江戸の怪談集「百物語」からひも解く日本人の遊び心―怪異の「怖い」を遊び、妖怪の「カワイイ」を楽しむ

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猛暑とコロナ禍の今夏、疫病退散の妖怪「アマビエ」グッズを買い求め、お化け屋敷で背筋の凍るような「冷たい」体験を楽しんだ人もいるだろう。幽霊、化け物などの怪異を怖がって楽しみ、妖怪キャラクターをマスコットとして身近に置いて親しむ。「怖い」「カワイイ」を楽しむ感性が併存する日本の怪異・妖怪文化について、民俗学者の湯本豪一さんに話を聞いた。

湯本 豪一 YUMOTO Kōichi

民俗学者・妖怪研究家。1950年東京都墨田区生まれ。川崎市市民ミュージアム学芸員、学芸室長を歴任。30年以上にわたり妖怪資料の収集と保存、およびその必要性についての発信に注力する。湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)名誉館長。

「怖い」と「カワイイ」の併存

妖怪は自然への畏怖や闇を恐れる人の心が生み出したものだ。湯本さんは言う。「江戸の庶民は、闇の中で何かがうごめく気配に対して、アンテナが研ぎ澄まされていました。街でさえ明かりがほとんどなかったので闇は身近にあり、遠くまで行かなくても、近所のコミュニティーで怖いうわさ話がいくつも生まれました」。都内には江戸時代に「本所七不思議」「麹町七不思議」「麻布七不思議」などと呼ばれた町の「七不思議」伝承が残っている。

怪異を怖がる気持ちがある一方で、妖怪を「カワイイ」と感じたり、友だちのように身近な存在として捉えたりする感性が育まれたのも江戸時代だった。その背景にあるのは、絵巻や錦絵などで目にする妖怪たちの愛らしい「ビジュアル」である。

「木版印刷が普及し、妖怪の絵を誰でも安く入手できるようになると、妖怪を身近な存在に感じるようになります。妖怪を怖くないと思う人が増えるにつれて、妖怪をかわいく表現する絵も増えました。百物語の流行と並行して、妖怪が着物の柄になったり、根付けになったり、子どもが遊ぶかるたやすごろくに描かれたりしたのです」

「お化けかるた」/江戸時代以降 <提供:湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)蔵>
「お化けかるた」/江戸時代以降 <提供:湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)蔵>

したたかに生き続ける妖怪たち

日本ほど豊かで多様な怪異・妖怪文化が花開いた国はほかにないのではと、湯本さんは考えている。

「例えば英国などヨーロッパでは、キリスト教を背景にしたゴーストやデーモンの怪異談がほとんどでしょう。日本では中国の怪異談の翻案や仏教の因果話もありますが、それだけに縛られずアニミズム的な要素が特徴的です。その代表が付喪(つくも)神で、器物が年を取ると魂を宿すという考え方から生み出されました。どんなモノでも妖怪になり、さまざまな絵が描かれました」

明治時代には、人力車、ランプ、洋傘の妖怪も登場した。蒸気機関車が導入されて鉄道が普及すると、タヌキが汽車に化ける話、写真が普及すると心霊写真などの怪異談も広まった。

「怪異は、時代に応じて社会の変遷にしたたかに入り込み、生き続けているのです。そして、妖怪を怖いと同時に、身近に感じる感性はいまも変わりません。毎夏、テレビで怪奇特集が放映されると、1人でトイレに行くのも怖いのに、手元に置いてある携帯にはかわいい妖怪のストラップをつけていたりする。そんなことがよくあるはずです」 

現代の妖怪ブームの火付け役といわれる水木しげるのマンガや京極夏彦の怪異小説の人気も、江戸時代から連綿と続く妖怪文化の土壌があるからこそだと、湯本さんは言う。

「カッパや鬼、天狗(てんぐ)と聞けば、ほとんどの人がそのイメージを思い浮かべる。親や学校の先生から教わったわけではなく、江戸時代から連綿と続く妖怪文化を、みんなが受け継いでいるんです。だからこそ、(水木作品の)鬼太郎が広く受け入れられる。そして、水木しげるの影響を受けて妖怪マンガを描きたいという人もいれば、妖怪を研究する人もいるという具合に、裾野が広がり、文化が継承されるのです」

妖怪文化の継承と「Yōkai」の世界発信

2019年4月、「稲生物怪録」が生まれた地・広島県三次市に、「湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)」がオープンした。湯本さんが30年かけて収集した妖怪関連の書物、絵巻、玩具など妖怪関連のコレクション約5000点がベースになっている。

国際日本文化研究センターが妖怪データベースを構築するなど、妖怪研究のための基礎づくりにも重点が置かれるようになってきましたが、それとは別に妖怪に特化した博物館を作りたかった。現状では、研究対象にならない妖怪資料は忘れ去られてしまう危うさがあります。研究と同時に、資料を後世に残すための専門の博物館が必要です。地域活性化のための観光資源としての施設であるだけではだめです。妖怪文化を後世に継承するという理念を共有する専門スタッフが、資料の展示・保存に適した湿度、照明を確認しながら、必要に応じて補修などをしっかり行うと同時に、研究の場でもある博物館にしなければなりません」

日本の妖怪文化を海外に伝えることにも積極的だ。2018年、「日本・スペイン外交関係樹立150周年記念」行事の一環として、湯本コレクションの一部をマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーで展示した。21年には、世界各地を巡回する展覧会を計画しているそうだ。

「日本のユニークな文化としての妖怪の魅力をもっと世界に伝えたい。いまでは『Manga』は国際語ですが、『Yōkai』も国際語になりつつあります」

バナー写真:『百物語絵巻』(部分)/明治時代 林熊太郎 全2巻 <提供:湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)蔵>

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