
日本のメディアは李登輝の死をどう報じたか
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全紙が社説で取り上げる
日本の新聞各紙は社説についても、朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の六大紙がそろって掲載した。産経は7月31日、朝日、毎日、読売、東京は8月1日、日経は8月2日と、タイミングも死去に即応している。ここからわかることは、社説の掲載の可否を議論する各社の論説委員会において、掲載をすべきかどうか議論した様子は見られず、社説執筆が当然視されたことだ。
タイトルは朝日が「築き上げた民主の重み」、毎日が「平和的な民主化を導いた」、読売が「台湾の民主主義を根付かせた」、日経が「李登輝氏が残した貴重な遺産」、産経が「自由と民主の遺志次代へ」、東京が「台湾の悲哀と誇り体現」だった。
考えてみれば、そのこと自体、異例だと言える。李登輝の知名度は高いが、台湾は日本と外交関係があるわけではない。それでも、各紙が社説で取り上げるというのは、台湾のみならず、アジアにとって、日本にとって、李登輝という政治家が残した影響の大きさ故のことだろう。また、特徴的だったのは、李登輝への評価について、各紙とも論調に大きな違いがなかったことだ。
東西冷戦下でのイデオロギー対立が目立った時代は、各メディアの間で政治的立場によって李登輝評価にも違いがあった。今回の李登輝評価における日本のメディア間の温度差の減少は、時代の変化を印象付けるものだ。
李登輝の功績に対して、各新聞の評価はほぼ一致しており、民主化を推進したことへの肯定的な評価について、どの新聞でも紙幅を費やして言及している。
保守派の産経新聞は「戦後の台湾を独裁支配した中国大陸由来の国民党政権を、6回の憲法改正などで内側から改革した」と述べているが、リベラルな論調の毎日新聞も「中国に反発する台湾住民の圧倒的な支持を受けて初の民選総統に当選し、民主的な体制への移行を完成させた」と書いており、日本の保守・リベラルの両者において李登輝評価の違いはほとんど見られない。
どの新聞の社説も、李登輝と日本のつながりに言及していた。朝日新聞は「李氏は日本にとって特別な政治家だった。植民地時代の台湾で生まれ、京都帝大に学んだ。日本軍人として終戦を迎えた」と述べながら、「日本は台湾との歴史にどう向き合ってきたのか。これからどんな関係をめざすのか。そんな重い問いを、日本人に静かに考えさせる存在でもあった」と書いている。
社説で内容的に出色だったのは読売新聞だった。それは李登輝が台湾社会の台湾人意識を高めたことに言及していた点だ。李登輝は「民主化という『静かな革命』で、台湾人は『生まれ変わった』と述べた。台湾の歴史と文化を重視する教育を導入し、自らを『中国人』ではなく、『台湾人』と位置づける意識の高まりをもたらした」と書いている。
これは「台湾本土化」と呼ばれるもので、李登輝の二大功績には「民主化」と「台湾化」であることが一つの大前提となっている。必ずしも台湾政治に通暁した筆者(論説委員)が書いている場合だけではない社説においては、わかりやすい「民主化」だけを突出させて「台湾化」には触れない傾向が全体に見られた。その中で、台湾化について触れていた読売新聞社説のバランス感覚は良かったと言えるだろう。
中台関係については、現在の不安定な日中関係も反映してか、李登輝時代を印象づける「脱中国」の政治行動に対し、各紙とも肯定的な評価を与えていた。
日経は「香港の『一国二制度』はそもそも台湾統一の手段だった。だが中国は香港住民の民意を顧みず香港国家安全維持法を施行し、自ら一国二制度を形骸化させた」と中国に非難の目を向けた。朝日も「強大化した中国が民主主義に逆行するなか、台湾の自由は、その重みをいっそう増している」「中国のような弾圧などしなくとも、安定した発展が可能であることを中国の人々に証明してみせた」と論じていた。
(敬称略)
バナー写真=李登輝死去の翌日、多くの新聞が一面で掲載された様子(筆者撮影)