「台湾」で李登輝を研究する難しさ

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前原 志保 【Profile】

2020年7月30日、台湾の李登輝前総統が亡くなり、その死は日本でも大きな衝撃とともに報道された。その訃報が報じられてから、彼の功績についてあらゆるメディアでさまざまなエピソードとともに語られており、これからさらに特集が組まれたりするだろう。この大きな節目に際し、大学院時代から李登輝のことを研究してきた若手の研究者である自分にしか書けないものは何かと考えたうえで決めたテーマは「台湾で」李登輝を研究することに関する独特の難しさについてである。

私の李登輝研究とそのきっかけ

私の李登輝研究は英国の修士課程にいた頃から始まっている。大学での専攻であった東アジア地域研究から一歩踏み込み、中国を専門的に研究していこうと英国の大学院の中国研究修士課程に進んだ。しかし講義を受けているうちに、中国よりも台湾に興味をひかれた。修士論文で何を書こうかと考えた時に李登輝のことがまず初めに浮かんだ。当時、日本で台湾に関連する書籍は今ほど多く出版されていなかったが、彼の本だけはなぜかたくさん出版されていた。一般的な台湾初心者が手を伸ばす本は、歴史作家司馬遼太郎の『街道をいく 台湾紀行』(1994年)、李登輝の『台湾の主張』(1999年)、そして台湾でも多くの物議を醸し出した漫画家小林よしのりの『台湾論』(2000年)だったように思う。私もそれらの本を読んだ一人だった。

私は李登輝自身の著作をはじめ、彼に関連する日本語の本を全て取り寄せて読み、その内容に共鳴し、当時仲良くしていた台湾人の友人たちが住むフラット(集合住宅)に行き「私、李登輝さんのことを修士論文のテーマにしようと思うの。」と興奮気味に話した。彼らは私が台湾のことを修士論文のテーマにすることを心から喜んでくれたが、お互いの顔を見合わせながら私にこう言った。「志保が修士論文に台湾のことを書いてくれるのはうれしい。でも私たちはあまり彼のことが好きではないの」。

この言葉が私を李登輝研究に駆り立てた。日本や欧米圏での李登輝への評価と外にはあまり伝わっていない台湾のリアルな空気感のギャップに、研究に値する何かがあると感じ、その後「Lee Teng-hui and his double identity」(李登輝と彼の二重アイデンティティー)という修士論文を書いた。中華民国総統である彼自身が持っている2つのアイデンティティー(日本と台湾)が台湾政治を混乱させる要因を作っているという趣旨の論文だった。

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前原 志保MAEHARA Shiho経歴・執筆一覧を見る

福岡県生まれ。カナダ ブリティッシュコロンビア大学卒業(東アジア研究)、英国リーズ大学修士課程修了(中国研究)、2014年国立台湾大学国家発展研究所で法学博士号取得。現在、九州大学人間環境学研究院台湾スタディーズ・プロジェクト特任助教。

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