若林正丈の「私の台湾研究人生」

私の台湾研究人生:「李登輝は台湾のサダトになる」

政治・外交

若林 正丈 【Profile】

香港から観察した台湾は時代の変わり目に差し掛かっていた。のちに台湾初の民選総統となる李登輝の名前も蒋経国の後継者として一部で上がり始めたが、本命視はされていなかった。その中で、エジプトの大政治家になったサダトのように、李登輝が総統になれば、一気に豹変(ひょうへん)することを予言した人物がいた。

李登輝本命論

李登輝本命論を耳にしたのは、香港中文大学においてであった。政治行政学科の翁松燃(Byron Weng)教授が主催するランチ・オン・スピーチに招いてくれたのである。日記やメモに期日がないのではっきりしないが時期はたぶん大学の夏休みに入った頃ではなかったか。『九十年代』の重要な寄稿者でもあった翁教授の香港問題、台湾問題、「一国家二制度」関連の論説は私にとっては毎号必読の文章で、香港に来てから何度も翁教授のもとを訪れては教えを請うていた。翁教授は台湾・彰化のご出身だったと記憶する。

当日のスピーカーは、ペンシルベニア州立大学教授のパリス・チャン(張旭成)氏だった。チャン教授は中共党史研究の専著があり、またNewsweek誌などにもコラムを書いていたので名前だけは知っていた。背は高くないが堂々たる押し出しと話しぶりで、英語もたいへん分かりやすかった。台湾出身で生まれは嘉義だということは後から知った。当日のメモなどは残っていないのだが、印象鮮明だったので議論の筋はよく覚えている。蒋経国の副総統になった李登輝は台湾のサダトになる、というのである。記憶違いでなければ、それは次のような議論だった。エジプト革命の英雄ナセル大統領の下で副大統領を務めたアンワル・サダト(1918-1981年)は、副大統領の間はナセルのイエスマンで全く目立たない存在であったが、ナセルの死後大統領に就任するや強いリーダーシップを振るい、イスラエルとのキャンプ・デービッド合意を成し遂げるなどの業績をあげた。李登輝もずっと蒋経国に忠実な大人しい学者あがりの官僚政治家だが、いったん総統に就任すれば、サダトのように大化けする可能性があるのだという。

私の受け止め方は、なるほどこういう見方もあるかという程度だった。今日本で李登輝と言えば政治の第一線を引いた後でもまだまだ知名度は高いが、当時の日本では農業経済学者として学界に名が知られている程度ではなかったろうか。私が院生の時に、顔見知りになった農業経済学の先生に、知り合いの学者で李登輝という人が台北市長をしているから紹介してやってもいいよ、と言われたことがあるが、当時は強く紹介も求めなかった。悔やんでも後の祭りである。

李登輝の党歴は浅く、体制内に何の基盤もない、そして何よりも本省人である、といった点を挙げてポスト蒋経国の実力者たりえないとするのが、当時私が目にし耳にした下馬評の大半であった。1982年に耿榮水氏の見立てに入っていた本省人は林洋港で、李登輝は名前も挙がっていなかった。林洋港(1927-2013年)はかつて南投県知事選挙で当選した実績があり、1970年代初蒋経国の抜てきでいきなり入閣した李登輝よりは本省人政治家として先を走っていると見なされていた。李登輝の頼りは蒋経国の抜てきの一点であったが、結局この一点が1984年に二人の出世レースの順位を変え、蒋経国の死後も林洋港は最後まで李登輝を抜き返せなかった。1996年の第一回の総統直接選挙で国民党を除名されてまでして李登輝に挑んだが圧倒的な票差で敗れた。

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早稲田大学名誉教授、同台湾研究所学術顧問。1949年生まれ。1974年東京大学国際学修士、1985年同大学・社会学博士。1994年東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て2010年から2020年早稲田大学政治経済学術院教授・台湾研究所所長。1995年4月~96年3月台湾・中央研究院民族学研究所客員研究員、2006年4月~6月台湾・国立政治大学台湾史研究所客員教授。主な著書は『台湾の政治―中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)など。

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