コロナ禍の今だからこそ注目したい台湾の公園革命——みんなで育てる公共空間

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中村 加代子 【Profile】

新型コロナウイルスの登場で、感染リスクが比較的低いとされる屋外の公園が、新しいレジャーのパートナーとなりそうだ。お隣の台湾では、近年、ユニークな公園が続々と誕生している。子どもから大人まで引きつけるその魅力は何か、また、なぜそのような公園を生み出せたのか、台湾の事例から、コロナ禍における公共空間の在り方を探る。

「物言う市民」と育てる公園

そもそも台湾では教育の場でしか語られることのなかった「インクルーシブ」という概念が、公園に持ち込まれた背景には、2015年、「子どもたちの遊ぶ権利」を訴えて声を上げた、市民たちの存在があった(※3)

それ以前の行政府は、公園政策を重視していたわけでもなければ、公園づくりに市民が参画することに積極的でもなかった。それが今や、多くの地方自治体が、市民も参画できる公園づくりに熱をあげている。東鶯里の陳里長は言う。

「(以前は)公園なんて誰も取り上げたことはなかった。正直なところ、それが票になると分かって、みんなこぞって公園をつくるようになった」

「台湾の政府はいつも怒られてる。総統だって(笑)。僕たち里長も選挙というプレッシャーがあるから、きちんと仕事をする」

つまり「物言う市民」の存在と投票行動が、行政にしっかり影響を与えているというわけだ。

新北市議員・廖宜琨さんの事務所主任を務める劉徳彬さんによれば、「物言う市民」の存在は、2013年の「白シャツ軍運動」をきっかけに可視化されたのではないかという。

同年、台湾で兵役についていた若い兵士が、上官からのいじめが原因で死亡する事件が起きた。これを受けて、若者を中心に、事件の真相解明と軍の改革などを訴える運動が起こり、およそ25万人もの市民が、白いTシャツを身に着けて路上に出た。これは当時の台湾史上、最大規模のデモだった。

インターネットの普及も、呼びかけに力を貸した。電子掲示板やフェイスブックを介して、デモの趣旨に賛同する市民が集まり、大きなうねりとなった。結果、政府は一部の要求を呑まざるを得なくなった。

翌2014年には、サービス貿易協定に反対する学生らが、24日間にわたって立法院を占拠する「ひまわり学生運動」が起こる。立法院内部の様子はライブ配信され、SNS(会員制交流サイト)上でも連帯が呼びかけられた。立法院の外でも、学生を支持する人たちがデモを行うなど、「物言う市民」がますます存在感を増した。

ひまわり学生運動に呼応して開かれた抗議集会の様子(筆者撮影)
ひまわり学生運動に呼応して開かれた抗議集会の様子(筆者撮影)

台湾には長らく「物を言えない」時代があった。その時代を実際には体験していない世代にも、劉さん曰く「結局のところ、何でも政治とつながっている」という認識が共有され、社会運動に結びついた。

2015年の「子どもたちの遊ぶ権利」を訴える抗議活動も、その流れと無縁ではない。抗議活動に関わったNPO法人「還我特色公園行動連盟」の李玉華さんは言う。

「子どもの遊ぶ権利も、ひとつの人権思想。市民参画とか人権とか、そういったものは、民主主義を追求する政治につながる。文化や市民の意識が高まることで、インクルーシブという概念も一緒に育っていくんです」

公園という公共空間を、市民と行政が協力しあって育てていこうとしている台湾。日本でも称賛されている台湾の新型コロナウイルス対策も、もとをたどれば、この市民と行政のつながりに支えられているのではないだろうか。

片や日本でも、新型コロナウイルスの影響で集会を開くのが難しい中、SNSの#(ハッシュタグ)を使った、ネット上での投稿デモが広がりを見せ、「物言う市民」が存在感を示したことは記憶に新しい。コロナ禍で、「何でも政治とつながっている」ことを実感した人が多かったのかもしれない。

ごく身近な場所である公園ひとつとっても、政治と無関係ではありえないことを、台湾の例は教えてくれる。願わくば日本の公園も、私たちみんなに開かれた、みんなのための場所だと、心から感じられるような空間であってほしい。

バナー写真:黄昏時に明かりを灯す前港公園のシンボルツリー(筆者撮影)

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ライター、翻訳者。東京生まれ。台湾人の母と、台湾人と日本人の間に生まれた父を持つ。谷中・根津・千駄木界隈の本好きの集まり「不忍ブックストリート」実行委員。台湾の本に関する情報を日本に発信するユニット「太台本屋tai-tai books」メンバー。訳書に『台湾レトロ氷菓店』がある。

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