「弁証法的発展」の発想なき中国の香港政策

国際 政治・外交

香港に対する国家安全維持法が全人代で可決され、実施が決まった。香港問題は米中新冷戦のフロントラインになりつつある。香港に対する中国の過剰な強硬姿勢は、香港の良さを失わせる「愚策」ではないのか。香港と中国との違いに基づき、香港社会にも受け入れ可能な香港政策を作り出す「弁証法的発展」の成果でもあった「一国二制度」は、返還から23年目に入ったいま、大きな岐路に立たされている。中国の成長を支えた香港を強引に変化させることは、中国自身の「凋落の第一歩」を意味する恐れもある。

「冷戦的対立」としての香港問題

「香港国家安全法」が6月28~30日に開かれた全国人民代表大会常務委員会で採択された。同法は昨年香港から中国への犯罪者引き渡しを認める「逃亡犯条例」改正案が圧倒的多数の香港人によって拒否されたため、中央当局が香港当局をスルーして、上から一方的に取り締まりが強化できる同条例の制定を試みたものである。無論、香港の大多数の住民は強い抗議の声を上げた。しかし、その声がどんなに大きなものであろうと中央政府はそれを無視し、国内外の異論を強引に抹殺し、同法の採択に踏み切った。

それ以後の香港からは、政治家、学生リーダーたちから無力感を漂わせる声が聞こえてくる。さらには香港脱出を決意し、台湾、欧米、カナダ、豪州などへの移住を本格的に検討し始めた人々が急増している情報も伝わってくる。もしそのような事態が劇的な形で起こってしまったら、その後の香港、さらに、中港関係はどのようになってしまうのだろうか。私の机の上に1冊の本がある。倉田徹『中国返還後の香港』(名古屋大学出版会、2009年)である。この本は著者の博士論文をもとにしたものであり、私も副査として本論文の審査に関わり、学術的に高く評価したものであった。が、1つだけ彼に異論を唱えた。それは本書の副題が、“「小さな冷戦」と一国二制度の展開”とされていたことであった。グローバリゼーションや中国の改革開放が進む真っただ中の当時、国際構造的に見ても、イデオロギー的に見ても、「冷戦」という表現はないだろうというのが私のコメントであった。

しかし、現在、立教大学教授として香港政治の専門家として活躍する著者は「冷戦」という表現にこだわった。そして20年近く経った今日、「米中冷戦」の対立が普通に語られるようになり、香港はまさにそのホットスポットとなった。香港と中国の対立を20年も前から「冷戦的対立」として捉え続けてきた著者の眼力に敬意を表しつつ、新たな冷戦的構造をどのようにとらえるかも視野に入れて見ていかねばならない。

香港の「中国化」が加速か

さて、昨年来の中港関係の変化を流れとして見るならば、強力な中央のイニシアティブ(主導権)で香港は間違いなく「中国化」を加速するであろう。具体的にみると、おそらく2047年(一国二制度の期限)を待たず、政治的には北京のコントロール下に置かれ、名前ばかりの香港特別行政区政府が残るか、それとも香港人民政府と香港人民代表大会が新たに設立され、経済的には深圳、広州、珠海、マカオなど華南経済圏に組み込まれ、中国の先進的地域経済共同体としての役割の一端を担わされるかもしれない。

もちろん北京はこのような状況下でも、これまでの情報・金融・人材などの先進的な国際都市としての香港の機能を維持・発展させることに全力を挙げるだろう。そして仮にそのような事態が現出するならば、それは北京にとって思惑通りのシナリオの実現と言えるかもしれない。

しかし、事は北京の思惑通りに進むのだろうか。私は決してそのように思わない。北京が認識しなければならないのは、このような事態を香港の圧倒的な人々も、経済・世論を含めた国際社会も全く望んでいないということである。強引な突破はむしろ長期にわたって成長・発展を続けてきた中国の「凋落の第一歩」に足を踏み入れた事を意味するのかもしれない。

なぜなら、第一に経済的に自由な活動が保障され、第二に国際金融が活発であり、第三に自由に情報がキャッチできるのが、香港の特徴であり、長所であった。そうした香港の存在こそが、これまでの中国の飛躍的な経済発展の重要な原動力の1つであったのだ。制限はあるものの、英国式の司法の独立など大幅な自治を認めた「二制度」が形骸化していき、北京中央の意向が直接反映してくるようになると、おそらく海外のビジネスマンは香港から遠ざかり、金融活動も消極的になっていくだろう。

米議会に広がる香港支援

たしかに力関係では圧倒的に北京が強く、香港は歯がたたない。雨傘運動の抵抗、昨年の逃亡犯条例改正の拒否、そして昨年11月末の区議会議員選挙における香港市民の圧勝、それにもかかわらず強大な組織力と経済力を擁した中央権力の壁は動かし難く、香港の人々に深い挫折感をもたらしつつあるのかもしれない。

しかし、考えてみれば、香港は1997年以来じわじわと中央政府の支配が強化されていき、それに抵抗する香港の住民は様々な形の運動を展開してきた。それは人々が知恵を絞りだした創造的な運動であった。そして今こうした香港で生まれた小さな炎が、世界各地に飛び火し始めている。

かつて米国は民主と自由のチャンピオンであり、守護者であったが、現在のトランプ政権にそのような役割を期待することはできない。

しかし、議会や市民運動を巻き込みながら、香港を支援する新たな動きが生まれ始めている。2019年6月に米国議会が可決した「香港人権民主主義法」然り、同年9月にペロシ下院議長が香港民主派の3人のリーダーと行った共同会見、2020年3月にはかつての香港政府ナンバー2のアンソン・チャンがペンス副大統領と、5月には香港民主党創始者マーティン・リーがポンペイオ国務長官とペロシ下院議長とそれぞれワシントンで会見するなど、交流の動きが目立ってきた。米国は、中国が統制を強める香港への海底ケーブルの接続に反対するようになった。ファーウエイ事件に続く米中のデカップリング(分断)である。

台湾などでも香港との連携

台湾では、これまで香港とはあまり深いつながりがなかったと言われてきたが、雨傘運動、ひまわり運動などで学生・青年活動家同士の交流が活発化し、さらに市民運動、ジャーナリズムの連携が見られるようになった。

豪州、ドイツ・英国・フランスなどでも中国の対応に批判的な主張が強まってきた。6月22日に開かれたEU・中国のテレビ電話での首脳会議でも、米国との対立激化に対応してEUを味方につけようとする中国の思惑から外れ、EU側から「香港国家安全法」に対する重大な懸念、採択停止の要望が表明された。日本でも国会議員の連携や知識人、市民の支援活動の広がりが伝えられるようになってきた。世界各国の政府、議会、市民の活動は今後一段と活発になっていくことだろう。

こうした中で、中国にとってどのような選択が望ましいのだろうか。私は強硬で突っ走るだけの外交は愚策だと思う。さらには中国共産党のために貢献する香港こそ評価するとするならば、多くの香港人も世界もついていかなくなるだろう。自由で闊達で繁栄した従来の香港に貢献する中国共産党こそが、香港人が求めているものであり、そのような実感を得られるようになるなら、香港人の嫌中的なわだかまりを薄めていけるのではないだろうか。

弁証法的発展の発想なき中国の指導者

今の中国政治指導者には共産主義者がよく用いていた弁証法的発展という考え方が身についていないようだ。ただ圧倒的に強い力関係にあるとき、単純に強行政策をとって力ずくで自らの意思を相手に押し付けるのはいかがなものか。弁証法的発展とは、自分たちの意思や行動に対する反作用の効能もよく計算に入れながら、その先に生まれる新しい関係性を戦略的に考える、いわゆる正→反→合という考え方である。

「一国二制度」をどのようにして香港住民も納得できる制度にすることができるのか。これを香港市民や当局者などを巻き込んで本格的に討議するならば、「弁証法的発展」の成果が出てくるかもしれない。

今回の米中の対立はそもそもそれほどイデオロギー性の強いものではなく、超大国の座を目指すイニシアティブの争いと言えるものでもある。したがってイデオロギー、政治・経済体制、陣営などで争った「米ソ冷戦」とは異なる面が多い。イニシアティブの調整さえうまくできれば、――難しいことではあるが――、米中共存は可能である。そしてその道を探ることと香港「一国二制度」の再生は連動しているのである。

バナー写真:国家安全維持法案が可決した当日、朝の香港風景。( © Chan Long Hei/SOPA Images via ZUMA Wire/共同通信イメージズ)

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