パルスオキシメーター:コロナ感染拡大で注目を集める日本発の医療機器

科学 経済・ビジネス 暮らし 医療・健康 歴史

新型コロナウイルスの感染拡大で、重症化の目安となる血中酸素濃度を即座に測定できる「パルスオキシメーター」が注目を集めている。世界の医療現場を支えるこの装置の原理を発明した青柳卓雄氏を中心に、開発史を紹介する。

世界中が注目した、トランプ米大統領の新型コロナウイルス感染のニュース。医師団の説明の中に「血中酸素濃度が2回下がり、酸素吸入を実施した」という言葉があった。この血中酸素濃度を測定するのが、パルスオキシメーターと呼ばれる医療用機器だ。意外と知られていないが、胃カメラと並び、日本発で世界中に広がった医療技術だ。

波長の異なる2種類の光を指先に当て、吸収されずに指を通り抜けて来た光を解析することで、動脈血の色素ヘモグロビンがどれほど酸素と結びついているかを示す「酸素飽和濃度」(SpO2)を即座に測定できる。ヘモグロビンは酸素との結びつきが強いほど鮮やかな赤色、結びつきが弱いほど暗い赤色になる。その赤色の濃度を数値化して、血中の酸素濃度を算出するのである。

今ではもうすっかり簡便化されて、小さな洗濯ばさみのような機器センサーを指先に挟み、心拍数と血中酸素濃度を一気に測定し、それを付属の小さな液晶画面に表示する。酸素濃度が十分だと100%で、正常値の範囲は99〜96%と言われている。これが90%を下回ると、低酸素血症を起こしていると診断され、直ちに酸素吸入などの措置が取られる。

通常、病院で人間の生命兆候(ヴァイタルサイン)として測定しているのは、「血圧」「脈拍」「呼吸速度」「体温」の4つだが、このパルスオキシメーターはしばしば第5のヴァイタルサインを示すと言われる。それだけ「血中酸素濃度」は人命に直結した指標なのである。

青柳が原理を発見し、各社が実用機を開発

すでに1935年にドイツのカール・マテス(1905〜1962)が耳で血中の酸素濃度を赤と緑の2つのフィルターで測定することを提案していた。そしてイヤーオキシメーターとして、耳で測定する方法が考案された。しかし、検査前に耳を圧迫したり、測定中に耳を温めたりしなくてはならず、患者に負担を与える操作が必要だったため広く普及するには至らなかった。

それとは別に血中酸素濃度を測定する原理を発見したのが、青柳卓雄(1936〜2020)だった。1958年新潟大学工学部を卒業して島津製作所に入社、71年に医療機器を製造・販売する日本光電工業に転職し、偶然このテーマに遭遇した。彼が挑んだ課題は、「患者モニタリングの究極の姿は治療の自動化であり、その理想に近づくためには、無侵襲連続測定の開発が重要である」というものであった。つまり注射針を使って採血せず、安定して数値が測定できる装置が開発できないかということだった。

青柳卓雄。日本光電の研究室で(1994年)
青柳卓雄。日本光電の研究室で(1994年)

72年、心臓から送り出される動脈血を測定する機器の改良をする中で、青柳は心臓の拍動(パルス)を利用して動脈血の酸素飽和度を測定できることを発見した。現在の機器につながるパルスオキシメーターの基本原理の大発見である。

この原理に従って試作機を作り研究を重ね74年に学会で発表したが、医学界・医療現場から大して注目を集めず、むしろ相当長い時間、その真価が認められないまま放置されることになった。日本光電はこの原理を用いたイヤーオキシメーターを75年に発売したが、光源が豆電球で光を検知するセンサーの性能も悪く改良の余地が多く、需要が伸びないためその開発を中止した。しかし74年に試作機を提供された北海道大学応用電気研究所の中島進(現・森山メモリアル病院長)が、パルスオキシメーターに関する最初の医学論文を発表、英訳された。

77年に、別個に研究を進めていたミノルタカメラ(現・コニカミノルタ)が独自に世界初の指先測定型パルスオキシメーター「OXIMET MET-1471」を発売、米国でもその性能が評価された。その結果、臨床の場で酸素不足からの死亡事故が意外に頻繁に起きていること、酸素不足が予後に影響を与えるであろうこと、パルスオキシメーターが血中の酸素濃度の変化を即座に示すので危険な兆候を瞬時に把握できることが分かった。そして、この装置が今後医療現場に大きなインパクトを与えるであろうと予測された。

80年代、米国や日本で麻酔を用いた手術中に、酸素不足になって患者が死亡するという医療事故が頻発しており、採血せずに血中の酸素濃度を即座に測定できる機器へのニーズが増していた。当時、青柳は安定して酸素濃度が測定できること、またその数値が急変しても即応できるものであること、この2つの条件が共にそろうことが永遠の課題であると指摘している。

こうした中で、80年にバイオクス社が発光ダイオード(LED)とコンピューターを接続して安定的使用を可能にした商業用のパルスオキシメーターを製造販売。さらにその実用化に大きな役割を果たしたのは、スタンフォード大学でこの装置の評価に当たった麻酔科医のウィリアム・ニュー(1942〜2017)だった。この機器の有用性を認識してその普及に努めるため、自らネルコア社を設立し、82年にパルスオキシメーター「N-100」を製造して米国だけでなく世界中で売り出した。

つまり青柳が原理を発見し、ミノルタカメラが指先で測定する方式を考案し、バイオクス社が安定度の高い機器を製造、ネルコア社が臨床に適した機器を開発したことが、パルスオキシメーターの普及・発展を大きく促したと言える。

パルスオキシメーターの発明者として認知

青柳は自分の発見を日本語の論文で発表してはいたが、英語にはしていなかった。日本での発見、発明、創意工夫ではそういう例が少なくない。世界に冠たる独創的な発明や発見でも、外国に発信する力がないと、正当な評価を受けないまま他国の誰かに追い越されたり、またそっくりそのままにまねて作られたりするような事態がしばしば起こっていた。

しかし、このパルスオキシメーターに関しては一人の助っ人が現れた。次第にその能力の高さが人づてに広まり、ついに青柳の存在を知った呼吸生理学の世界的権威である米国のジョン・セベリングハウス(1922〜)である。1987年に来日して青柳と面会し、その後英語の論文でその功績を紹介したことで、青柳はパルスオキシメーターの発明者として世界的に知られるようになった。

青柳(中央)とセベリングハウス(1987年)
青柳(中央)とセベリングハウス(1987年)

致命的な麻酔事故の発生は、1950年代には2000件に約1件だった。それがこの機器が導入された現在では10万件に約1件にまで減少している。日本の麻酔件数は年間約200万件なので、死亡数は年間に1000人から20人に減った計算になる。全てがパルスオキシメーターのお陰ではないにしても、この機器の貢献は相当なものだろう。

バルスオキシメーターは、世界中の手術現場で麻酔による酸欠死を激減させたほか、救急救命の現場で救命率の向上にも大きく貢献したと言われる。小型化が進んだことで小さな診療所まで普及が進み、風邪症状や呼吸器疾患のある人の診察時や、投薬治療後の経過のモニターなどにも幅広く活用されるようになっている。

1997年、日本の小児麻酔学会で特別講演したスウェーデンのステン・リンダールは、講演後に「ノーベル賞にぜひ推薦したい人がいる。それはパルスオキシメーターの原理を発見した青柳卓雄氏だ」と述べていたそうである。同氏は、ノーベル委員会の医学生理学部会に所属する酸素生物学の専門家。もしノーベル賞がパルスオキシメーターに対して授与されるならば、授賞するのはその原理を発見した青柳と、臨床使用できるように改良して世界中に広めたニューであったと考えられる。

青柳卓雄は、こうした業績により米国電気電子学会(IEEE)の健康技術改良賞を受けた。授賞式は2015年6月20日に米国ニューヨークで行われた。授賞理由は「医療の質向上に多大な貢献をしたパルスオキシメーターの先駆的な発明」というものだった。本賞を授賞した日本人は、青柳が初めてだった。

米国電気電子学会(IEEE)の授賞式会場で(2015年)
米国電気電子学会(IEEE)の授賞式会場で(2015年)

コロナ重症患者の多数の命を救命

2020年4月、青柳が亡くなったのは、ちょうど日本でコロナウイルスが猛威を振るい始めた頃だった。氏は亡くなる1年半前まで、後進の指導はもとよりパルスオキシメーターの改善のための研究を怠ることなく行っていた。

くしくも、新型コロナの流行でパルスオキシメーターには改めて大きな注目が集まった。自覚症状のないまま、突然、重症化して呼吸不全に陥る“サイレント肺炎”の症例が世界中で報告され、診察には血中酸素濃度の計測が必須となったのだ。日本でもホテル療養の軽症者には体温計とバルスオキシメーターが渡され、計測して報告することが求められたと報道されると、家電量販店などでは売り切れが続出したという。もし、重症化の目安となる血中酸素飽和濃度を簡単に確定できる機器がなかったら、死亡する患者はさらに途方もない数になっていただろう。

また、同年9月に売り出されたApple Watch Series 6は「血中酸素濃度アプリ」を搭載し、手首から血中に取り込まれた酸素のレベルを測定することができる。緑色と赤色のLEDと赤外線LEDが手首の血管を照射して、その反射光の量をフォトダイオードが読み取り、先進的なアルゴリズムが体に取り込まれた酸素レベルを示す血液の色を計算するという仕組みである。医療用には使えないが、運動中の血中酸素濃度の変動を確認するのに役立つという。青柳の切り開いた道は、今なお広がり続けている。

パルスオキシメーター開発史

1935 ドイツのマテスが耳で血中の酸素飽和濃度を測定する「イヤーオキシメーター」を考案
1971 青柳卓雄が日本光電工業に入社
1972 青柳、パルスオキシメーターの原理を発見
1974 北大の中島進がパルスオキシメーターに関する最初の論文を発表
1975 日本光電工業が「イヤーオキシメーター」を発売
1977 ミノルタカメラが世界初の指先測定型パルスオキシメーターを発売
1980 バイオクス社がLEDとコンピューターを接続して安定的使用を可能にした商業用のパルスオキシメーターを発売
1982 ネルコア社が臨床に適したパルスオキシメーターを発売
1987 セベリングハウスが青柳の発見した原理を英語論文で紹介
1997 ノーベル委員会のリンダールが青柳の功績に言及
2015 青柳、米国電気電子学会の健康技術改良賞を受賞
2020 青柳、84歳で死去
2020 Apple Watch Series 6が「血中酸素濃度アプリ」を搭載

バナー写真=パルスオキシメーターのフィンガープローブ(左)とポケットSpO2モニター
写真提供:日本光電工業

技術 企業 医療・健康 トランプ大統領 コロナウイルス コロナ禍 発明