神話で、海に流し去られた蛭子(ひるこ)に由来する。その名が示すように彼女は生まれた地を離れ、スカンジナビア諸国を転々としてきた。移民問題が国際的に大きな関心事となり、政治的争点にもなっている現実を映し出しながら、災害、言語、エスニシティ、ジェンダー、アイデンティティーなどをめぐるさまざまな問題が盛り込まれている。突然、故国に帰ることができなくなったHirukoの姿に、パンデミックで国境が封鎖され、移動が制限された現在の世界情勢を重ねる読者もいることだろう。
取り上げられる問題はどれも重いものばかりだが、随所に織り込まれた多和田ならではの言葉遊びが、読み手の中で硬直した思考の枠組みを解きほぐしてくれる。Hirukoがスカンジナビア諸国の言語を混ぜ合わせた独自の混成言語を話し、それが映像を喚起させる巧みな日本語で表現されているのも読みどころの一つだ。
〈母語〉話者たちの共同体から切り離されたHirukoは、多様な言語的・文化的背景をもつ仲間とともに、自分と同じ〈母語〉の話者を探す旅に出る。第1部の旅の途上では彼女の〈母語〉を話すドイツで働く寿司(すし)職人のグリーンランド人が登場するなど、出発時には自明であったはずのネーティブであるということの認識を揺さぶるような出来事を体験する。ページをめくりながら彼らの旅に同行していくうちに、国境を越えて人も文化も地球のあちこちにちりばめられたグローバル化時代においては、言語文化や食文化の固有性に拘泥するのではなく、もっと別の捉え方があるのではないかと思えてくる。第2部では宇宙の一つの惑星として地球を眺め、さらに壮大なスケールで物語が展開していく。
これからHirukoたちの旅は一体どこへ向かうのか。多和田葉子は文学のどのような新しい地平へと読者を連れ出してくれるのか。今後も目が離せない。
プロフィール/多和田葉子(たわだ・ようこ)
1960年、東京生まれ。早稲田大第卒業後の82年、ドイツに移住。87年、ドイツで作家デビュー。91年に「かかとを失くして」で群像新人文学賞、93年「犬婿入り」で芥川賞。2003年『容疑者の夜行列車』で谷崎潤一郎賞、11年『雪の練習生』で野間文芸賞など。16年独クライスト賞、18年全米図書賞翻訳文学部門など海外の文学賞も多数受賞。
バナー写真=独クライスト賞を多和田葉子さんが受賞=2016年11月20日(Ullstein bild/アフロ)