台湾野球と日本(上)台湾人が忘れられない西武ライオンズ黄金時代――デストラーデから郭泰源まで

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李 弘斌 【Profile】

台湾のスポーツ記者である筆者が子どもの頃、西武ライオンズでは「オリエンタル・エクスプレス」と呼ばれた剛速球投手・郭泰源が活躍、気が付けば熱烈なライオンズファンになっていた。90年代のライオンズは、投打ともにきら星のごとく輝く選手が多かった。キューバ生まれのデストラーデは3年連続でホームラン王となり、とりわけ印象深い選手の一人だ。まさか、憧れのデストラーデと黄金時代のライオンズについて語り合う日がやってくるとは…!

ゲームでも西武ライオンズを選択

両親は私の成績が悪くなるのを心配していて、ファミコンやメガドライブなどのテレビゲームを買ってもらえなかった。学校からの帰り道にあったアーケードゲームのプロ野球ゲームでライオンズの選手に采配を振るうのが、私の野球愛を満たすもう一つの方法だった。3回ごとにコインを投入しないとゲームが続行できないため、「日本一」を勝ち取るには、最低でも60元が必要だったので、翌日のゴハン代がなくなってしまうことがよくあった。

私がゲームの中でもライオンズをひいきにしていたのは、単に150キロの剛速球を投げられる郭泰源がいたからだけではない。打順がAKDになったとき、操作レバーを下に滑らせながらいわゆる「引っ張り打ち」をするとホームランを打つことができたのだ。残念ながら他のチームのクリーンナップはこんなことができなかった。しかもAKは守って走れた。秋山のホームラン後のバク転はずっと私の憧れだったし、清原については、野球部の監督がよく内外角球の打ち方の手本としてビデオで解説してくれたので、チームメイトの中には打席に入る前のしぐさから真似する者が多くいた。

1990年からのライオンズ3連覇の原動力となったデストラーデは、3年連続でパ・リーグのホームラン王となった。彼は、私が初めて知ったスイッチヒッターのホームラン王だと思う。守備にはほとんどつかず基本的にDH専業。日本シリーズではセ・リーグのホームでファーストの守備についたが、その時は清原と石毛がそれぞれサードとショートを守った。いま振り返ると、褐色肌に眼鏡のデストラーデは、清原や秋山より見分けがつきやすかった。私は趣味が高じてスポーツ記者になったが、まさか20数年後の米国取材で、このキューバ出身の大砲と出会うなんて、夢にも思わなかった。

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李 弘斌LEE Hung-Pin経歴・執筆一覧を見る

スポーツ記者。台湾中国時報スポーツ部主任。FOXスポーツチャンネル、イレブンスポーツチャンネル、エリートアスリート賞選考委員(台湾体育署主催)、アジアゴールデングローブ賞選考委員(体壇週報主催)。中時電子報助理副編集長、中華サッカー協会メディア連絡員、麗台運動報記者等を歴任。

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