絶望の過去を持つ国ルワンダの強さ――コロナ禍で見えてきたもの

国際

唐渡 千紗 【Profile】

ルワンダというと、1994年の大虐殺(50万~100万人の国民が犠牲になったジェノサイド=大量殺戮)の記憶も残る一方、最近ではICT(情報通信技術)産業で発展する「アフリカのシンガポール」というイメージも強いかもしれない。実際はまだまだ貧困層が多数派を占めるが、新型コロナ禍で人々の暮らしはどう変わったか。ルワンダに子連れ移住して5年の日本人女性が外国人として現地で暮らす傍ら、自身が経営する飲食店で働くルワンダ人との関わりを通してコロナ禍で見えてきたものとは。

あの頃には絶対に戻らない。国民共通の強い思い

この状況下で治安は悪化しないだろうか。国際線の運行休止が発表された際、女一人と幼い子供二人で残るべきか、大いに悩んだ。治安の悪化や外国人に対する暴動もリスクとして挙げられたが、この国ではその可能性はかなり低いだろうと判断して残ることにした。
現在、ルワンダに住む欧米・アジア出身の人々は1万2000人ほどと言われている(公式データでは2014年に約4000人)が、私の肌感覚では、このうち7割は自国へ帰ってしまったようだ。

ルワンダというと、「あんなことがあった国だから」という思いがよぎる人は少なくないだろう。私も以前はそう思っていた。
ただ、この国に数年住まわせてもらって見えてきたのは、1994年のあの絶望があればこそ、ここ(安定した秩序を保った国になるところ)まで来たということだ。あの頃には絶対に戻りたくない、戻らないのだという強い国民感情、それが現政権への確固たる信頼と支持、明日への希望へとつながっている。

コロナ禍で感じたこの国の強さは、常にさまざまな困難に見舞われているがゆえに、コロナがone of them(その中の一つ)でしかないということも要因の一つになっているのではないか。

そもそも普段から産業がなく、職もない。先進国では終息した伝染病もまだまだ身近な存在だが、医療体制は脆弱。
そして今年は水害がひどい。雨がひどくても家が崩れる心配をせずに眠れる人の方が、この国では少数派だというのに。

でも、普段でもコロナ禍でも、この世の終わりのようにわめいている人など見かけない。“Asian Kitchen”の看板を掲げていても、いまだ一度も差別を感じる出来事には遭っていない。

シフトが削られ、給与が大幅にカットされることを通達したスタッフには、“Everything will be alright(きっと全部、大丈夫)”と、こちらが逆に励まされてしまった。
こうして、苦境の中、明日を強く信じるルワンダ人に囲まれ、勇気づけられながら、今日も店は営業を続けている。

バナー写真=筆者が経営する“Asian Kitchen”のスタッフと筆者(前列右2人目)(筆者提供)

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唐渡 千紗KARATO Chisa経歴・執筆一覧を見る

早稲田大学法学部卒後、株式会社リクルート(当時)入社、人材事業で営業、企画に従事。旅行で訪れたルワンダが気に入り、翌年2015年、当時5歳の息子を連れ単身移住。Asian Kitchenを開業、経営しながら、息子と2019年生まれの娘とルワンダで暮らす。

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