現在も慕われる日本人巡査――「義愛公」を考える

文化 社会 暮らし 歴史

台湾西部の沿岸部。ここに「義愛公」(ぎあいこう)と呼ばれる祭神が存在する。祀られているのは一人の日本人警察官である。今回は日本統治時代に起こった悲劇と奇跡、そして、台湾の「文化景観」としての義愛公を見つめてみたいと思う。

廟に祀られた日本人警察官

嘉義(かぎ)県の沿岸部に位置する東石(とうせき)郷(郷は台湾の行政単位で「村」に相当)に富安宮という廟(びょう)がある。すぐ近くを「西部濱海快速公路」が通っているものの、交通は不便で、旅行者には縁が薄い。正直なところ、「僻地(へきち)」という印象を禁じ得ない土地である。

ここに一人の日本人巡査が祀られている。廟は「東石副瀬富安宮」といい、通称は「富安宮」。庶民信仰の場であり、参拝客は絶えない。その歴史は古く、清国統治時代の1879年に遡るという古刹(こさつ)である。

廟は大きく、現在の社殿は2014年3月29日に竣工したもの。堂内には王爺(おうや)、媽祖(まそ)といった台湾ではよく見られる祭神が並ぶ。その中に独特なたたずまいの神像が見える。これが「義愛公」と呼ばれる森川清治郎(もりかわせいじろう)巡査である。

筆者が初めてこの廟を訪れたのは、20年以上も前になる。道に迷いながらようやくたどり着いたところ、信徒に声をかけられ、いろいろな話を聞かせてもらった。上の世代から伝え聞いたという森川巡査の人となりを熱っぽく語る老人たちの姿は、今も思い出される。日本人がこの廟にやってくることはほとんどないと思われたが、廟には日本語で印刷された冊子が用意されていた。

「富安宮」の外観。義愛公は集落の「守護神」とされている。地域信仰の場であり、毎日参拝にやってくる人も少なくない
「富安宮」の外観。義愛公は集落の「守護神」とされている。地域信仰の場であり、毎日参拝にやってくる人も少なくない

次ページ: 僻地に赴任した一人の巡査

この記事につけられたキーワード

台湾 飛虎将軍 義愛公

このシリーズの他の記事