日本のメディアは李登輝の死をどう報じたか

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台湾の李登輝元総統の死去について、日本のメディアはこぞって速報で報じ、翌日以降もすべての主要全国紙が一面、国際面などで大きく記事を展開した上で、社説を掲載した。台湾を除けば、日本が最も李登輝の死に注目した国だったはずだ。すでに長く第一線から退いている海外の政治指導者の死去が、どうしてこれほど日本で注目され、どのように報じられたのかを検証した。

産経新聞は一面トップ、朝日・毎日は左肩

7月30日の夜に伝えられた李登輝の死去は、「速報」によって、新聞・テレビなどほとんどすべてのメディアがリアルタイムで報じた。さらに、ニュースの重要性を考える上で参考になる翌日の新聞での扱いでも、李登輝死去のニュースは多角的に展開された。日本の新聞は編集会議でその日のトップニュースから五番手のニュースぐらいまでをランク付けし、一面での「扱い」を決める慣習を持っている。それは新聞社にとっても日本内外でのニュースを比較検討した上でのニュースの価値判断という意味がある。あらゆるニュースを網羅する総合性を売りにしている日本の新聞にとって最も重要な機能である。

その中で、李登輝死去のニュースを最も大きく紙面で扱ったのは産経新聞だった。一面トップで「李登輝台湾元総統死去 97歳 初の民選『民主化の父』」と写真付きで報じた。産経新聞は1972年に日本と中国が国交を結んで台湾と断交した後も、北京支局を開設せず、台北支局を維持した唯一のメディアであり、歴史的に台湾報道に自負を持っていることがうかがえる。

新聞には、ニュースを人間の身体で形容する風習がある。トップニュースは「アタマ」と呼ぶ。「一面アタマ」でスクープを放つというのは記者の夢であり、勲章になる。一面左側の「カタ」と呼ばれる二番手のニュースで扱ったのが、朝日新聞と毎日新聞。読売新聞と東京新聞は「ハラ」と呼ばれる真ん中の中段の場所に掲載し、三番目のニュースとして扱っている。一面で扱わなかった新聞はなく、基本的には、すべて重要ニュースとして報道する形になっている。これは考えてみると非常に異例なことだ。

李登輝はすでに総統から退いて20年間が経過しており、政治的な影響力はほとんどないに等しい。原則、国際ニュースは今日的にその問題が日本にどのような影響を与えるかという点が、ニュース価値の判断材料になる。今日でも李登輝の死去がこれほど詳しく報じられるというのは、日本社会における李登輝の知名度と存在感の大きさを物語っているということは間違いなく言える。

1997年、当時の中国の鄧小平の死去時も速報が流れたが、鄧小平は息を引き取るまでまだ実質的な権力を握っていた。一方、李登輝は20年前に総統を退き、政治権力は持っていない。日本人がいかに入院中で危篤と伝えられていた97歳の李登輝の容態に関心を払っていたかが「速報」や「一面ニュース」という扱いから浮かび上がってくる。

評伝では対日関係や「台湾の悲哀」に言及

一面に李登輝の生前の功績を整理した「評伝」を載せたのは産経新聞だけだった。評伝の筆者は元台北支局長の河崎眞澄記者。産経新聞では昨年から今年にかけて「李登輝秘録」の長期連載を掲載し、7月末にちょうど書籍として刊行されるというタイミングにぶつかったが、河崎記者はそのシリーズの主要筆者でもあった。

産経新聞の評伝では、李登輝と日本というテーマを中心に取り上げており、李登輝が総統就任後、かつて国民党が行ってきた「反日教育」を改めさせ、「若い世代が公平な目で日本を見て判断し、親しみを感じる傾向が強まったという。反日教育を90年代から加速させた中国や韓国と台湾の差がここにある」と述べているのは、保守的な論調を売りにする産経らしい内容だと言えるだろう。

一方、一面以外の場所で各紙掲載した評伝の中で、バランスの良い読後感を与えたのは朝日新聞だった。筆者は現在、台北支局長を務める西本秀記者。司馬遼太郎との対談で李登輝が語った「台湾人に生まれた悲哀」という言葉を取り上げた。オランダ、清朝、日本、国民党などの「外来政権」に支配されてきた歴史の「悲哀」を背負っているという意識を持ちながら、台湾生まれの本省人として初めての総統として登場した李登輝が「民主化を進める原動力となった」と指摘した。

全紙が社説で取り上げる

日本の新聞各紙は社説についても、朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の六大紙がそろって掲載した。産経は7月31日、朝日、毎日、読売、東京は8月1日、日経は8月2日と、タイミングも死去に即応している。ここからわかることは、社説の掲載の可否を議論する各社の論説委員会において、掲載をすべきかどうか議論した様子は見られず、社説執筆が当然視されたことだ。

タイトルは朝日が「築き上げた民主の重み」、毎日が「平和的な民主化を導いた」、読売が「台湾の民主主義を根付かせた」、日経が「李登輝氏が残した貴重な遺産」、産経が「自由と民主の遺志次代へ」、東京が「台湾の悲哀と誇り体現」だった。

考えてみれば、そのこと自体、異例だと言える。李登輝の知名度は高いが、台湾は日本と外交関係があるわけではない。それでも、各紙が社説で取り上げるというのは、台湾のみならず、アジアにとって、日本にとって、李登輝という政治家が残した影響の大きさ故のことだろう。また、特徴的だったのは、李登輝への評価について、各紙とも論調に大きな違いがなかったことだ。

東西冷戦下でのイデオロギー対立が目立った時代は、各メディアの間で政治的立場によって李登輝評価にも違いがあった。今回の李登輝評価における日本のメディア間の温度差の減少は、時代の変化を印象付けるものだ。

李登輝の功績に対して、各新聞の評価はほぼ一致しており、民主化を推進したことへの肯定的な評価について、どの新聞でも紙幅を費やして言及している。

保守派の産経新聞は「戦後の台湾を独裁支配した中国大陸由来の国民党政権を、6回の憲法改正などで内側から改革した」と述べているが、リベラルな論調の毎日新聞も「中国に反発する台湾住民の圧倒的な支持を受けて初の民選総統に当選し、民主的な体制への移行を完成させた」と書いており、日本の保守・リベラルの両者において李登輝評価の違いはほとんど見られない。

どの新聞の社説も、李登輝と日本のつながりに言及していた。朝日新聞は「李氏は日本にとって特別な政治家だった。植民地時代の台湾で生まれ、京都帝大に学んだ。日本軍人として終戦を迎えた」と述べながら、「日本は台湾との歴史にどう向き合ってきたのか。これからどんな関係をめざすのか。そんな重い問いを、日本人に静かに考えさせる存在でもあった」と書いている。

社説で内容的に出色だったのは読売新聞だった。それは李登輝が台湾社会の台湾人意識を高めたことに言及していた点だ。李登輝は「民主化という『静かな革命』で、台湾人は『生まれ変わった』と述べた。台湾の歴史と文化を重視する教育を導入し、自らを『中国人』ではなく、『台湾人』と位置づける意識の高まりをもたらした」と書いている。

これは「台湾本土化」と呼ばれるもので、李登輝の二大功績には「民主化」と「台湾化」であることが一つの大前提となっている。必ずしも台湾政治に通暁した筆者(論説委員)が書いている場合だけではない社説においては、わかりやすい「民主化」だけを突出させて「台湾化」には触れない傾向が全体に見られた。その中で、台湾化について触れていた読売新聞社説のバランス感覚は良かったと言えるだろう。

中台関係については、現在の不安定な日中関係も反映してか、李登輝時代を印象づける「脱中国」の政治行動に対し、各紙とも肯定的な評価を与えていた。

日経は「香港の『一国二制度』はそもそも台湾統一の手段だった。だが中国は香港住民の民意を顧みず香港国家安全維持法を施行し、自ら一国二制度を形骸化させた」と中国に非難の目を向けた。朝日も「強大化した中国が民主主義に逆行するなか、台湾の自由は、その重みをいっそう増している」「中国のような弾圧などしなくとも、安定した発展が可能であることを中国の人々に証明してみせた」と論じていた。

(敬称略)

バナー写真=李登輝死去の翌日、多くの新聞が一面で掲載された様子(筆者撮影)

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